THE AJUSTER.

2004年7月1日
今月の「目標」を立ててみる今日この頃。
先月も結局駄目で、五ヶ月連続で目標達成ならず、となってるワケで。
相変わらず目標は「日記を毎日かくこと」でして。
普通、「日記」ってものは毎日かくから「日記」なんでしょうけど。
その「日記」に対し「毎日かく」という「目標」を掲げるというのはなんとも奇妙でして。
そのうち、「毎日かくこと」以外のことを「目標」にしたいものだ、と。
そのためにはやはり今月、きっちりかかなくてはならないワケで。
夏休みに入りますし、「時間」はたっぷりある。かこうとすればいくらでもかける、と。
「毎日かく」こと、単純だが、ここ最近の自分にはどうもできないようで。
どうにかその状況を打破せねばならないな、と。
では本文。
昼休み、主に夏休みの課題となる副教材が運ばれてきました。
その中に、「中島敦全編集」というのがあったんです。
国語の宿題はこれを使ってするんだとか。
そういえばここ最近、小説とか買ってなかったなぁ、と。
買いたい、と思うものはあってもどうも自分のお金を使ってまで買うには至らない、と。
さて、その「中島敦全集」なのですが。
配られてから暫くし、なんだか本をぱたぱたする人がでてきて。
何をやってるのかと思いつつ自分も試してみたら。
…ホコリか何かがぶわっとでてきました(汗)
干した布団を布団叩きで叩いたときのようにぶわっと。
そしてどうやらこの本、昔刷られたものから最近刷られたものまであるみたいで。
所謂「第何版」というやつです。因みに自分のは第三版で。
…在庫が少なかったんでしょうかね?(汗)
在庫のある本なら、最新ので揃えられるはずではないか、と。
ホコリも出るくらいですし、倉庫にでも眠ってたんでしょうか(汗)
ところで、午後、五限目が終わって寝てたんです。休み時間に。
…起きたら六限目の後半ってどういうことですか(汗)
そういえば、チャイムが鳴ったときに一度起きてまた寝た記憶が(蹴)
どうやら始まりの挨拶もなく、且つ自分はそのときまで起こされずにいた、と。
国語の時間でしたし、起きたら起きたでさっきの「中島敦全編集」を読むくらいしかしてませんでしたが(斬)
さて、今日は自習室へ行ったワケです。
しかし、今日やることといえば春休みの数学の課題をやるくらいで。
明日は小テストも何もなく。持ち物から考えてもそれくらいしかできず。
でも、よく考えれば昼休みに配られたものがあったな、と。
夏休みの数学の課題なんですが、この際少し進めようかと。
↑夏休みの前に期末テストがあるだろうに。
ところで、「自習室利用カード」があと四回分で埋まるのですが。
また新しいのをくれるんでしょうか。なんとなく楽しみです(何)
それから、家に帰り、相変わらずだらだらとして今に至る、と。
月変わりを変化の「キッカケ」にしようと思っただけでしなかった一日。
では。

THE OWNER.

2004年6月30日
今月の「反省」をしようと思う今日この頃。
結果からいうと、やっぱり毎日かけていない。
「みている側」、がいるかどうかはわかりませんが、取り敢えずこれは「自分自身」にとって結構な問題で。
ただ自分がこだわってるというか、無駄に固執しているだけなのかもしれませんが。
「日記を毎日かく」ということを、続けてきていたからこそ、そうでない状態があってはならないと感じてしまう。
つまり、日記をかけていない日があるという「事実」は、なんとなく精神的に負担になるワケで。
しかし、自分が日記をかく理由は恐らく「精神的負担をかけないため」ではない、と。
始めるのは簡単。しかし続けるのは難しい。
日記をつけたいという意欲があった「始まり」の頃と比べ、
今はその、「やらねばならない」という一種の自己強制によって日記をかいているのかもしれません。
それだからこそいけないのではなかろうか、と。
「初心忘るるべからず」、一度その「初心」を考え、それに戻ろうか、と。
戻れなくても、やはり日記をかくことは続けますけども。
では本文。
今日は自習室で居残る予定だったんですが変更。帰ることにしました。
それというのも、いくつかの帰ることに繋がる「要因」があったからで。
先ず、今日は友人に貸してたゲームを返してもらって、それをやりたいと思っていた。
これはよくある話ですが、これ単発では帰りません。
「数学の宿題ができていたこと」と、「明日の英熟語テストが所謂過去の復習テストであること」。
この二つの「要因」があったからで。
水曜日の居残りというのは、宿題と、そして次の日の英熟語テストのためであって。
その双方がなくなってしまったら、別に行く意義はないじゃないか、と。
英熟語テストについては、過去にやったものであるためいつもより範囲が広く、そのためほぼ諦めて(斬)
この三つの「要因」が、自分に「言い訳」を与えた、と。
自分で自分にその行動への「納得」をさせられた、と。
さて、要するに自習室へ行かずに帰ったのですが。
家に帰って、早速返してもらいついでに借りたゲームをしてみて。
「BM2DX7thstyle」、家でやってみる分には中々面白いもんで。
普段は絶対選ばない知らない曲とかも選んで、こんなものもあったのかと「再発見」してみたり。
暫く遊んでいると、どうやら焼肉屋へ行くとのこと。
半額キャンペーンが今日までらしく。
しかし、肉は半額でとっても、デザートはしっかり定価でとってるんですよね。
まるでスーパーの大安売り等で、ついでに他のものも買わせようというような戦略。
そんなことはどうでもいいのでありますけれど。
そうして家に帰ったらもう夜でして。
また「昼寝」ができなかった、と思いつつゲームをし、今に至る。
楽しみを感じた一日。
では。

THE APPROPRIATER.

2004年6月29日
「反省」だけでは意味をなさないかと思った今日この頃。
人は己の過ちに対し「反省」する。
しかし、その「反省」が意味のあるものかどうか、と。
「反省」し、それを「行動」で示せたらそれは確かに意味がある。
ただ、「反省」するだけであれば意味はない。
「反省だけなら猿でもできる」という決まり文句がありますが、その通りか、と。
また、「一時の反省」というものもあります。
叱られたりして「反省」して、暫くはその「反省」を「行動」で示していたが、そのうちそうではなくなった、とか。
少しずつ、「反省」の気が弱まるというか、油断してくるというか。
「反省」とは「成長」すること、ともいえますが、やはり「反省」だけでは「成長」とはいえなくて。
「反省」から学んだ何かを「行動」で示し続けられるようになる。
そのことこそが「反省による成長」なのではないか、とも。
では本文。
今日は二者面談がありました。
大体言われることはわかってたんですけども。
「志望大学」とか訊かれると応答にちょっと困ったりも。
…自分、あまりそんな「先」への「希望」がないんです(汗)
なんだか将来、これといって何がしたいというワケでもなく、ただ毎日を漠然と生きている。
人生にすら消極的ですかね自分。
さて、そういったことはおいといて、面談の結論。
「苦手科目でもせめて偏差値40以上をとれ」とか、「欠点は取るな」とか。
…自分はやはりそこから始めるべきですね(汗)
未だに「世界史」が欠点とったままですから。
即ち自分は未だ「仮進級」の身。そういえばすっかり忘れていました。
「追試」は夏休み明けにあるそうなので、少なくともそれまでは自分は「仮進級」です。
しかし面談というものは時間が長く感じるんですが、実際どれくらいの時間だったのかとも。
意外と「濃い」だけで「短い」ということもありますから。時間って不思議ですね(何)
さて、家に帰って今日こそは「昼寝」を、と思っていました。
…なのになんでダイエーにいるんでしょうか自分(汗)
結局、「昼寝」はしていないワケで、眠たい。
早く寝ようと思うも、どうも「やることを終えてない」ということで眠れない。
しかしだからといってやることを終わらせようともしないまま時間は過ぎ、結局夜遅くに終わらせて、寝る。
…結局そこが悪いのか(汗)
自分で「やるべきこと」と思ってることをさっさと済ませて寝れば良いのか。
しかし「日記」はやはり日の終わり頃にかくべきだという無駄なこだわりもあって。
でも別に、日の終わりまで待たなくてもかけるんですよね。
日の終わりまで「ネタ」が出てくるわけでもありませんし。
結局単なる「こだわり」で、別にもうちょっと早くにかこうが変わらないんじゃないかと。
全体的にみてもそうしたほうが良いのではないかと。
そう考えつつも、やはり今日のは夜遅くにかいてるワケで。
「改善」をしようかと考えた一日。
では。

THE GUILTER.

2004年6月28日
「罪」に対する「罰」は適切かと思った今日この頃。
例えば人を殺せば、「殺人罪」としてそれ相応の「罰」が与えられることになっている。
しかし、その「罰」ってのがホントに「それ相応」なのかどうか。
また、「罰」というものは何のために存在していた筈なのか。
もともと「罰」というものは、その「罪」を二度と起こさないための「戒め」としての役割を果たしてたんだと思います。
ただ、やはり個人個人でその「効き目」というのが違い、
叱られただけですんなりやめる人もいれば、何をしようとやめない人もいる。
ここでいう「罪」とは一般に「法律を破った行動」なのですが、
やはり日常生活にもそういった「罪」というものは存在します。
そこに「戒め」としての「罰」を与えるかどうか。
ただ、やっぱり先にもかいたように「個人によって違う」のであり、一概に「対応」できないので。
そこらへんがまだまだ「不確実」であるからこそ色々と問題がある、と。
「二度と罪を犯さないかどうか」なんて「未来」のことですし、わかりませんから。
「殺人犯」がまた殺人を繰り返すとわかっていれば、「死刑」という判定が出せる。
しかし、もしかしたらそうではないかもしれない。
その「不確実さ」が、昔も今も人々を困らせている。
いや、昔はすっぱり罪に対する罰を決めていたそうですし、今ほどは困りはしていなかったか。
十両盗めば死罪だったんだとか。
「殺人犯」を一概に「死刑」にしないというのもむず痒いですが、そういったちょっとしたことでさえ「死刑」にされるってのもアレですね(何)
では本文。
なんだか今週は、今週が終われば期末テストだということで気が軽い。
↑普通の人はそうではありませんから。
しかし気は軽くてもやっぱり瞼は重いワケで(何)
授業中はどうしようもなく眠たいのに、休み時間になると眠れない。
この不条理ともいえる人体のメカニズムさえなければ授業中寝ないでも大丈夫なんじゃないのかとも思ったり。
しかし実際、「寝る時間」が不足してるのか、それとも単に授業によって眠たくなってるだけなのか。
前者なのであらば、それこそ休み時間にぐっすり眠れれば大丈夫な気がするんですけど。
さて、眠気がどうのという話はおいといて。
先週は台風で休みとなった「ピアノ教室」。
「グランドピアノ」と「ライトアップピアノ」の違いを訊かれたワケで。
「グランドピアノ」は言わずと知れた、コンサートなどで使われてる大型のピアノ。
「ライトアップピアノ」は、大抵壁にひっつけられてる、所謂家庭用というか、置き場所の節約できるもの。
後者がそんな名前だったことを初めて知りつつ、考えて。
当てずっぽうで答えたものは全て外れで。
答え、なんというか文にしにくいんですが、「そんなことか」と思うもので。
しかし「そんなこと」とはいえ、演奏面では大きく違ってくるわけで。
後者は、ある鍵盤を押して音を出すと、一旦元の状態に戻さないと同じ鍵盤で音を出すことができない、と。
なんというか、ゲームのボタン連打の際も一旦ある程度まで戻してから押さないと反応しないというような。
普段無意識にピアノを弾いている自分はそれを聞くまでまったく知らなかったワケで。
そのような些細なところに「違い」があるんだなぁ、と感心してみたり。
しかしやはり音の出し方の違いなんでしょうかそれって(何)
それ以外は何ら変わりない「ピアノ教室」でした。
帰ってからもいつもと変わりない生活をして今に至る。
眠気の波に困った一日。
では。

THE PLURALER.

2004年6月27日
「複数」であることはどうかと思った今日この頃。
「意見」が「複数」あるから「対立」する。
「欲しいもの」が「複数」あるから「悩む」。
しかしこれらは「単数」、つまり「一つだけ」のときには起こらない。
それならばやはり「一つだけ」のほうがいいのかというとそうでもない。
「意見」ならばそのおかげで各々の良さや悪さがわかり、それによって「最良の一つ」にまとめることもできる。
「欲しいもの」の場合はそうもいきませんけどね。
欲しいものは欲しい。「一つだけ」なんて選べない。
「意見」の場合においても、真っ向から「対立」するものはまとめられません。
そういうときは、「思いきって」どれかに決めるしかなくて。
何かと「対立」の多いこの世の中では、その「思い切り」が大切か、と。
しかし、これらの「複数」あると困るケースってのは、やはり「選ぶ」ということがあるからで。
それがなければ、別に「複数」あろうと何ら困ったことはないんです。
「真実」はいつだって一つだけであるが、人は「複数」の「事実」をみる。
そしてその「事実」のうちの一つでも「真実」と合致することは、極めて稀である。
では本文。
今日は遊びに行ってきました。
ただ、いつもとは少し違うんです。
今まで顔も見たことのない人と会って、そして遊びに行く。
所謂「オフ会」ともいえるものですが。
果たして二人でも「オフ会」といえるかどうかというのが微妙で。
さて、お互いに顔も知らないワケですから、先ず「待ち合わせ」がうまくいくかという不安。
事前に「目印」だとかそういうものは決めていたものの、どうだろうか、と。
しかし、会うことは意外と容易にできました。
問題は、以後の会話。
自分はこれでも酷い「顔見知り」でして。特に初対面の人とかとは中々話すらできない。
自分は無言のままその人(以後Jさん)の後ろについていって。
着いたのが「Sound G 音」というゲーセン。
なんだか音ゲー中心のところらしいのです。
存在は以前から知っていたものの、来るのは初めてで。
通路にピンボールとビデオゲームがあり、その奥は音ゲーだけ、と。
そして、異様に静かで。ゲーム中以外は音が出ないように設定しているのか。
さて、今回の「オフ会」の目的ってのがやはり一緒に遊ぶことでして。
一緒に遊んだり個々に遊んだりしてました。
自分はほぼ無言のままでした。一度、紙に文章を書いて渡してコミュニケーションを図ったりも(何)
ところでここ、時計がなくて。
自分は「今何時でしょうか。」とさえ訊くことができずに遊んでいて。
Jさんが「そろそろ帰りましょうか」と言ったときには午後六時前。
…そんなに時間が経っていたのかと(汗)
因みにそこについたのは午前十一時。約七時間。
時計がないとそれほどの時間が経ってることをあまり感じないんだなぁ、と。
成る程これが「浦島現象」というやつか、と(違)
それから駅でJさんと別れ、家に帰りました。
それからはやはりだらだらとしていました。
いつもとは違った感じのした一日。
では。

THE KINDER.

2004年6月24日
結局は「個人」としての「意見」に過ぎないかと思った今日この頃。
「エッセイ」だとか、「歌詞」だとか、「漫画」だとか。
様々なものの中に、「これが正しいのではないか」と思うようなことが混ざっています。
しかし、それらを見比べると、どうも「対」となることを主張するものが出てくる。
それは一体、どちらが「正しい」のか、と。
結論からいうと、どちらが「正しい」とか、そんなのはないと思います。
そういったものは全て単なる「個人」としての「意見」であり、
それが「真実」かといえばそうでもないんです。
そこで、何が「正しい」か、または「良い」かを判断するのが自分自身。
自分が「正しい」と思ったものは自分にとって「正しい」。
ただ、それはやはり自分が「正しい」と感じているだけなのかもしれない。
人がかいたものは、殆どは単なるその人の意見に過ぎない。
そのようなものを、そのまま信じることは、どうかと思う。
ただしかし、それもある意味「心の支え」となるのだから、
あまりにも間違っていることを信じない限り、いいのかとも思う。
そしてまた、自分のかくことも単なる自分の「意見」に過ぎず。
では本文。
数学の小テストに落ちたという話は取り敢えずおいておきますか。
↑何を唐突に。
今日は避難訓練がありました。
先月にやる筈だったんですが雨が降っていたため今日まで延期された、と。
毎度毎度、予告してからやるなんて「訓練」じゃない気もしますが。
予告無しにやるとそれこそ大変になるだろうから、予告はあったほうがいいのかと。
ところで、大抵火災発生場所って一つですよね。こういうとき。
…どうやら三ヶ所から火の手があがったらしいんですけど(汗)
そんなこと、普通はまずありえませんって。
一ヶ所で起こる確率も相当低いのに、それの三乗なんて更に。
確かに、一ヶ所だけの火災なら、絶対に燃え広がらない部分も出てくるんですが。
南校舎は道路の向こうにありますし。
さて、「訓練」ですからそういった余計なツッコミはしないようにして。
しかし、一部は隣の公園に避難することになるのですけれども。
…はっきりいって邪魔なんじゃないかとも(汗)
上から見るにびっしりと生徒が並んでて。
これでは遊びたくても遊べないなぁ、と。
避難訓練をするたびにこういうことを思ったりするワケで(何)
さて、そのあとは「自習室」に行き、帰宅して、だらだらとして。
帰宅以後は変わったことがない限りかかなくていいですか。
「だらだらしていた」としかかきませんし。
そうして今に至って、睡眠時間が削られていっていることに後悔している次第で。
眠気が一段と強かった一日。
では。

THE INDISPENSABLER.

2004年6月23日
「進歩」による「撤廃」は、ホントに良いことだけかと思った今日この頃。
例えば、ゲーム業界。
今、どんどんと「グラフィック」やらそこらへんの技術が「進歩」しています。
そこで、逆にいえば「古い」手法は「撤廃」されていくんです。
今更カクカクのポリゴンを使うゲームはない。
また、ファミコンのように大粒のドットを使うゲームもない。
他にも、容量が小さいゲームはわざわざ作らない、等。
「禁止」されてはいませんが、それをやってはいけない、またはできないのは「暗黙の了承」であって。
果たしてその「撤廃」は、良いことなのか、と。
カクカクのポリゴンには、それなりの味があった。
また、ドットのゲームだって、それだからこその名作があった。
確かに、「進歩」によって「世界」は広がったかもしれない。
しかし、その「進歩」により、逆に「制限」がかかっている部分もあるのではないか、と。
たとえ容量をそんなに使わなくとも、「完結」するからこそ良いものがあった。
「小説」で頁数が足りないからといって、無駄に文章のつけたしなどをしたら質が落ちるように、
「蛇足」は要らない。しかし「空き」があるとどうしてもそこを活用したくなる。
そういった「人間的」な「制限」もあります。
ファミコン時代、あれだけの技術でも「名作」は生み出された。
それと同じく、各世代において、まだまだ工夫次第で「名作」を生み出せたはずであり。
それなのに「進歩」のほうがどんどん先をいき、新たな「制限」によって、
「古い世代」での「名作」の多くが生み出されないまま「先」へ進んでいる。
結局はそれがいいたかっただけなのかもしれませんが、
兎に角、そういった「撤廃」がすべて良いとは限らない。
「進歩」が、すべてにおいて良いとは限らない、と。
では本文。
今日は学校にて、「在学証明書」なるものをもらってこいと母に言われたので、昼休みに事務所へ。
言われるがままになんだか定期券を購入する際に渡す用紙のようなものに必要事項の記入をする。
…しかしまさか二度も書き損じるとは(汗)
二度も自分のクラスを書き間違えました。同じことを繰り返すとは、いよいよ本格的に危ないのか自分。
↑いよいよという程でもないだろう。
何とか記入もし終えて提出、と。
…お金が要るだなんて聞いてませんよ(汗)
偶然にも同時刻に事務所にきた友人にお金を借りる。
しかし二百円って。地下鉄一区間利用できるじゃないですか(何)
弟もこれを取りに来る筈だから二人で四百円。高い(斬)
でもこれで「授業料軽減」を受けられるみたいですし結果オーライですかね。
因みに、借りた二百円ですが、自分はお金を持ってきていないので後日返済することに。
学校に来るくらい、定期券とテレフォンカードがあれば十分だと思うんですけどどうだか。
それからいつも通り「自習室」を利用して帰りました。
帰ったら、郵便受けに何かが届いてました。
「星のカービィ〜鏡の大迷宮〜」でのキャンペーンでもらえるCDがやっと届いたみたいで。
懐かしい曲やら持ってない作品の曲やら堪能してまして。
音楽面では「星のカービィ3」が個人的に好きでした。
なんだかいつものカービィシリーズとは一風変わった曲が多くて。
「ベスト版」とかいって選考するのも楽じゃなかったんだろうなぁ、と思ってみたり。
しかしこういうものって「忘れた頃にやってくる」もんだなぁ、と。
それ以外はやはりだらだらとしかしてませんでした。
予想外のことに驚きつつ喜んだ一日。
では。

THE GENERALLER.

2004年6月22日
「一般的な良さ」が「社会」に蔓延するのかと思った今日この頃。
ソムリエが良いというようなワインは、一般人には好まれない。
むしろ一般人は、市販のワインのほうを好く。
そのようなことが、すべての分野において起こっているのかな、と。
「軽い」良さは、誰にでも理解でき、それだから多い人に好かれる。
「深い」良さは、その「深さ」ゆえ、その「道」の人にしか理解されない。
しかし、どちらが「本当の良さ」かというと後者である、と。
しかし「企業」として、「収入」が高いのは前者であるから、前者を多く取り扱う。
その結果、「音楽」だって、「小説」だって、そういった比較的「易しい」ものが流行る。
「流行り」にはそういった「軽い」良さしか存在しない。
だからこそ「流行に流されてはならない」とでもいうのでしょうか。
しかしまあ、一人ではそんなに多くの「道」には進めませんから、「軽い」良さだけで生きていっても別にいいんではないかとも。
ただ、一つくらいは「深い」良さを理解できるような「道」を進んでほしい、と。
一般に「メジャー」といわれる作品は大抵「軽い」良さしか持たない。
良いことは良いんだけども、やはりそういった作品ばかりが蔓延してるということには疑問を持ちます。
「深い」、即ち「濃い」からこそ、その「良さ」は一部の人にしか理解されないのか。
では本文。
逃げてはならない。学校には行かねばならない。それが「運命」。
そんなことで自分自身を納得させて学校へ連れて行くのですが。
正直、朝の目覚めが悪いときはそのまま寝たいって気になります。
しかし「正勤賞」をとりたいがために、学校へ行く。
「最終の動機」は「正勤賞をとる」こと。それがなければ今ごろ休みまくってます(斬)
因みに「皆勤賞」は過去二度の遅刻により消えてます。
↑誰も訊いてない。
かなり考え方が後ろ向きになってきてますがそのうち何とかなるでしょう。
↑そういうとこだけ前向きか。
さて、今日は部活がありました。
数学の活動のはずなのに、「大富豪」をしている自分たちの前に現れたのは物理の顧問の先生。
どうやら「ブロアー」なるものを仕入れてきたようで。
いわば「ドライアー」の強化版というか。強い風が起こせます。
ビニール袋やら飛ばして遊んでました。
そして先生が出ていったあと、問題発生。
…ビー玉が中に詰まってしまいました(汗)
ビー玉を飛ばそうということで中に入れたんですが、内部に詰まっちゃったようで。
試行錯誤の末取ることができました。
ついでにどのような仕組みで風を起こしているのかもなんとなくわかりました。
怪我の功名というやつでしょうか(違)
それから暫くして数学の顧問の先生がきて、色々として帰りました。
それからはまたいつも通りの過ごし方で今に至るワケで。
危険性のあることはしないようにしようと思った一日。
では。

THE ILLUSIONER.

2004年6月21日
「夢」の欠点とは何かと思った今日この頃。
今回とりあげるのは「眠るときに見るもの」のほうの「夢」で。
「夢」ってのは、色々と「現実」ではできないことをさせてくれます。
例えば「空を飛ぶ」だとか、そんなこと。
さて、そんな「夢」の欠点はどこにあるのか、と。
因みに、「悪夢」は欠点ではありません。
逆に「悪夢」は、起きたときに「夢でよかった」という「安心」を与えることもありますし。
ただ、もしかしたら「トラウマ」になりかねない「悪夢」を見るということがあるかもしれませんがそれはおいておいて。
「夢」の欠点、それはやはり「夢」であることにあります。
「空を飛べる夢」も、その意味では欠点になりうります。
「夢」のなかでいくら良い経験をしようと、目覚めるとそれらは消えてしまう。
また、それは「夢」であり、「現実」ではできないことなのだと悟る。
「夢」の中で幸せになればなるほど、起きたときの「現実」に悩まされます。
例えば「夢」で、大金を手に入れた。しかし「現実」はそうではない。
「夢」では宿題はできていた。しかし「現実」ではそうではない。
このように、「現実」に戻るのが苦になってしまうようなところが「夢」の欠点ではないかと。
しかしそれがまた「夢」の利点でもある複雑なところ。
「夢」の利点といえば「思わぬ発想」ができたりすることもそうであったりします(何)
では本文。
朝早くから何度も起きては寝て起きては寝てを繰り返していました。
途中、暴風警報が出ているのをテレビで見る夢を見たりもしました。
しかしそれは夢だとわかってガッカリしてみたりもしました。
そうしているうちに時間も経ち、恐る恐るテレビをつける。
そして大阪に「暴風警報」が出ていることを確認し、夢ではないことも確認する。
早朝から喜びのあまり叫びつつガッツポーズをしました。
↑何してんだ。迷惑な。
台風は「接近中」であり、臨時休校は確実だと確信しましたので。
代わりに夏休みが一日削られようとかまいません。
今日が休みになるコトに、それ以上の「価値」があるから。
さて、つまりは今日は台風のため学校が休みとなりまして。
昨日だけではだらだらし足りず今日もだらだらとしておりました。
しかし学校が休みになったのはいいんですけど、まさか「ピアノ教室」も休みになるとは(汗)
所謂「諸刃の剣」というやつですか。辛いですね。
台風なので外に出るのもアレですし、絶好のだらだら日和でした。
まったく外に出ていないというワケでもありませんけど。
しかし、自分はこうして結果的に喜んでいるワケですが、やはりそうでない人達がもちろんいるワケで。
交通機関の足止めの影響を受けた人、台風の被害を受けた人等々。
考えてみれば基本的に「台風」というのは「自然災害」ですよね。
大概「強風」と「大雨」が合わせてやってくるもので。
地形によっては「高波」や「土砂崩れ」等、「二次災害」も起きる。
その「自然災害」を喜ぶってのは実際のところどうかな、と。
そうは思っても今も喜んでますけど(蹴)
「自然災害」であろうと何であろうと、それによって「幸せ」になるか「不幸」になるかは人それぞれ、とでもいうべきか。
自分は少なからず「幸せ」になった立場であるから喜んでいる、と。
しかしやはり「台風」は「自然災害」。「不幸」になる人のほうが多いのでしょう。
「学校が休みになった」という事象も、自分達高校生にとっては実は「不幸」ととるべきものなのか。
…自分は「不幸」だとは思いませんけどね(斬)
しかし二日も休日が続くと、逆に「明日から学校か」という後ろ向きな気持ちが強くなって。
しかし今週はあと五日だけだから頑張ろう、と。
逆にいえば五日「も」あるんですけどね(何)
また台風がきてくれないかなぁとも思っているワケで(斬)
予定外の休日に喜んだ一日。
では。

THE INVENTER.

2004年6月20日
「発明」も「発見」なのかと思った今日この頃。
「発明」とは、人間が己の「発想」で、何かを「創造」することだと。
そして「発見」は、人間が何かに対し、その何かに何かを見出すことだ、と。
例えば「蓄音機」は「発明」、「化石」は「発見」といったように。
さて、「発明」も「発見」であるとはどういうことか。
「発明されること」は、もとから「宇宙に存在した」と考えると。
「発明者」は、自分の発想においてそれを「発見」しただけ、ということになります。
例えば「数という概念」だって、もとから「宇宙」に「存在」していた、と。
「絵画」も、「彫刻」も、「音楽」も、「もとから存在していた」と。
漱石の小説か何かの一部に、「彫刻家は、木で力王を彫るとき、木に力王を彫るのでなく元より木に埋まっている力王の型を彫り出すのだという」というようなものがあって。
つまりは、そういった「発明」も、元から「宇宙」に埋もれているものをそのまま「掘り出した」に過ぎないのか、と。
しかし、考えたこともないことを即席で考えるってのは辛いですね(汗)
…この「文章」すら宇宙に「埋もれて」いたのを「掘り出した」だけなのでしょうか?(何)
では本文。
朝、随分と寝たなぁと思って目を覚ます。
もう昼を過ぎてるかと思って時計を見る。
…午前六時ってのは一体(汗)
しかし寝ようにも寝つけないので起きておくことに。
考えてみれば約十三時間も寝たワケですし。
しかし、家族はまだ全員寝てるので、パソコンくらいしかできず。
早朝に起きてすることがパソコンだなんてなんだかなあ、と(何)
そのうちぽつぽつと起き出してきて。
自分も部屋から出て、たまたまテレビでやってた「みなしごハッチ」を観て。
なんだか「カマキリとトカゲ」の話だったんですけど、気になるとこが一点。
…明らかに台詞の中のある単語だけが消されてませんか?(汗)
最初は放送ミスか何かかと思ったんですけども。
恐らく今では「差別用語」か何かだとして「放送禁止」なんでしょう。
しかし、「そのまま消す」ってのはあまりにも不自然です。
漫画の「ブラック・ジャック」においては、「台詞の差し替え」ってのがあったんですけども。
「アニメだから無理」とかそんなんでしょうか。
しかしそんな不自然だと、かえって気になる。
そんなに「差別表現」をなくしたいならその回だけ「なかったこと」にでもすればいいのに。
もとより「みなしごハッチ」は一話くらい抜けてもストーリーに差し支えありませんし…(何)
さて、私的な愚痴はここまでにしておいて。
今日は「休日」ということで一日だらけてようかと思ってて。
しかしそうもいかないもんで、母におつかいを頼まれて。
だらだらしているだけってのもアレだな、と思ったんでサッと行ってきたり。
しかし、「くるぶしまでしかない靴下」って、なんだかしっくりきませんよね(何)
それがおつかいで頼まれたものだったんですが。
確かに涼しそうなんだけど、なんだか危なさそうというか。
↑お前の髪型もそんなもんだろうに。
しかし、思い出してみると今日一日、だらだらすると決めたはずなのに、四回も外出してました。
意外と家にいると用事があるもんです。
ところで、台風が接近してきているようなのですが。
このままだと、明日の朝には警報が出るのかなあ、と。
出たら学校休みなんで、個人的に嬉しくて(蹴)
しかしこの学校に入学してもう四年、一度もそれで休みになったことがありません。
しかし「今回こそは」、と思うんですが果たして。
果たしてだらだらしていたのかと疑問に思った一日。
では。

THE PRICER.

2004年6月17日
「消耗品」の「値打ち」とはどういうものかと思った今日この頃。
例えば「食品」等であれば、「単位あたりの値段」ですよね。
取り敢えず「食べられればいい」となると、それが安いほうが「値打ち」はある。
同じ商品が、一個三十円と四個百円なら、「後者」のほうが「値打ち」はある。
「食べること」だけに重点をおいた場合ですけども。
他にも色々と「視点」はありますがとりあえずそういうことで(何)
そして、「消耗品」といえば、もちろん「日用雑貨」等もそうなワケで。
こういったものは大体「値段」を「使用回数」で割った値が小さければ小さいほど「値打ち」はある、と。
いくら安かろうが、すぐに潰れて買い換えなければならないものより、
少し高くても、長い長い間使えるもののほうが「値打ち」はある、と。
「値打ち」で考えると、「値段」だけを見ていては駄目なワケで。
もちろん、「値段」を「使用回数」で割ったものだから、すぐ潰れようが安いほうが「値打ち」があるかもしれませんが。
「値段」だけでなく、「値打ち」も考えてみる。
「安い」ということについついとらわれがちなこの社会ですが、
「耐久性」やらいろいろなことを考慮し、その値段が「妥当」かどうかを考えるのも大切かと。
では本文。
気がつけば「日曜日」まであと二日ですか。
それを長いととるか短いととるかは自分次第ですが。
個人的に「二日」ってのは短い気がします。
「次の一日を終えたら、残るは一日だけ。」と考えて。
…そんなこといってたら三日も四日も同じですが(汗)
さて、心配していた英熟語テスト、なんとか満点でした。
ところでコレ、テストに「繋がる」んでしょうかね。
自分は基本的に小テストが終わったら忘れていくタイプなんで。
それでも数個は覚えてるから「繋がる」んでしょうかねぇ。
もっと長い目で見たら「記憶能力の開発」とか…(何)
そして、今日も「自習室」へ行こうかと思ってたんですが。
…よく考えたら今日は「やるべきもの」を持ってきていなくて(汗)
何の当てもなく「自習室」へ行くのもアレなので、帰りました。
木曜日、こんな早い時間に帰るのは久々だなあ、と。
しかし、ピアノを弾いたりした以外はいつもと変わらずだらだらしていたのでありまして。
早くに帰っても、「パターン」が変わるだけで「だらだらしている」ことには変わりないか、と。
でもいつもよりもゆったりとだらだらできた気がします(何)
「いつも」と比べると三時間程度時間が多かったので。
「日曜日」はもっとゆったりとしたい、と望んでみたりも(何)
ただ、あんまりゆったりしすぎても「暇」になってくるワケですが。
何事も程々に、ってコトでしょうかね。
安らいでみた一日。
では。

THE COLORER.

2004年6月16日
「色」による「イメージ」もあるかと思った今日この頃。
例えば「赤」は情熱、「青」は冷静、といったように。
「色」で色々と「印象」が決まってしまうことってあるんです。
いわゆる「色眼鏡」、それも、「したくなくてもしてしまう色眼鏡」。
例えば「熱い」とわかっている飲み物。
しかしその飲み物が「青色」をしていると、どうも熱くないような気がする。
「青」に対し、「熱い」というイメージは含まれていない、と。
しかし実際熱いんです。わかってても意外。
「熱い」とわかってるんだけど、「イメージ」として「熱くはない」。
そこに「混乱」というかなんというかが生じて、「これ、ほんとに熱いのか?」と「疑問」を持ってしまうワケで。
「色」による「イメージ」ってのは、「刷り込み式」というより「本能」なのかも知れません。
もちろん、あとから刷り込まれる「イメージ」というものもありますけれども。
「青」というものに「熱い」という「イメージ」がないってのは恐らく「本能的」なものでしょう。
まあ、やはり「色」というものに人は左右されてしまうもので、
「色彩効果」ってものはそれだけ「有効」かなぁ、とも(何)
では本文。
駄目です。ネタがない。
↑しょっぱなからそれかい。
そういえば、今日は化学の小テストがあって。
なんだかマップのようなものがあり、「アセチレン」だけ最初から書き込まれてて、
他の空白部分を指定にそって埋めていく、というような。
自分は今まで新しい「地名」やら「人物」やらを勝手に作ってきましたけれども、
今回は新しい「化学物質」を作ってしまったようで(汗)
わからなくてもてきとーに埋めるという信念のもとに埋めてったら、
あるかどうかもわからない怪しげな物質がたくさんできました、と。
あと、「自習室」行ってたんですけども。
校内放送で、「光化学スモッグ注意報」かなにかがでてるとか言ってまして。
自分はいまだにこの「光化学スモッグ」ってのが何なのかわからないワケで。
小学校に行ってた頃からの疑問であります。
それが発生すると外で遊ぶのは避けるべき、ということしか知らず。
「原因」とか「正体」とかをまったく知らないんです。
どうでもいい話ですね。そうですね。
ところで、「自習室」、今日は大掃除をするだとかでいつもより一時間ほど早く退室させられました。
そのため明日の英熟語の小テストの対策が十分とはいえないワケで。
特に今回なんて知らない単語が含まれているものも多いというのに(汗)
それでもそこそこ覚えたしまあいいか、と。
あとは明日にどれが出るか次第、運次第、と。
これもまたどうでもいい話でしたね。そうですね。
しかしそんなこといってると、極端にいえばこの日記自体どうでもいいって事になるワケで。
そんな話は置いといて。
それからは家に帰ってだらだらとしておりました。
特に印象に残らなかった一日。
では。

THE FUTURER.

2004年6月15日
「未来」について「確定」していることは何一つないかと思った今日この頃。
「天気予報」が「予報」に過ぎないように、「未来」の事象はわからない。
「予め報じる」とはいえ、それは「予想」を報じているに過ぎない。
「降水確率100%」でも雨は降らないときはある。
「未来」にどうなっているかを「確定」することはできない。
例えば、「十年後こうなってる」と言って、実際そううなったとしましょう。
確かに「そうなった」のだから、「確定」していたことなんじゃないかと思いますが。
しかし、「十年前」においては、それは「確定」されてはいなかった。
「別の方向」へ向かう可能性も十分あった。
「確定」というものは即ち「100%」であり、他のどのようなことも「可能性」に入ってはならない、と。
確かに、「100%」といってもいいほどの「高確率」なことはあります。
しかし、それは決して「100%」ではない、と。
さて、ならば「近い未来」の場合どうか、と。
例えば「一秒後」だとか、それくらいの「未来」なら「確定」するのでしょうか。
確かに、「時間の差」が小さいほど、「ズレ」というものは小さいのですけども。
しかしやはり「確定」ではない。何かしら、ほかの可能性が割り込んでくる。
「未来」を「現在」にし、「確定」したこととして「過去」とする。
兎に角、「未来」がこうなる、と言いきることはできないのか、と。
「無視していいほど低確率な事象」があるせいで、それはいえない。
「無視していいほど小さ」くても、やはり「100%」にはならない、と。
しかし、ある程度の「範囲」を指すのならば、「確定」もあるのかなぁ、とも。
しかし、「確定」というものは、ある「点」を通過するといった事をこそ「確定」というのであり、
「範囲」では「確定」とはいえないのではないか、とも。
行き当たりばったりで考えるとさっぱり話がまとまりませんのでこの辺で(何)
では本文。
日曜日まであと四日。
↑ネタとしてしつこい。
特に変わったこともない火曜日ですが。
つまりあまりネタがなくて困るような日で。
ここで一つ無理やりにネタを出してみます。
部活中、「数字当てゲーム」やってたんです。
オーソドックスなのは、お互い1〜9の九つの数字から三つを並べて。
同じ数字は使わないように。そして、相手の数を当てるんです。
相手から数字を言われた際、「場所」と「数字」が共に合っているものと、
「数字」は合っているが「場所」が合わないものの数を応えるんです。
自分らの間ではそれらをそれぞれ「ホームラン」と「ヒット」と言いますが。
例えば、自分の数が「765」、相手が言ってきた数が「573」だとしたら、
「5」と「7」が場所は違えど入っているので「二ヒット」になる、と。
三つがオーソドックスである理由は一番「バランス」がとれてるからだとか。
それで、五つでやってたんです。
そしたらお互い、なかなか当たらなくて(汗)
いつの間にやら部活も終了。しかし勝負がつかない。
仕方がないので対戦のためのメモ用紙を持って歩きながら続行。
暫くやって、やっとのことで勝負がつきまして。
ちなみに自分が勝ちましたがそれは関係なくて。
…周りから見たらどんなものだったのかな、と(汗)
手にメモ用紙を持ち、何かしら書き、考えて、また何かしら書き、という動作を繰り返しつつ歩いていたワケで。
端から見れば「あの人逹は何をしてるんだ」と思われるような。
意外と、こういうことって、「やってる本人達」は周りを気にしてないんだなぁ、と。
成る程これなら駅で追いかけっこをしたりするという子供たちの行動も頷ける。
「周り」から見れば、即ち「客観的」に見れば気になることも、「本人」にしたら、即ち「主観的」に見ればどうでもない、と。
しかし、やはり「客観的」な判断はできるほうがいいかと。
そんなことを思いつつ帰宅。そしてだらだらしてたら今に至る。
無理矢理ネタを作るのはあまり良くないかと思った一日。
では。

THE COSTER.

2004年6月14日
「お金」を「目的」としなくとも、最低限の「費用」はもらわなくてはならないかと思った今日この頃。
例えば「料理人」であれば、「美味しい料理を皆に食べてもらいたいから」。
しかし、やはり「料理」をするにも「お金」は要るもので、ただ「食べてもらいたいだけ」といえど、「費用」としての「お金」が最低限必要で。
ただ、どうも、世の中じゃその「最低限」とかけ離れた「値段」をとるものが多いんじゃないかと。
「独占」してることをいいことに値段をあげてみたり、とか。
それはもう、「お金」が「目的」ですよね。
ただ、「量産型」だから安いというものもありますけど。
あれも結局は多々なる「利益」をあげてるワケで。
さて、話がそれてきたんで元に戻しますけども。
「料理人」の例でいくと、「美味しいものを人に食べさせてあげたい」という思いだけではそれは作れないわけで。
そのためには最低でも「材料費」が要るワケで。
そうして作ったものを「無料」で人に食べさせていたら、いつかは尽きてしまう。
従って、「美味しいものを人に食べさせる」という行為の維持のためには、
最低でもその「原価」と同じだけの「お金」はとらなくてはならない、と。
他に仕事があったりするのなら別ですけども。
では本文。
今週も始まりました。どうにもヤな気分です(蹴)
しかし次の日曜日こそ「希望」として頑張るようにしたいかと。
ひとまず次の日曜日は休みたい。嫌というほど休みたいです。
はやく日曜日にならないですかね。
↑あと五日あるというに。
振り返れば一瞬のように感じるものも、今からじゃとても長い時間のように感じられます。
でも、現に先ず「月曜日」は終わったんですよね。
…単純計算で残りはこれの五倍か(汗)
↑そういうことばかり考えるな。
目の前のことを処理してりゃそのうち「日曜日」はきますか。そうですか。
さて、なんだか愚痴っぽい話はここまでにしておいて。
「ピアノ教室」なんですが。
きょうは久々に晴れてました。最近ずっと月曜日は雨だったもんで。
しかし、「焦り」ってものは何事においても悪い方向にしか向かないもので。
自分は特に、「間違った」と思ったときにすぐに焦るんで、なかなか困るワケで。
一度何かを弾き間違えたりすると、そこからどんどんと詰まっちゃったりするワケです。
キッカケは「最初の一回」なんですけども。それがあるかどうかで大きく変わってしまうというか。
今日のブルグミュラーの「アラベスク」、そんな感じですごいガタガタに(汗)
どんどん弾いていこうとするから駄目なんでしょうかね。
一度落ち着いてから、間違った箇所から弾き始める、とか。
兎に角「焦り」というものは禁物だと改めて感じてみたり。
「乙女の祈り」、とりあえず最初の次の二小節の弾き方を習いました。
ここから一頁目の終わりまでは同じようなものなんでできればそこまで練習しておいて下さい、と。
…同じようなものといわれても(汗)
確かに形というかなんというかとしては同じなんですけど。
でもとりあえず「やるしかない」んでしょう。
兎に角できるとこまでやってみるべきですね。
↑勉強にもそれくらいのやる気を出せ。
ところで、時間をさかのぼるんですが、駅からの帰り、小学生であろう子供にこんなこと尋ねられたんです。
「〜〜(名前)とかかれてる自転車を見ませんでしたか?」と。
…いや、例えその自転車があったとしてもそんなことがかかれてるかまで見てる人はいないかと(汗)
普通「色」とか「大きさ」とか、もっと「分かり易い」ようなことを出すんじゃないか、と。
「失踪したペットの名前」を知らされるよりは有効かも知れませんが。
対応に困りましたがとりあえず「見たことない」と応答しておきました。
すると「ご協力ありがとうございました」と。
…そういうことをいうのは警察官か何かです(汗)
普通に「ありがとうございました」とかでいいんじゃないか、と。
取り敢えずネタになることをどうもありがとうと(何)
自転車、見つかったんでしょうかねぇ。
少し和んだ一日。
では。

THE TRASHER.

2004年6月13日
「目の前のゴミ」から片付けることは有効かと思った今日この頃。
まあ、「ゴミは見つけてしまうと無視できない」ということから。
そこで、「ゴミ」を片付けたいときはどうすればいいのか、と。
取り敢えず「身の周りのゴミ」から片付けていくべきか、と。
誰もわざわざ遠いとこにあるゴミから拾って捨てはしませんし。
ただ、それだと「見えて気になってるゴミを片付けてるだけ」とも見えるワケで。
「片付けたい」のでなく、「気になったからこそ」の行為だと。
見えたゴミを片付けることで、自分が「認識」するゴミは少なくなり、自分はすっきりする、と。
別にそれでも良いのかもしれないんですが、たまに「捨てられる側」がそこに言いがかりをつけてきたりするんです。
確かに、目についたからこそ「処理」したに過ぎず、目についていないものについてはいわば「無視」してるんですが。
しかし、すべてを片付けるには先ず自分の目のつくところからやっていくべきではないのか、と。
その、自分がたまたま「処理」されてしまったからって、一見弱そうなその点に突っ込んでくるのはどうか、と。
ゴミにだって大小があって、その人にはとても処理できないものもある。
だからこそ、自分の「処理」できるゴミだけを「処理」していく。
するとそのうち少しずつ大きなゴミを処理できるようにもなる。
「できることから」やっていき、それをもって「成長」していくのが最善、ってことでしょうか。
では本文。
日曜日、なのですが。
…模試に出かけなくちゃなんないだなんてなぁ(汗)
既に何度か休日に模試を受けるって経験はしていますけれども。
やはりこれじゃあ「休んだ」って気がしません。
休み無しで二週間ですか。やってられませんて(斬)
しかし愚痴をいってても何も始まらないんで模試を受けてきました。
行く途中迷いかけたとか、はたまたトイレから教室に戻る際迷いかけたとかいうのは秘密です。
他にも色々とありましたがとりあえずそれは省略して。
帰り、友達とゲーセン行きまして。
これが模試の唯一のメリットでしょうか。リスクとつりあいませんけど。
普段、友達と待ち合わせてゲーセンに行くとかいうことは自分はしなくて。
こういうときくらいしか友達と行くことってないんです。
ところで、そこにですね、「スーパーマリオブラザーズ3」がおいてあったんです。
こんなのアーケードであったかなぁ、と思いつつ見てみると。
「15分100円」。そういえば昔、そんな制度のゲームがあったなぁ、と。
横には「星のカービィ〜夢の泉の物語〜」もあったんですけど。
それを暫く見ていて、この十年くらい全く気がつかなかったことに気がついて。
いや、知ってたのかも知れませんがすっかり忘れていたことでしょうか。
「星のカービィ〜夢の泉の物語〜」をタイトル画面で何もせず放置すると「あらすじ」が流れるということ。
こんな仕掛けもあったんだなぁ、と。
このゲーム、恐らく放りっぱなしになんてしたことがなかった気が。
大抵、電源入れて、「絵描き唄」とばして、そのままゲームを始めるんです。
まさかそんなところにこんな仕掛けが隠されてるとは、と。
↑別に隠してたワケじゃないと思う。
こういったこともあるもんですね。
さて、それから家に帰って、だらだらごろごろ。
ところで、模試の何が一番辛いかって、時間を割かれることもそうですけど、何よりも「あまり寝ていられないこと」。
模試に行くために朝、休日としては早く起きなければならないワケで。
休日って、起きてしまえば「昼寝」とかしないんです。自分の場合。
なんとなくそれは勿体無いので他のことをしてしまう、というか。
眠たくっても別のことをして過ごしてしまうワケです。だから辛い。
↑普通に昼寝すりゃいいだけのことじゃないか。
模試の日の次の日は学校を休みにしてくれるとかそんなのはないんでしょうかね(斬)
休日として過ごせてはいなかった一日。
では。

THE LEADER.

2004年6月12日
人は「導くもの」に従うかと思った今日この頃。
例えば、「道」のない場所を、ある人が進んで行った。
すると当然そこには「道」ができる。それを見ていた後の人々はその「道」を辿る。
そうなると更にその「道」は「道」らしくなり、ついにはそこを通る人は皆その「道」を通るようになる、というような。
確かに既にできた「道」を通ることは、「道なき道」を行くより容易い。
しかし、その道を辿って行き着く先は「一通り」でしかない。
だが、皆は「道」を辿る。わざわざ辛いところを通る者はいない。
その結果、皆、同じ「一通り」の場所にしか到達せず、
他の場所に到達する者は全くいない、と。
他の「道なき道」を行った先には、その「一通り」よりも良いものがあるかもしれない。
しかし、無いのかもしれない。誰もそんなリスクを背負ってまで「道なき道」を行こうとはしない。
そういったものでしょうか。
大抵の人は、「ある程度快適な環境」を与えられると、苦労してまで、みつからないかも知れない「より良い環境」を探そうとはしない。
しかし、今まで「苦労した人」がいたからこそ今のその「環境」はあるのである、と。
そうして作られた「道」を辿ることしかせず、「新しい道」を切り開こうとはしない。
そうなってしまえば終わりですけれども、現実をみると、まだまだ社会は「発展」しています。
つまり、結果が出ようと出まいと「道なき道」を行っている人は確かにいる、と。
そして、新たなる「より良い道」が見つかったら、自分達はそこに移動し、やはりそこを辿るだけ。
他人の作った道を辿り「楽」をするか、それとも自分で更なる高みを目指して「苦労」するか…
取り敢えず、「高みに行く」ための「必要条件」は「道なき道を行くこと」であるからして、
「宝くじも買わねば当たらない」というように、「道なき道を行かねば高みにも到達しない」というか。
人について楽をするか。それとも自分の道を行くか。それは己が決定することである、と(何)
では本文。
昨日辺りから鼻水が出て出てしょうがないのですが。
ポケットティッシュ一袋持って行ったんですけど、すぐに使い切って(汗)
しかしまあ、なんとか乾かしたりして一枚を三回以上使って乗り切ったんですが。
汚いですか。そうですか。
でも追い詰められたときってそれくらいしか手がなくて(何)
↑友達にもらえばいいだろうに。
ところで、中間テストの結果が返ってきたのですが。
特に何も変わったことはありませんでした。かなり悪いですけど。
そして帰宅して、あぁ、明日は休日だあ、と。
…実は休日じゃあないんですけども(汗)
明日はなんだか「校外模試」を受けに行かなくちゃなんないみたいで。
正直やってられませんって(斬)
しかし帰りにゲーセンに行くと思うんでそれを「希望」にして頑張ろうか、と。
…そんなの建前ですけど(斬)
しかし、そう思ってるうちにいつのまにかそうなってることもありますし、とりあえずそう思っとこう、と。
帰りにゲーセンに行くのは決定事項ですけど(蹴)
とりあえず明日は遅刻しないようにしなければ、と。
過去同じとこで模試があったとき、寝坊して遅刻しましたんで(汗)
今日の出来事はそんなところでしょうか。
週末だというのにあまり元気ではにはなれない一日。
では。

THE EMPATHIER.

2004年6月11日
「共通性」のある話題ってなんだろうかと思った今日この頃。
「昨日のあのテレビ番組、面白かったよね。」
こんな会話は、そのテレビ番組を見た人としかできない。
そんな風に、「話題に入るための条件」のある話題があります。
勿論、その「条件」のない話題なんてありません。
ならば、できるだけその「条件」の少ない、つまりできるだけ多くの人がその話題にはいることが可能な話題とは何か、と。
いや、自分も日記をかいてますので、ふと自分のかいた日記を見返して思ったりするんです。
「果たして、このような内容は他人にも伝わるのだろうか」と。
こうやって「公開」しているということで、あまりにも「範囲の狭い」話題はどうかなぁ、と。
例えば「身内ネタ」だとか。そんなものその「身内」にしかわからないじゃないか、と。
だからこそそういうネタはできるだけ避けているんですが、じゃあ「他人にも伝わりやすいネタ」ってなんなのか、と。
それは、「経験や心情に関すること」じゃないかと。
「月が綺麗だった」というものは、なるほど誰にでもわかりやすい。
そういった風に、例え「他人」であろうと、その「感覚」を「共有」できるようなもの。
そういった話題ってのが最も多くの人と「共鳴」できるものではないかと。
ただ、そんなネタを探そうにも、なかなかないというのが現状。
自分が見落としているだけかも知れませんが。
それだからこそといえばなんですが、自分の日記には「範囲の狭い」内容が多いワケで。
「個人の日記」であり、且つ「他人に見られる日記」でもある。
その「内容」のバランスって難しいですよね。
では本文。
先ずは今日の出来事とか。
今日の七時間目、HRが物理に変わったんです。
自分は物理の時間は先生が代わってからほぼ寝ていまして(斬)
案の定寝たんですけれども。
そのうち先生に起こされたみたいで目を開けると。
…漢字の小テスト?(汗)
どうやら、寝ている間に物理が終わり、終礼が始まってたようで。
チャイムどころか、皆が起立して例をしているのにも気付かず寝ていたとは(汗)
周りの人も起こしてくれませんでしたし。
因みに漢字テストは撃沈しました。寝てたからではなくやってなかったからで(斬)
しかしそれほど深く寝たのは久々な気がします。
さて、そのあと部活へ行ったのですが。
途中、校内放送で、台風が近づいてるとかなんだとかでなるべく帰れというものが。
しかし、部活は続行。「なるべく」帰れ、ですし。
「モンキーハンティング」の実験準備をしてました。
それで空気銃みたいなものを使うんですけど、なかなかうまく的に当たらなくて。
結局そのうち的でなく人を狙ってみたり、球を打とうとしてみたりしだすのがオチで。
それはそれで面白かったんですけど。
とりあえず撮影は来週ということにして解散。
あることに少し期待しつつ帰宅。
今日はあるCDが届いてる筈なんです。
しかし帰ってもCDは届いてなくて。
母に訊くと、届けにきたときに誰も家にいなかったらしくて。
もう一度届けてもらうよういったからそのうちくるだろう、と。
そこそこ楽しみにしつつパソコンに向かってました。
暫くして届きました。「begin」っていうCD。
DDRのボーカリストオーディションより発祥したグループ、
「BeForU」のメンバーの一人、「小坂りゆ」のCDでありますが。
最近は他音ゲーとかにも進出したり色々と「変化」を遂げていて、
DDRで知った自分としては色々と複雑な気持ちであるものの、取り敢えず買っておきました。
今回、DDRの他の曲をこのCDのために作りなおした曲が入ってるので、それを聴くためだけでも値打ちがあるかな、と。
そこで一つ感想なんですが、元が「CRASH!」っていう、男性ボーカルの曲である曲があったんです。
なんだかこういうのって「違和感」感じませんかね。
男性ボーカル曲を女性が歌うっての。逆も然り。
先に聴いたのが男性ボーカルであるから、その「イメージ」が染み付いてるからなのかもしれませんけど。
元曲のほうが渋いというかなんというかで良いなあ、と。
さて、一部の人にしかわからないような話題はここらで終わらせまして。
↑他の話題だってそんなものであるくせに。
家ではひとまずそれを聴いて、あとはいつもの如くだらだらと。
ところで、「台風」ってもう通りすぎたんでしょうかね(何)
眠気が溜まってきた一日。
では。

THE IDENTITIER.

2004年6月10日
「自分らしさ」ってどういうものかと考えた今日この頃。
「個性」だとか、そういった言葉で置き換えられるそれ。
それは果たして、どういったものなのか、と。
「他人と違う点」というのも少し違う。
「自分だけが持つもの」というのも少し違う。
そしてそれは、「内」に存在するものだ、と。
「外」に表れているものは、単なる「特徴」だとかに過ぎない。
本当の「自分らしさ」とは、「内」にある。
また、「個性がない」人はいない。
「個性が見えにくい」人はいるかもしれない。
なにせそれは、「内」に存在するものなのだから。
また、それは自分で「意識して作り上げる」ものではない。
それは、極めて自然に、自分に身についていく。
そして、それは「出る」ときには極めて自然に表に出る。
自然過ぎて、自信ではそれが「自分らしさ」だとはわかっていない。
自分が「これが自分の自分らしさだ」と思うようなことは、大抵違っている。
それは、あまりにも自然に、尚且つ確実に、自分の身に染み込んでいる。
それを見つけるには、「自分」というものを、「主観的」でなく「客観的」に見ることが必要だが、それはきわめて難しい。
そんなものが、「自分らしさ」なのではないか、と。
では本文。
昨日「自習室」でやってた「小テスト」への予習。
今回も「報われた」というか、「実を結んだ」ようです。
しかし多分「一時的な記憶」なんで、テストとかそういうときには忘れてるかも。
…こういうのもある種の「点取り虫」ですか(汗)
「小テスト」を免れただけで、以降のテストには繋がらない、と。
でも、「10」覚えればせめて「1」は頭に入ってるでしょうから。
つまりやった分の一割は繋がるでしょうから、「無意味」ともいえないワケで。
さて、その話題は取り敢えずおいときまして。
今日も自習室で宿題など片付けて帰りました。
自習室って便利です。自分みたいに家で勉強できないグータラにとってはとても。
↑家でやろうとしろ。
それで、駅で電車を待ってたんですけども。
最後尾のほう、つまり電車が最も速いスピードで通るところなんですが。
電車が来るというアナウンスのあと、自分の後ろにいたらしい男性が急に白線あたりまで足を進めて。
こういうとき、自分、すごいこわいというか、オドオドするんです。
「この人、飛び込みやしないか」と。そんなことでこわがるの自分しかいませんか。
そして電車が来るワケで。その瞬間がこわさの頂点というか、「次の瞬間」が来るのがこわいというか。
ましてや今回、その男性、何故か電車が来ると同時に手を前に出したんで、ホントにどうしようかと思いました。
結局単なる杞憂だったんですけども。
男性からすると、じっと自分を見てくるこの高校生のほうがこわかったのかも知れませんが。
そういった、「無駄」な動揺ってどうすりゃ抑えられるもんか、と。
そりゃ「知らない」ということが一番良いのですが。
「知ってしまった」、或いは「思ってしまった」場合、もう抑えられないようで。
目を閉じようと、耳を塞ごうと、その「瞬間」がなんだかこわい、と。
自分は小心者ですから余計に。
そして特に何もなく家に帰り着いて。
だらだらしてたらこんな時間になってました。
「わからない」ことへの恐怖にかられた一日。
では。

THE PUBLICER.

2004年6月8日
「私」が「公」を蝕んでいないかと思った今日この頃。
まあ、「公私混同」とはよく使われる言葉ですが。
「公」に「私」を持ちこむ、というのが問題になっているのです。
「私」に「公」を持ちこむのが問題になってるってのはきいたことがなく。
寧ろそんなことはあるのかと思うのですが。
「公」も「私」も、「場合」によって変わるものです。
しかし、殆どの場合において「公」だというものがあります。
大体、「外の世界」というものは「公」です。
「電車」だとか、「遊園地」だとか、そういったものはほぼ「公」なのです。
そんな中に「私」を持ちこむってのが迷惑なんです。
「私」というのはいわゆる「制約のないもの」というか、「公」と比べて自由です。
さて、「電車内」での「座りこみ」だとか、「喫煙」だとか、それは「公」を「私」で汚しているんです。「迷惑」です。
「公」ではなるべく「私」を抑えこみ、「公」に従え、と。
ただ、やはりそんなもの、人間が勝手に作った「区別」ですから、破ろうと思えばいくらでも破れます。
逆に、守ろうと思えばいくらでも守れる筈、です。
まあ、人通りのあまりない場所において「私」なことをするのはまだいいとして、
そういった、周りが殆ど「公」であるところで「私」を全開にするのはどうか、と。
「迷惑の程度」で比べるものじゃないんですが、やはり大きければ大きいほど悪いと思うんです。
最近はその、「公」の意識が薄れ過ぎな人が増えてるんじゃないか、と。
「公」は皆「共通」です。しかし「私」は各々「違う」。
皆が「公」に当てはまっているならまだしも、
皆が皆「私」ばかりだしてたら、「社会」は成立しないんです。
「私」という同じ言葉で括っていますが、それぞれ違うんです。
「私」なんて、便宜上の「字」で、ある意味「変数」に近いんです。
まあ、「公」の場ではせめて「公」の範囲内で行動して欲しい、と。
ところでこの「ネット上」って「公」なのか「私」なのか(何)
では本文。
日曜日まであと五日ですかね。
↑気がはやい。
なんだか昨日の疲れがきたのか知らないんですが、朝やたらとだるかったんです。
しかし朝は大抵そんなもんなのでこれといっておかしくもないか、と。
実際、時間が経つにつれそういうのもなくなっていきましたし。
今日は部活がありました。そのため居残り学習は免除。
宿題が残ってたら駄目だったんでしょうけど、最近は自習室を活用して仕上げているので大丈夫で。
そして部活内容なんですが。
…数学。何故か自分が講師役で(汗)
最近の形式がこれなんです。誰か一人が授業形式で色々と説明をする、と。
しかしやはり、「人に説明する」となると、「自分で理解する」とはまた違った難しさがあるもので。
問題の解き方が「直感」だとかそんなのでは駄目で、人に説明できるような「根拠」というかなんというかを確立しながら解かねばならない、と。
しかしその分自分の理解も深まる。ある意味良いやり方なのかと。
ところで、チョークを使って板書するのって辛いと、機会があるたびに思うんですが。
ノートとかと違って、垂直な面に書かなくちゃならないからなんでしょうかね。
焦ってたせいかしょっちゅう書き間違えてましたし…(汗)
それでもなんとか「授業」は終了し、帰りました。
しかし、こういう「立場」にあるときって、いつもはわかんないような式の意味がすんなりわかっちゃうとかそういう「不思議」なことがあるワケで。
「窮鼠猫を噛む」というか、「追い詰められての能力向上」みたいなものなのでしょうか。
家に帰ってからは「いつも通り」でした。
時間が経てば経つほど面白味が増した一日。
では。

THE AFFECTER.

2004年6月7日
「影響」は事前に「予測」できないのかと思った今日この頃。
昔、「煙草の害」なんて考えられていませんでした。
そのように、今でも、そう、「昔」と比べて「発展」したはずの「今」でも、
ある種の「影響」というものは「予測」できないのです。
例えば「今の情報では処理できないこと」。
「携帯電話の電波が脳に影響を与えているかどうか」は今はわからないんです。
こういうのって、「やってみて初めてわかる」ことだったり、「長い年月をおいてわかる」ことだったりするんです。
例えば「クローン人間」、あれだって「作った」として、はじめのうちは何がどうなっていくかなんてわかんないんです。
若し「異変」があったとして、それは「数十年後」に出ることなのかもしれませんし。
あと、もう一つは「人間の精神面に影響すること」。
「子供にインターネットという環境を与える」だとか、そんなこと。
「精神」なんて、個々で違いますし、即ち「影響」も個々で違うんです。
だからこそ、一概に「予測」はできない、と。
しかし、「梨下で冠を正さず」というような言葉(漢字自信無し)があるように、
「悪影響のある可能性のあるものは排除する」ことくらいはできるのではないかと。
しかし、「何が悪影響で何がそうでないか」なんてわからないからできない。
結局、「影響」なんてものは、「未来」といっしょで、
「ある程度までは予測できようがそのときがくるまでわからない」ものなのでしょうか、と。
では本文。
今日は「修養行事」がありました。
「薬師寺」及び「法隆寺」を参拝したり色々とする、というもので。
感想からいうと、意外と面白かったです。「修養行事」なのに。
「行事」自体が楽しかったってワケじゃないんですがね。
そこらへんをつらつらとかき連ねていきたいかと。
先ず、行きのバスの中でバッチリと睡眠をとっておきました(斬)
「薬師寺」参拝。特に面白味はありませんでした。
それから「法隆寺」へ移動。記念写真を撮るとき、空を見たら怪しいとしかいえない雲が。
…あんな速さで移動する黒雲を見たのは初めてな気が(汗)
黒煙か何かが風にあおられているように見えました。そんな感じの速さ。
そして案の定ポツポツと、黒雲は雨になって降ってきて。
待機場所についたときにはある程度強くなってきたし各自雨具を出して。
…ところでなんで自分はカッパを持ってきたんでしょうね(汗)
朝、折り畳み傘を入れようとしたら母が既に雨ガッパを入れてくれてたんで、折り畳み傘は入れなかったんです。
どうせ降らないだろうと思ってたので。
勿論天気予報で「降る可能性は大きい」と言ってたことなんて知りませんから。
話に戻って、せっせとカッパを着込んだ自分なのですが。
…周りにカッパが一人もいないんですけど(汗)
皆折り畳み傘もしくは傘ですよ。どうしたことかと。
理由は単純でした。しおりに「雨具(折り畳み傘)」ってかいてました。
↑それくらい確認しとけ。
でも別に注意とかはされませんでした。周りにネタにされただけでした。
しかし待機が長い。その間も雨は強まる一方。
道の横に流れてた川みたいなとこが何時の間にか濁流になってましたし。
そのうち待機場所から室内へ移動したのですが。
先生方が傘袋を配ってたんです。
…カッパ袋ってないですかね?(汗)
↑あるはずがないだろうに。
とりあえず丸めて元々入ってた袋に無理矢理詰め込んでおきました。
↑少しは折り畳むことを考えろ。
それからは降っても小雨程度だったんで、カッパを出すのも面倒だしそのままで移動してたんですが。
帰り。相変わらずの「家に帰るまでが修養行事です」という台詞をきいて、各々の帰路につきました。
そして家の最寄駅につき、外に出たら小雨。
これくらいなら普通に帰れるかと思い、普通に帰ろうとした矢先。
…雨が時間と比例して強くなっていきまして(汗)
酷い雨です。強くなっていくのを陸橋の下で確認できたからこそ余裕を持ってカッパをきれたようなもので。
結局、ちっとも使わないと思ってたカッパが大活躍です。「備え有れば憂い無し」とでもいうか。
しかし、カッパって足が無防備なんです。
よって、歩いてると足にどうしても雨が当たって。
…家に帰る頃にはびしょびしょになってて(汗)
靴なんてもう水浸しって感じです。今から洗って乾かしても大差ないというくらい。
ところで結局何をかきたかったんでしょうかね。
兎に角「変則的な豪雨がきた」とでも。
「ピアノ教室」に行くときには小雨になってたんで良かったんですけれども。
「ピアノ教室」、なんか最初に三択クイズを出されました。
先生が引いた曲の作曲者を次から選べっていうもの。
「ベートーベン」、「ショパン」、「バッハ」。
曲がなんだか前者二人が作曲したと考えると余りにも緩やかなので「バッハ」と。
当たってました。「直感」っていうものは意外と便りになるもので。
それからその三人を年代の古い順に答えられるか、とも。
…これも「直感」で当たっちゃったんですが(汗)
答えは「バッハ」、「ベートーベン」、「ショパン」です。
こういうとき、「知ってた?」と訊かれたらなかなか返答に困りますよね…(何)
しかしこういう「直感」って、何かしら「根拠」があるんでしょうかね。
さて、ここらへんで話をきって。
それからダイエーで遊んで帰りまして。
家に帰って相変わらずだらだらとしていたら夜も更けて今に至りました。
明日からどうしようかと思った一日。
では。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索