THE DETAILER.
2004年8月3日「大きいもの」としてみるのは危険かと思った今日この頃。
以前、「大きなものも小さな要素からできている」ということをかいた気がします。
今回はその逆で、「小さな要素」をまとめて「大きなもの」にしてしまうということ。
「小さな要素」に共通点があるからといって、それらをまとめて「大きなもの」にするのは問題がある。
そうやって「一つ」になったところで、「処理」はできない。
「多数」あれども、確実に「処理」ができるほうが良い、と。
例えば、「環境問題」。これももう、「大き過ぎ」て何をすればいいのかわからない。
しかし「要素」に分けると「多過ぎ」る。しかし一つ一つ処理することは出来る。
でもこの場合、「要素」が複雑に絡み合ってて、「一つ」だけを抽出することは出来ないんですよね。
しかし、「大きすぎる一つ」が一気に解決するとは思えない。
そういうことというのは、結構あるものです。
元々は「小さな要素」だったものを、勝手に「大きなもの」とみてしまう。
そうなるとまたそれを「小さな要素」に分ける作業が必要となり、いわゆる二度手間になる。
ある程度「まとめる」のもいいんですけど、どういう「要素」で構成されているかを忘れずに。
「要素」を見失ったとき、それは一気に「厄介なもの」へと変身する(何)
では本文。
泊り込みで宿題を終わらせようという試み、第一日目。
…スイマセン、ほとんど何も進んでないです(汗)
世界史の追試の課題をやったら力尽きまして(蹴)
資料集を見ながら穴埋めなんて自分には辛いですよ。
しかも「材料」は数ページにわたり、バラバラになって散らばってますし。
数箇所見つからないんでてきとうに埋めといたんですが、まあいいでしょう(斬)
さて、それだけで力尽きてパソコンに向かっていた自分ですが。
今日はもうスッパリと諦めて明日から頑張ろう、と。
そして、「明日から頑張る」ために、宿題をリストアップして予定を立ててみたんですが。
…何ですかコレは(汗)
おおよその時間を計算してみると、これから四日間寝るなという結果に(汗)
でも大概、自分の計算より短い時間で終わるんで大丈夫、なんでしょうかね?
今日一日サボったことが、どうやらこの修羅場をうんだみたいで。
しかし一応「予備日」もあるんで、そこまで無理をする必要はないか、と。
第一眠らなかったらその分「作業率」減りますし(汗)
結局のところ、今日の成果は「追試課題完成」と「予定決定」で。
…これから四日間、並大抵でない「覚悟」が必要ですね(汗)
一日30時間くらいあってもギリギリですかねぇ。まさに「修羅場」。
明日の日記のかき出しはどうなることやら。
たかが一日、されど一日なんだなと思った一日。
では。
以前、「大きなものも小さな要素からできている」ということをかいた気がします。
今回はその逆で、「小さな要素」をまとめて「大きなもの」にしてしまうということ。
「小さな要素」に共通点があるからといって、それらをまとめて「大きなもの」にするのは問題がある。
そうやって「一つ」になったところで、「処理」はできない。
「多数」あれども、確実に「処理」ができるほうが良い、と。
例えば、「環境問題」。これももう、「大き過ぎ」て何をすればいいのかわからない。
しかし「要素」に分けると「多過ぎ」る。しかし一つ一つ処理することは出来る。
でもこの場合、「要素」が複雑に絡み合ってて、「一つ」だけを抽出することは出来ないんですよね。
しかし、「大きすぎる一つ」が一気に解決するとは思えない。
そういうことというのは、結構あるものです。
元々は「小さな要素」だったものを、勝手に「大きなもの」とみてしまう。
そうなるとまたそれを「小さな要素」に分ける作業が必要となり、いわゆる二度手間になる。
ある程度「まとめる」のもいいんですけど、どういう「要素」で構成されているかを忘れずに。
「要素」を見失ったとき、それは一気に「厄介なもの」へと変身する(何)
では本文。
泊り込みで宿題を終わらせようという試み、第一日目。
…スイマセン、ほとんど何も進んでないです(汗)
世界史の追試の課題をやったら力尽きまして(蹴)
資料集を見ながら穴埋めなんて自分には辛いですよ。
しかも「材料」は数ページにわたり、バラバラになって散らばってますし。
数箇所見つからないんでてきとうに埋めといたんですが、まあいいでしょう(斬)
さて、それだけで力尽きてパソコンに向かっていた自分ですが。
今日はもうスッパリと諦めて明日から頑張ろう、と。
そして、「明日から頑張る」ために、宿題をリストアップして予定を立ててみたんですが。
…何ですかコレは(汗)
おおよその時間を計算してみると、これから四日間寝るなという結果に(汗)
でも大概、自分の計算より短い時間で終わるんで大丈夫、なんでしょうかね?
今日一日サボったことが、どうやらこの修羅場をうんだみたいで。
しかし一応「予備日」もあるんで、そこまで無理をする必要はないか、と。
第一眠らなかったらその分「作業率」減りますし(汗)
結局のところ、今日の成果は「追試課題完成」と「予定決定」で。
…これから四日間、並大抵でない「覚悟」が必要ですね(汗)
一日30時間くらいあってもギリギリですかねぇ。まさに「修羅場」。
明日の日記のかき出しはどうなることやら。
たかが一日、されど一日なんだなと思った一日。
では。
THE MODERATER.
2004年8月2日「過ぎた」ことは変えられないと思った今日この頃。
「過去」にやってしまった間違いは、「今」どうやったって間違いのままでして。
「今」何をしようとも、「過去」を変えることはできない。
だからこそ「過去」に対しては「後悔」することしかできない。
しかし、「未来」に関しては、「今」からの行動で変えることができる。
変えられない「過去」を嘆くよりは、変えられる「未来」を考えよう、と。
だが、いくら変えたところで「戻れない」ものがある。
しかしそれを乗り越え、「未来」にある「希望」へと向かう。
「過去」をきっぱり忘れ去るのは良いとはいえない。
かといって「過去」にずっとしがみついてもならない。
「過去」をみようとも、みやずとも全ては「変化」してゆく。
「過去」を適度に振り返りつつ、「未来」へと前向きに歩いて行くのが良いのか、と。
まあ、その「適度」ってのが一番難しいんですけど(何)
では本文。
昼過ぎまで寝てました。
長期休暇って生活リズムが思いっきり狂うんです。
昼夜逆転とまではいきませんが、コツコツコツコツと少しずつズレていく。
海行きが延期され、丁度一週間後にあるんでなんとかそれを巻き戻さないとな、と。
しかし一週間後というと丁度ピアノ教室とかぶっゃうんですよね。
最初はそれで行こうか行くまいかと決め兼ねてたんですが、
母に「海なんて滅多にないことやし、休んで行っといで」と言われたことで行くことに決めました。
全てはあの台風のせいです。そりゃ31日が休みになったのは嬉しかったけどですね。
やっぱり、30日に海へ行き、31日に登校し、来週のピアノ教室にも行けるってのが最も良いハズで。
過ぎ去ったことをウダウダいうのもアレなんでそろそろとめときますが。
ところで、来週は雨天でない限りピアノ教室を休むのですけれども。
よく考えたらその次の週もピアノ教室が休み。
更にはその翌週は丁度勉強合宿から帰ってくる日。
…三週連続休みという危険が(汗)
発表会も近いというのに大変です自分。
さて、そんな先の危険からはひとまず目を逸らしまして。
今日から自分は暫く祖父宅へ泊まりにいくことになります。
長期休暇恒例といえば恒例なんですが、宿題の処理のためです。
毎度毎度宿題を処理するどころか遊んで帰ってくるのがオチですが、今回はそうもいかない。
母に「宿題ができていなければ海へは行かせない」と言われたもんですから(汗)
なぜだかそういうことになると必死になる自分。
終わらせたら海へは行けるしその後は宿題を気にせずに遊べるし一石二鳥だとも考えてみて。
…でも宿題は宿題なんですよね。辛い(汗)
海へ行く日までに残された猶予は六日間。うち一日はその準備に費やすとして五日間。
果たして無事に終えることができるのか、と。
…できなかったらできなかったで有耶無耶にしますが(斬)
海へ行きたいという気持ちがやる気にさせるか、
それとも「どうせやってなくても行かせてくれる」という邪心がそのやる気を消すか。
この五日間が勝負です。
今までちょっとでもやっていればよかったと悔いた一日。
では。
「過去」にやってしまった間違いは、「今」どうやったって間違いのままでして。
「今」何をしようとも、「過去」を変えることはできない。
だからこそ「過去」に対しては「後悔」することしかできない。
しかし、「未来」に関しては、「今」からの行動で変えることができる。
変えられない「過去」を嘆くよりは、変えられる「未来」を考えよう、と。
だが、いくら変えたところで「戻れない」ものがある。
しかしそれを乗り越え、「未来」にある「希望」へと向かう。
「過去」をきっぱり忘れ去るのは良いとはいえない。
かといって「過去」にずっとしがみついてもならない。
「過去」をみようとも、みやずとも全ては「変化」してゆく。
「過去」を適度に振り返りつつ、「未来」へと前向きに歩いて行くのが良いのか、と。
まあ、その「適度」ってのが一番難しいんですけど(何)
では本文。
昼過ぎまで寝てました。
長期休暇って生活リズムが思いっきり狂うんです。
昼夜逆転とまではいきませんが、コツコツコツコツと少しずつズレていく。
海行きが延期され、丁度一週間後にあるんでなんとかそれを巻き戻さないとな、と。
しかし一週間後というと丁度ピアノ教室とかぶっゃうんですよね。
最初はそれで行こうか行くまいかと決め兼ねてたんですが、
母に「海なんて滅多にないことやし、休んで行っといで」と言われたことで行くことに決めました。
全てはあの台風のせいです。そりゃ31日が休みになったのは嬉しかったけどですね。
やっぱり、30日に海へ行き、31日に登校し、来週のピアノ教室にも行けるってのが最も良いハズで。
過ぎ去ったことをウダウダいうのもアレなんでそろそろとめときますが。
ところで、来週は雨天でない限りピアノ教室を休むのですけれども。
よく考えたらその次の週もピアノ教室が休み。
更にはその翌週は丁度勉強合宿から帰ってくる日。
…三週連続休みという危険が(汗)
発表会も近いというのに大変です自分。
さて、そんな先の危険からはひとまず目を逸らしまして。
今日から自分は暫く祖父宅へ泊まりにいくことになります。
長期休暇恒例といえば恒例なんですが、宿題の処理のためです。
毎度毎度宿題を処理するどころか遊んで帰ってくるのがオチですが、今回はそうもいかない。
母に「宿題ができていなければ海へは行かせない」と言われたもんですから(汗)
なぜだかそういうことになると必死になる自分。
終わらせたら海へは行けるしその後は宿題を気にせずに遊べるし一石二鳥だとも考えてみて。
…でも宿題は宿題なんですよね。辛い(汗)
海へ行く日までに残された猶予は六日間。うち一日はその準備に費やすとして五日間。
果たして無事に終えることができるのか、と。
…できなかったらできなかったで有耶無耶にしますが(斬)
海へ行きたいという気持ちがやる気にさせるか、
それとも「どうせやってなくても行かせてくれる」という邪心がそのやる気を消すか。
この五日間が勝負です。
今までちょっとでもやっていればよかったと悔いた一日。
では。
THE RESETTER.
2004年8月1日今月の「目標」を掲げてみる今日この頃。
結局先月も、「も」というか先月は散々だったのですが。
暇な時間があり過ぎるってのがかえって日記をかくのを妨害したようで。
「時間がある」云々じゃぁないんです。やっぱり「ネタ」あってこその「日記」です。
時間がいくらあっても「ネタ」がなけりゃ始まらない。
逆にいうと、時間がなくとも「ネタ」があればかきたくなる。
その「かきたい」って気持ちがやはり肝心かなぁ、と。
かきたくもない出来事は「日記」にかいたりはしない。
大抵の人は、日記には「面白かったこと」をかくもんです。
「事実」を記すとき以外、すすんで面白くないことをかこうとする人はまずいない。
まあ、そんなワケで、今月はそういった「面白いこと」に取り組みたいかと。
「夏休み」とかって、ついつい無駄に過ごしがちですからね。
「目標」は依然変わりなく「毎日日記をかくこと」です。
では本文。
昨日祖父宅に泊まることになった自分ですが。
特に変わったことは何もありませんでした。
朝起きて、だらだらとして迎えにきてもらうのを待ってたくらいで。
さて、迎えにきてもらって、そのついでに近くの少し大きなショッピングモールというかなんというかなとこへ行きました。
ショッピングモールというか、「色々な店が集まっているところ」で。古本屋とかスーパーとか銭湯とか。
そこの本屋で気になるものを見つけたんで購入。
本の名は「世界の算数パズル」か何か。
中身はその題の通り、世界各地の単純なボードゲーム(五目並べといったようなもの)がのってまして。
これは部活で使えそうだなぁ、と。丁度文化祭で展示するパズルで、新しいものを探してたんで。
それだけの話です。単なる私事です。
話は変わって、そこにあるお好み焼き屋で夕食を。
席について暫くし、変わったことに気づきまして。
いや、ドリンクバーにソフトクリームが含まれてるとかそんなんでなくて。
テーブル毎に「ご意見ノート」が置かれている。
普通、こんなことしないだろう、と。
思ったとおり、二件しか意見が書き込まれていない。
弟が書き込んだんで三件になりましたけども(何)
これ、一冊一冊見るのも大変だろうな、と。
意見を書く紙かなんかを置いといて、レジ近くに集める箱置いとけばいいのに、と。
でも確かに、それよりは気軽に書き込めるかとも思ってみたり。
少し変わってるなと思ったんでとりあげてみたまでです。
無駄なネタが多いのですが、こうでもしないと日記がかけない日でした。
のっけからコケかけてるじゃないかと思った一日。
では。
結局先月も、「も」というか先月は散々だったのですが。
暇な時間があり過ぎるってのがかえって日記をかくのを妨害したようで。
「時間がある」云々じゃぁないんです。やっぱり「ネタ」あってこその「日記」です。
時間がいくらあっても「ネタ」がなけりゃ始まらない。
逆にいうと、時間がなくとも「ネタ」があればかきたくなる。
その「かきたい」って気持ちがやはり肝心かなぁ、と。
かきたくもない出来事は「日記」にかいたりはしない。
大抵の人は、日記には「面白かったこと」をかくもんです。
「事実」を記すとき以外、すすんで面白くないことをかこうとする人はまずいない。
まあ、そんなワケで、今月はそういった「面白いこと」に取り組みたいかと。
「夏休み」とかって、ついつい無駄に過ごしがちですからね。
「目標」は依然変わりなく「毎日日記をかくこと」です。
では本文。
昨日祖父宅に泊まることになった自分ですが。
特に変わったことは何もありませんでした。
朝起きて、だらだらとして迎えにきてもらうのを待ってたくらいで。
さて、迎えにきてもらって、そのついでに近くの少し大きなショッピングモールというかなんというかなとこへ行きました。
ショッピングモールというか、「色々な店が集まっているところ」で。古本屋とかスーパーとか銭湯とか。
そこの本屋で気になるものを見つけたんで購入。
本の名は「世界の算数パズル」か何か。
中身はその題の通り、世界各地の単純なボードゲーム(五目並べといったようなもの)がのってまして。
これは部活で使えそうだなぁ、と。丁度文化祭で展示するパズルで、新しいものを探してたんで。
それだけの話です。単なる私事です。
話は変わって、そこにあるお好み焼き屋で夕食を。
席について暫くし、変わったことに気づきまして。
いや、ドリンクバーにソフトクリームが含まれてるとかそんなんでなくて。
テーブル毎に「ご意見ノート」が置かれている。
普通、こんなことしないだろう、と。
思ったとおり、二件しか意見が書き込まれていない。
弟が書き込んだんで三件になりましたけども(何)
これ、一冊一冊見るのも大変だろうな、と。
意見を書く紙かなんかを置いといて、レジ近くに集める箱置いとけばいいのに、と。
でも確かに、それよりは気軽に書き込めるかとも思ってみたり。
少し変わってるなと思ったんでとりあげてみたまでです。
無駄なネタが多いのですが、こうでもしないと日記がかけない日でした。
のっけからコケかけてるじゃないかと思った一日。
では。
THE CURIOSITIER.
2004年7月30日「好奇心」は「恐怖」を克服するかと思った今日この頃。
例えば、「子供は台風等がくると好んで外に出たがる」という事例。
こういうとき、「外」ってのは「危険」で、普通は恐れるべきことであり。
しかし、「子供」はそれを恐れない。
それは「危険だとは知っていても危険だとは感じない」からだと思うのであり。
いくら周囲が「危険だ」といおうと、本人がそう「感じ」なければ「危険」だとは認知しない。
子供はそれが「危険」だとわかっていない。だから「恐怖」を感じず外へ出れる。
実際、「危険」というのは単なる一般の見解で、「確実に何か起こる」って事じゃないですし。
あと、それってある意味「好奇心」だと思うんです。
周囲が「危険だ」という事に対し、「どう危険なんだろう」と思ったがための行動。
寧ろ、自分は「危険」とは感じないから、「本当に危険なのか?」と思ったがための行動でしょうか。
そしてそこで無事「危険」な目に遭わずに戻ってきた子供は、そのことに「危険」は感じず、「恐怖」も感じないままだ、と。
溺れた子供が水を恐がるように、「危険」を体験しなかった子供は「危険」ということを恐れない。
ある意味、その「本当に危険なのか?」と思う「好奇心」が、
「危険」ということを信じず、それが「恐怖」を打ち消しているのではないか、と。
「打ち消す」というより、「生じさせない」というか(何)
では本文。
海へ行くのは延期されたワケで。
いつも通りだらっとしていた自分に一本の電話が。
…担任の先生かららしいんですけど(汗)
日頃の行いが悪いぶん、何かと身に覚えがあるから恐い。
しかし大体、そんなことでかかってくることはないんです。
今回だって結局明日の登校が台風接近のためなしっていう電話でしたし。
…明日の登校がなくなった?
これは不幸中の幸いってやつか。やれ嬉しや、と(何)
しかし、緊急連絡網を使うなんて事は初めてでしょうかね。
でも何故先生から自分にかかってきたのかというと。
自分の前の二人は前々からその日登校できないと連絡を受けてたので、連絡する必要がなかったんだとか。
そして自分も次の人に電話をして伝言を。
…留守電じゃないですか(汗)
困った事に、留守電の「ピーッ」って音が鳴ってから、頭が何故か真っ白になって。
自分は何をすべきだったのか思い出しつつ、しどろもどろ伝言を。
その結果、伝言に失敗(汗)
こういうとき、なんとなくもう一度かけ直すのって気が引けたりして。
すっかり電話する気をなくしたというか、
むしろ電話をかける自信をなくした自分自身と格闘しつつ半時間ほど後にかけ直して。
そうすると幸運にも留守電でなく本人が出て、用件を伝えました。
失敗した留守電への伝言がまだ聞かれてないってのもよかった。
一言一言の間に数秒の空白があるメッセージなんて怪しい以外のなにものでもないんで(汗)
しかし連絡網を回すだけでなんでこんなに精神が疲れるかね自分。
ところで風が強い。台風の影響ですねこれは。
少なくとも海へ行くのに適した天候じゃないです。
窓の外でゴウゴウと音がしますし(汗)
でも「台風」だし、別にこれくらいの風がふいても驚くほどの事ではないか、と。
少し刺激が入った一日。
では。
例えば、「子供は台風等がくると好んで外に出たがる」という事例。
こういうとき、「外」ってのは「危険」で、普通は恐れるべきことであり。
しかし、「子供」はそれを恐れない。
それは「危険だとは知っていても危険だとは感じない」からだと思うのであり。
いくら周囲が「危険だ」といおうと、本人がそう「感じ」なければ「危険」だとは認知しない。
子供はそれが「危険」だとわかっていない。だから「恐怖」を感じず外へ出れる。
実際、「危険」というのは単なる一般の見解で、「確実に何か起こる」って事じゃないですし。
あと、それってある意味「好奇心」だと思うんです。
周囲が「危険だ」という事に対し、「どう危険なんだろう」と思ったがための行動。
寧ろ、自分は「危険」とは感じないから、「本当に危険なのか?」と思ったがための行動でしょうか。
そしてそこで無事「危険」な目に遭わずに戻ってきた子供は、そのことに「危険」は感じず、「恐怖」も感じないままだ、と。
溺れた子供が水を恐がるように、「危険」を体験しなかった子供は「危険」ということを恐れない。
ある意味、その「本当に危険なのか?」と思う「好奇心」が、
「危険」ということを信じず、それが「恐怖」を打ち消しているのではないか、と。
「打ち消す」というより、「生じさせない」というか(何)
では本文。
海へ行くのは延期されたワケで。
いつも通りだらっとしていた自分に一本の電話が。
…担任の先生かららしいんですけど(汗)
日頃の行いが悪いぶん、何かと身に覚えがあるから恐い。
しかし大体、そんなことでかかってくることはないんです。
今回だって結局明日の登校が台風接近のためなしっていう電話でしたし。
…明日の登校がなくなった?
これは不幸中の幸いってやつか。やれ嬉しや、と(何)
しかし、緊急連絡網を使うなんて事は初めてでしょうかね。
でも何故先生から自分にかかってきたのかというと。
自分の前の二人は前々からその日登校できないと連絡を受けてたので、連絡する必要がなかったんだとか。
そして自分も次の人に電話をして伝言を。
…留守電じゃないですか(汗)
困った事に、留守電の「ピーッ」って音が鳴ってから、頭が何故か真っ白になって。
自分は何をすべきだったのか思い出しつつ、しどろもどろ伝言を。
その結果、伝言に失敗(汗)
こういうとき、なんとなくもう一度かけ直すのって気が引けたりして。
すっかり電話する気をなくしたというか、
むしろ電話をかける自信をなくした自分自身と格闘しつつ半時間ほど後にかけ直して。
そうすると幸運にも留守電でなく本人が出て、用件を伝えました。
失敗した留守電への伝言がまだ聞かれてないってのもよかった。
一言一言の間に数秒の空白があるメッセージなんて怪しい以外のなにものでもないんで(汗)
しかし連絡網を回すだけでなんでこんなに精神が疲れるかね自分。
ところで風が強い。台風の影響ですねこれは。
少なくとも海へ行くのに適した天候じゃないです。
窓の外でゴウゴウと音がしますし(汗)
でも「台風」だし、別にこれくらいの風がふいても驚くほどの事ではないか、と。
少し刺激が入った一日。
では。
THE NEUTRALITIER.
2004年7月27日何かと「中立」の者が一番多いのではないかと思った今日この頃。
「中立」といえば少し御幣もあるんでしょうけど。
「あることにたいし、AかBか」と問われて、「どちらでも」と答えるような、
そのことに関心がない、どちらか決め兼ねている、といったような状態。
そんな人が増えているというか、どちらか決断する人より多いんじゃないか、と。
「選べる人」は、その選んだものに明確な理由をもって選んでいます。
「ああもう、めんどくさいしこっちでいいや」というような人は「選べる人」ではありません。
「選べない人」はそのことに関心を持っておらず、選択したところで何かあるのか、というような。
そして、「数」があったほうが有利となるものの場合、「ある事」がおきます。
それが、今時よくある戦法というか、「中立の者」を引き込むということ。
「中立の者」は、無関心なだけに、別の要素で簡単に引き込めるんです。
例えば、「これを選べばこんないいことが有りますよ。」とか。
すると、「どうせどっちでもいいし、こっちにするか」という気が起きるワケです。
しかし、勿論全ての「選択されるもの」がそうやって引き込もうとしてくるワケです。
「汚い手」、まぁそうやって「中立の者」をそそのかすのは「正攻法」とはいえません。
そのような「汚い手」を使われたら、「中立の者」が多い中「正攻法」では適わないのですから。
そしてそのうちに泥沼化。「中立の者」はまたどうでもよくなってくる。
しかしそれでも引き込もうとされる。もう大変です。
しかし「マスメディア」なんてその「引き込む手段」としてかなり大きいんですし、
あまり下手なことを流して欲しくないんですけどねぇ。全く。
まあ、今はそんな社会なんでしょうがないといえばしょうがないですか。
では本文。
今日で「前期補習」終了。夏休みが始まります。
…31日に登校させられますけどね(汗)
ところで、自分は友達と共に海へ行く予定なんです。
それが何日かといいますと、30日でして。
…なんでそんなときに限って台風が接近してるのかと(汗)
今まで散々接近してはそれ、接近してはそれで学校を休ませてくれなかったのに。
如何してこういうときだけ、ほぼ確実に直撃しようとしてるのかと。
予報でみるに、暴風域にはいることは避けられそうになく。
北の方向にそれるか消滅してくれれば助かるんですけども。
祈ったところで変わってくれそうにもないのでおとなしく30日を待つしかなくて。
さて、そろそろ話題転換をば。
しかし、日記なるものをかこうにも今日も相変わらず家でだらだらと過ごしていたことしかなく。
余談のほうが長くなりましたし、今日はここいらで終わらせとこうかと。
日記にならないような過ごし方をしたらしい一日。
では。
「中立」といえば少し御幣もあるんでしょうけど。
「あることにたいし、AかBか」と問われて、「どちらでも」と答えるような、
そのことに関心がない、どちらか決め兼ねている、といったような状態。
そんな人が増えているというか、どちらか決断する人より多いんじゃないか、と。
「選べる人」は、その選んだものに明確な理由をもって選んでいます。
「ああもう、めんどくさいしこっちでいいや」というような人は「選べる人」ではありません。
「選べない人」はそのことに関心を持っておらず、選択したところで何かあるのか、というような。
そして、「数」があったほうが有利となるものの場合、「ある事」がおきます。
それが、今時よくある戦法というか、「中立の者」を引き込むということ。
「中立の者」は、無関心なだけに、別の要素で簡単に引き込めるんです。
例えば、「これを選べばこんないいことが有りますよ。」とか。
すると、「どうせどっちでもいいし、こっちにするか」という気が起きるワケです。
しかし、勿論全ての「選択されるもの」がそうやって引き込もうとしてくるワケです。
「汚い手」、まぁそうやって「中立の者」をそそのかすのは「正攻法」とはいえません。
そのような「汚い手」を使われたら、「中立の者」が多い中「正攻法」では適わないのですから。
そしてそのうちに泥沼化。「中立の者」はまたどうでもよくなってくる。
しかしそれでも引き込もうとされる。もう大変です。
しかし「マスメディア」なんてその「引き込む手段」としてかなり大きいんですし、
あまり下手なことを流して欲しくないんですけどねぇ。全く。
まあ、今はそんな社会なんでしょうがないといえばしょうがないですか。
では本文。
今日で「前期補習」終了。夏休みが始まります。
…31日に登校させられますけどね(汗)
ところで、自分は友達と共に海へ行く予定なんです。
それが何日かといいますと、30日でして。
…なんでそんなときに限って台風が接近してるのかと(汗)
今まで散々接近してはそれ、接近してはそれで学校を休ませてくれなかったのに。
如何してこういうときだけ、ほぼ確実に直撃しようとしてるのかと。
予報でみるに、暴風域にはいることは避けられそうになく。
北の方向にそれるか消滅してくれれば助かるんですけども。
祈ったところで変わってくれそうにもないのでおとなしく30日を待つしかなくて。
さて、そろそろ話題転換をば。
しかし、日記なるものをかこうにも今日も相変わらず家でだらだらと過ごしていたことしかなく。
余談のほうが長くなりましたし、今日はここいらで終わらせとこうかと。
日記にならないような過ごし方をしたらしい一日。
では。
THE PLEASURER.
2004年7月24日「自己満足」に過ぎない行動は果たしてどうかと思った今日この頃。
いや、似たようなことを前にかいたかも知れません。
「エゴ」で動いていても、それが他人のためになることなら良いのではないか、と。
今回も同じようなことです。
「自己満足」といったって、様々なものがある。
そしてその中には、悪いものも良いものも含まれる。
例えば「演劇」にて役を演じるとき、その役に成りきって演じることで「満足感」を得るものがいる。
自分でやったことに「満足感」をおぼえるってのが「自己満足」ですから、これも「自己満足」に過ぎない。
しかしその「行動」は、それを観ているものを楽しませる。
これが「自己満足」であれど良い例です。
自分が満足するための行動が、他人にとって良い作用をもたらすとき。
そして、勿論「行動に満足する」のでなく、「行動の結果に満足する」のも「自己満足」だと思うのですが。
例えば掃除をして、その「結果」として綺麗になったことに「満足する」とか。
それは「達成感」ともいいますが、「自己満足」ともいえるんじゃないか、と。
「自己満足」が他人に好感を与えるのは素晴らしく、
嫌々やったことが他人に好感を与えるのは良く、
「自己満足」が他人に不快感を与えるのは悪く、
嫌々やったことが他人に不快感を与えるのは最悪である、と。
なんかこう、二つの選択肢のようなものがあると、こういった四つのことを順に並べてみるのはよくあることです(何)
では本文。
今日で前期補習後半の前半が終わったワケで。
↑よくわかんないっての。
やっぱり、「連続して四日」よりも「二日に分けて二回」のほうが楽に感じるもんで。
「二回」だと、一回目でも「あと一回で終わりだ」と思えて少し楽って気がするんです。
なんだか不思議ですがそんなもんです(何)
「自習室」へは行かず家へ帰ると。
…「visible:stromatolite」が届いてました(汗)
確かに昨日発送完了のメールはきてましたがそれにしても早いです。
多分かいてはいませんが以前買ったCD、「ongaq:stromatolite」のDVD版。
楽曲を聴覚だけでなく視覚でもとらえる。だから「visible」。
さて、一度観た感想なんですが。
正確にいうと半分までしか観てませんが。
…いや、なんだか全体を通じて同じムービーパターンばかり流し過ぎで(汗)
確かに面白いムービーですが、こうもそればかりだと飽きてくる。
なんというか、音ゲーのムービーと違って、音楽の「形」とはリンクしてないんです。
例えばサビに突入しようとも、同じものがそのまま流れているとか、
基本のリズムにのって動くようなものがない、とか。
「形」とでなく「感じ」でリンクしているという感じで。
つまり、「曲」と「映像」で、手段は違えど同一のことを表してるというか。
…そうやって自分を納得させてみようとしたんですがやっぱり無理です(汗)
「innocent walls」なんて「感じ」すら似てないような気が。
楽曲は既にCDで聴いたし、途中で飽きてきて色々とメニューを見てました。
すると映像の切り替えという項目を発見。
試しに変えてみて、そしてもう一度再生してみると。
…ライブ映像が出てきました(汗)
これを見て、やっと「あぁ、買って良かったな」と思えてきて。
楽曲のほうもライブ録音のがあって。
いわゆるクラブでのライブを丸々収録したDVDとしても楽しめる、と。
先に観た映像とは正反対、つまり音楽の「形」とぴったり合っているもので。
…このままいくと何処までいくかわかんないんで一旦話を切ります(汗)
それを観てからは眠たいので少し睡眠をとり、だらだらとして今に至る、と。
登校したのが昨日のことのように感じられた一日。
では。
いや、似たようなことを前にかいたかも知れません。
「エゴ」で動いていても、それが他人のためになることなら良いのではないか、と。
今回も同じようなことです。
「自己満足」といったって、様々なものがある。
そしてその中には、悪いものも良いものも含まれる。
例えば「演劇」にて役を演じるとき、その役に成りきって演じることで「満足感」を得るものがいる。
自分でやったことに「満足感」をおぼえるってのが「自己満足」ですから、これも「自己満足」に過ぎない。
しかしその「行動」は、それを観ているものを楽しませる。
これが「自己満足」であれど良い例です。
自分が満足するための行動が、他人にとって良い作用をもたらすとき。
そして、勿論「行動に満足する」のでなく、「行動の結果に満足する」のも「自己満足」だと思うのですが。
例えば掃除をして、その「結果」として綺麗になったことに「満足する」とか。
それは「達成感」ともいいますが、「自己満足」ともいえるんじゃないか、と。
「自己満足」が他人に好感を与えるのは素晴らしく、
嫌々やったことが他人に好感を与えるのは良く、
「自己満足」が他人に不快感を与えるのは悪く、
嫌々やったことが他人に不快感を与えるのは最悪である、と。
なんかこう、二つの選択肢のようなものがあると、こういった四つのことを順に並べてみるのはよくあることです(何)
では本文。
今日で前期補習後半の前半が終わったワケで。
↑よくわかんないっての。
やっぱり、「連続して四日」よりも「二日に分けて二回」のほうが楽に感じるもんで。
「二回」だと、一回目でも「あと一回で終わりだ」と思えて少し楽って気がするんです。
なんだか不思議ですがそんなもんです(何)
「自習室」へは行かず家へ帰ると。
…「visible:stromatolite」が届いてました(汗)
確かに昨日発送完了のメールはきてましたがそれにしても早いです。
多分かいてはいませんが以前買ったCD、「ongaq:stromatolite」のDVD版。
楽曲を聴覚だけでなく視覚でもとらえる。だから「visible」。
さて、一度観た感想なんですが。
正確にいうと半分までしか観てませんが。
…いや、なんだか全体を通じて同じムービーパターンばかり流し過ぎで(汗)
確かに面白いムービーですが、こうもそればかりだと飽きてくる。
なんというか、音ゲーのムービーと違って、音楽の「形」とはリンクしてないんです。
例えばサビに突入しようとも、同じものがそのまま流れているとか、
基本のリズムにのって動くようなものがない、とか。
「形」とでなく「感じ」でリンクしているという感じで。
つまり、「曲」と「映像」で、手段は違えど同一のことを表してるというか。
…そうやって自分を納得させてみようとしたんですがやっぱり無理です(汗)
「innocent walls」なんて「感じ」すら似てないような気が。
楽曲は既にCDで聴いたし、途中で飽きてきて色々とメニューを見てました。
すると映像の切り替えという項目を発見。
試しに変えてみて、そしてもう一度再生してみると。
…ライブ映像が出てきました(汗)
これを見て、やっと「あぁ、買って良かったな」と思えてきて。
楽曲のほうもライブ録音のがあって。
いわゆるクラブでのライブを丸々収録したDVDとしても楽しめる、と。
先に観た映像とは正反対、つまり音楽の「形」とぴったり合っているもので。
…このままいくと何処までいくかわかんないんで一旦話を切ります(汗)
それを観てからは眠たいので少し睡眠をとり、だらだらとして今に至る、と。
登校したのが昨日のことのように感じられた一日。
では。
THE ISOLATER.
2004年7月22日「知らぬが仏」の範囲はどこまでかと思った今日この頃。
結論からいうと、「知らないことすら知らない」ことがこの諺の「知らぬ」かと。
例えば、ある「秘密事項」があるとしましょう。
A氏はその「秘密事項」があることさえ知らない。
しかし、ふとしたきっかけで「秘密事項があること」を知ってしまった。
当然、その時点で「秘密事項が何なのか」について気になるA氏。
「秘密事項」の内容を知らなくとも、「秘密がある」と知った時点でなんだかおちつかなくなる。
つまり、「知らないということを知った」時点で、多少なりとも「影響」されてるんです。
以後、「知ってしまう」か「知らないまま」であるかは別として、多少なりとも「影響」はうける。
例えばその「秘密事項」がA氏にとって非常に重要なものだとしたら、「知った」とすれば多大なる「影響」を受ける。
「知らないまま」であったとしてもやはり「気になる」という「不安」が残る。
やがて消えてしまうのかも知れないが、「一時的な影響」は必ず受ける、と。
「影響」されないためには、それを「知らないことすら知らない」ことが大事だ、と。
「知った」状態から「知らない」状態には例外を除いて戻れない。
過去に「知った」ことは、例えあとで「知らない」になろうと「知った」ということは覚えている。ハズ。
では本文。
今日は終業式でした。でもまだ「前期補習」ありますけどね。
さて、話は一気に夕食まで飛びまして。
母が疲れているというのでファミリーレストランへ行くことにしまして。
そのレストランには、液晶画面にタッチして遊ぶ課金式の機械があるんです。
占いからゲームまであり、注文から到着迄の待ち時間等の暇つぶしに最適です。
まったく、巧いところをついた商法で(何)
自分は今日買った「魔少年ビーティー対バオー来訪者」を読んでいたのですが。
その中の「魔少年ビーティー」、これがまた「面白」くてオススメです(何)
あとの「バオー来訪者」とは趣向が違い、いかにも「現実的」というかなんというか。
推理モノのような本が好きで、またあの独特な世界観に抵抗がなければ一度は読んで損はないかと。
さて、宣伝のようなものはおいといて。
そのような機械には引っかからないぞと思いつつ、母が「占い」を初めたらついつい続いてやってしまう自分でして。
結果、「ザ・ワールド」と「前世占い」という二種類をやっちゃいまして。
…兄弟までもがやってたらなんだかやらずにはいられませんで(汗)
「集団」だと、こういう変な相乗効果があるもんで恐ろしいもんです。
前者、弟達ががやった「ザ・じゃぱん」が数問の質問に答える形式でしたんで、
自分も同じく生年月日と血液型入れてから答えさされるのかと思いつつ、
同じ手順をたどって決定ボタンを押したんですが。
質問もなしにいきなり結果が出て少しガッカリ。
因みに、この占いは「貴方は本当は何処の国の人ですか?」といういかにも胡散臭いもので。
結果は「スペイン人」。何ですかこの脈絡のない結果は。
そして後者、その名のとおり前世を占うもので。
こちらは数問の質問に答えてから結果が出るのですが。
結果が「某有名剣士…が使っていたカイ」。自分の前世は無生物ですか。
弟が出した「天才陰陽師…の実母である狐」という結果で笑っている場合ではなかった。
そのあとにそれに対する細かい性格判断などが出るんですが、そんなものデタラメだと思っている自分です。
しかし「占い」の恐ろしいところはそこにある。
例えデタラメだとわかっていても、知ってしまうと多少なりとも「そうかなぁ」と思える。
特にこういう「占い」は商売上手で、「前向き」なことばかりかいてあるんです。
そうなると、「信じる」か否かというより、「信じたい」となってしまうのであり。
自分もその「結果」に、少し自分にあてはまることがあって、「影響」を少しばかり受けてしまったり。
こういうものって、そうやって、「わかりもしないこと」をさも知っているかのようにいい、
それによって人々の「心」を動かすためにあるんでしょうかね。
確かに「前向き」になるのは良いことですが、信じすぎて変な方向に向くのもどうかなぁ、と。
そんなことを考えつつもやはり少し気分が前向きになってきたりもしました。
明日から頑張ろうかと思えた一日。
では。
結論からいうと、「知らないことすら知らない」ことがこの諺の「知らぬ」かと。
例えば、ある「秘密事項」があるとしましょう。
A氏はその「秘密事項」があることさえ知らない。
しかし、ふとしたきっかけで「秘密事項があること」を知ってしまった。
当然、その時点で「秘密事項が何なのか」について気になるA氏。
「秘密事項」の内容を知らなくとも、「秘密がある」と知った時点でなんだかおちつかなくなる。
つまり、「知らないということを知った」時点で、多少なりとも「影響」されてるんです。
以後、「知ってしまう」か「知らないまま」であるかは別として、多少なりとも「影響」はうける。
例えばその「秘密事項」がA氏にとって非常に重要なものだとしたら、「知った」とすれば多大なる「影響」を受ける。
「知らないまま」であったとしてもやはり「気になる」という「不安」が残る。
やがて消えてしまうのかも知れないが、「一時的な影響」は必ず受ける、と。
「影響」されないためには、それを「知らないことすら知らない」ことが大事だ、と。
「知った」状態から「知らない」状態には例外を除いて戻れない。
過去に「知った」ことは、例えあとで「知らない」になろうと「知った」ということは覚えている。ハズ。
では本文。
今日は終業式でした。でもまだ「前期補習」ありますけどね。
さて、話は一気に夕食まで飛びまして。
母が疲れているというのでファミリーレストランへ行くことにしまして。
そのレストランには、液晶画面にタッチして遊ぶ課金式の機械があるんです。
占いからゲームまであり、注文から到着迄の待ち時間等の暇つぶしに最適です。
まったく、巧いところをついた商法で(何)
自分は今日買った「魔少年ビーティー対バオー来訪者」を読んでいたのですが。
その中の「魔少年ビーティー」、これがまた「面白」くてオススメです(何)
あとの「バオー来訪者」とは趣向が違い、いかにも「現実的」というかなんというか。
推理モノのような本が好きで、またあの独特な世界観に抵抗がなければ一度は読んで損はないかと。
さて、宣伝のようなものはおいといて。
そのような機械には引っかからないぞと思いつつ、母が「占い」を初めたらついつい続いてやってしまう自分でして。
結果、「ザ・ワールド」と「前世占い」という二種類をやっちゃいまして。
…兄弟までもがやってたらなんだかやらずにはいられませんで(汗)
「集団」だと、こういう変な相乗効果があるもんで恐ろしいもんです。
前者、弟達ががやった「ザ・じゃぱん」が数問の質問に答える形式でしたんで、
自分も同じく生年月日と血液型入れてから答えさされるのかと思いつつ、
同じ手順をたどって決定ボタンを押したんですが。
質問もなしにいきなり結果が出て少しガッカリ。
因みに、この占いは「貴方は本当は何処の国の人ですか?」といういかにも胡散臭いもので。
結果は「スペイン人」。何ですかこの脈絡のない結果は。
そして後者、その名のとおり前世を占うもので。
こちらは数問の質問に答えてから結果が出るのですが。
結果が「某有名剣士…が使っていたカイ」。自分の前世は無生物ですか。
弟が出した「天才陰陽師…の実母である狐」という結果で笑っている場合ではなかった。
そのあとにそれに対する細かい性格判断などが出るんですが、そんなものデタラメだと思っている自分です。
しかし「占い」の恐ろしいところはそこにある。
例えデタラメだとわかっていても、知ってしまうと多少なりとも「そうかなぁ」と思える。
特にこういう「占い」は商売上手で、「前向き」なことばかりかいてあるんです。
そうなると、「信じる」か否かというより、「信じたい」となってしまうのであり。
自分もその「結果」に、少し自分にあてはまることがあって、「影響」を少しばかり受けてしまったり。
こういうものって、そうやって、「わかりもしないこと」をさも知っているかのようにいい、
それによって人々の「心」を動かすためにあるんでしょうかね。
確かに「前向き」になるのは良いことですが、信じすぎて変な方向に向くのもどうかなぁ、と。
そんなことを考えつつもやはり少し気分が前向きになってきたりもしました。
明日から頑張ろうかと思えた一日。
では。
THE EQUALER.
2004年7月21日みえなければ「同じこと」かと思った今日この頃。
例えば、「どうすべきかは分かっている」が、「行動に移さない」場合。
これはつまり「どうすべきか分かっていない」ことと同等か、と。
他人からみると、確かにこの二つの「行動」は、「すべき行動をしていない」という点で同等ですけども。
しかし本人にとっては違う。「わかってないから行動できない」のではなく、
「わかっているが行動できない」のだということを知っているから。
しかしやはり、「他人」からみればそれはどちらも同じことととれるわけで。
例えば柿の木に帽子が引っかかってしまい、それを取ろうとしている子供がいる。
これをもし「帽子が見えない位置にいる人」がみたら、その子が「柿を取ろうとしている」ようにしかみえない。
そういった、「情報」が足りないが故の「錯覚」。
しかしやはり「錯覚」と「事実」とを取り違えることがあるのが人間であるワケで。
自分の行動が他人からみれば自分の意図する行動と違うことにみえることもある。
しかしやはりそれを恐れていては何事も成らないワケです。
でもやっぱり疑われるようなことはしないほうが良いといえば良いワケで(何)
では本文。
今日は「三者面談」があったのですが。
自分の前に弟の面談があるとのことでついていったんですが、
母によると、弟の担任の先生は自分を見て「先輩ですか?」と言ったそうです。
…いや、確かに「先輩」といえば「先輩」ですけども(汗)
どうやら自分と弟は「兄弟」とは思われないようです。似てないんですね。
似てない兄弟なんてそう珍しくもないんですけど。
でも面談についてくるんだから「兄弟」であるくらい察してほしかったとも。
周りにアメフト部の人がいたのが原因でしょうか(何)
さて、茶を濁しつつも本題。自分の面談なのですが。
最大限に要約すると、「欠点は取ってはならない」。
自分はまだ「世界史」の欠点保持者で、次回の「追試」が高二においてそれをとる最後のチャンスでして。
それを逃せば自動的に高三まで欠点を持ち越すことになるワケで。
そしてそれはもとより、今の化学の点数を見る限りまた欠点になる可能性が高い、と。
「前門の虎、後門の狼」というような状態でして。
それをどうにかせねばならない、と。
しかし成績表を見ると自分、クラス最下位なんですがそっちはお咎めなしですか。
それが逆に哀しくも感じたり。
クラス最下位である以前に欠点保持者且つ欠点取得の可能性のある者として対処されているワケですかね。
全体的に、なんだか悪い部分を叱るより良い部分を誉めるまたは雑談の時間のほうが多い面談でしたが。
自分に対する「面談」のやり方を変えたのか、
それとも単にもう呆れられて諦められているのか。
逆に悪いところをズバリ指摘しまくってもらったほうが気が楽かも知れません。
↑それをしたら身も蓋もないからしないんだろう。
そしてそんな面談をしたにもかかわらず、帰るなり遊んでいる自分がいる。
この「遊んでいる自分」をどうにかしないといけないんでしょうね。
この夏にかけるべきかと思ってはみた一日。
では。
例えば、「どうすべきかは分かっている」が、「行動に移さない」場合。
これはつまり「どうすべきか分かっていない」ことと同等か、と。
他人からみると、確かにこの二つの「行動」は、「すべき行動をしていない」という点で同等ですけども。
しかし本人にとっては違う。「わかってないから行動できない」のではなく、
「わかっているが行動できない」のだということを知っているから。
しかしやはり、「他人」からみればそれはどちらも同じことととれるわけで。
例えば柿の木に帽子が引っかかってしまい、それを取ろうとしている子供がいる。
これをもし「帽子が見えない位置にいる人」がみたら、その子が「柿を取ろうとしている」ようにしかみえない。
そういった、「情報」が足りないが故の「錯覚」。
しかしやはり「錯覚」と「事実」とを取り違えることがあるのが人間であるワケで。
自分の行動が他人からみれば自分の意図する行動と違うことにみえることもある。
しかしやはりそれを恐れていては何事も成らないワケです。
でもやっぱり疑われるようなことはしないほうが良いといえば良いワケで(何)
では本文。
今日は「三者面談」があったのですが。
自分の前に弟の面談があるとのことでついていったんですが、
母によると、弟の担任の先生は自分を見て「先輩ですか?」と言ったそうです。
…いや、確かに「先輩」といえば「先輩」ですけども(汗)
どうやら自分と弟は「兄弟」とは思われないようです。似てないんですね。
似てない兄弟なんてそう珍しくもないんですけど。
でも面談についてくるんだから「兄弟」であるくらい察してほしかったとも。
周りにアメフト部の人がいたのが原因でしょうか(何)
さて、茶を濁しつつも本題。自分の面談なのですが。
最大限に要約すると、「欠点は取ってはならない」。
自分はまだ「世界史」の欠点保持者で、次回の「追試」が高二においてそれをとる最後のチャンスでして。
それを逃せば自動的に高三まで欠点を持ち越すことになるワケで。
そしてそれはもとより、今の化学の点数を見る限りまた欠点になる可能性が高い、と。
「前門の虎、後門の狼」というような状態でして。
それをどうにかせねばならない、と。
しかし成績表を見ると自分、クラス最下位なんですがそっちはお咎めなしですか。
それが逆に哀しくも感じたり。
クラス最下位である以前に欠点保持者且つ欠点取得の可能性のある者として対処されているワケですかね。
全体的に、なんだか悪い部分を叱るより良い部分を誉めるまたは雑談の時間のほうが多い面談でしたが。
自分に対する「面談」のやり方を変えたのか、
それとも単にもう呆れられて諦められているのか。
逆に悪いところをズバリ指摘しまくってもらったほうが気が楽かも知れません。
↑それをしたら身も蓋もないからしないんだろう。
そしてそんな面談をしたにもかかわらず、帰るなり遊んでいる自分がいる。
この「遊んでいる自分」をどうにかしないといけないんでしょうね。
この夏にかけるべきかと思ってはみた一日。
では。
THE PROVERBER.
2004年7月20日「諺」等は正しいかと思った今日この頃。
普段の生活でも、結構そういったものって使われますよね。
その中でも、「早起きは三文の得」だとか、「大器晩成」とか、
所謂「言い切り型」というか、そんな感じのものがありますよね。
しかし、そういうものは正しいことなのかどうか、と。
「四面楚歌」とかは単に「状態」をあらわすものだから正しいも何もありません。
しかし果たして、そういった「訓話」めいたことは、全て正しいのかどうかと。
なんとなく古い言葉というものは正しいような気がしないでもないんですが。
これは正しいのかと疑問に思うものを少し挙げてみると。
「残り物には福がある」。実はくじ引きとかだと何番目に引こうが当たる確率は同じです。
「負けるが勝ち」。もうなんか言い訳として使われてる気も。
「逃げるが勝ち」。上に同じく。
その他諸々、思いつくだけでも結構あるもんです。
ただ、やはりそういったものって単に「会話」を単調にしないための、
いわばちょっとした「会話の調味料」のようなものとして存在するのかなぁ、と。
ただ、それを「正しい」と信じることがそういった疑問をうむだけか、と。
古い言葉、そりゃ確かに昔の人の知恵から生まれたものであるけれども、
やはりそれも人の「意見」に過ぎず、「正しい」とは限らない、と。
では本文。
結局暇を持て余していた休日も今日で一旦終わりです。
明日も一応休日といえば休日ですが「三者面談」があるんで(汗)
さて、今日の日記、ですね。
…十分ほど考えたんですが何も出てこない(汗)
昼過ぎまで寝て、暇だからパソコンして、それでも暇だからピアノして、またパソコンして。
…いつもながら何かしら「型」にはまった休日ですね(汗)
そういえば、スイカ食べました。西瓜。
冷蔵庫の野菜室に空きがないということで一番場所をとっていたスイカを食べることに。
結構大きなスイカの二分の一。六人で分ければ一人十二分の一ずつ。
…でもこの家でスイカ好きなのは自分くらいだったり(汗)
流石に二分の一も食べれないんで八分の一だけいただきました。
結構冷えてたんですが、お腹大丈夫かなぁ、と(汗)
結局八分の一にしたのを縦切りにしたのを皆ちょくちょくと食べてくれて残り四分の一に。
最終的にはこのうちどれだけを自分が食べる羽目になるのかと(汗)
↑別に無理して食べんでいい。
今日あったことといえばそれくらいですか。
無理矢理にネタにするのはやめようと思いつつやっぱりそうしないとかけないワケで。
日記にできるような生活をしたいと思った一日。
では。
普段の生活でも、結構そういったものって使われますよね。
その中でも、「早起きは三文の得」だとか、「大器晩成」とか、
所謂「言い切り型」というか、そんな感じのものがありますよね。
しかし、そういうものは正しいことなのかどうか、と。
「四面楚歌」とかは単に「状態」をあらわすものだから正しいも何もありません。
しかし果たして、そういった「訓話」めいたことは、全て正しいのかどうかと。
なんとなく古い言葉というものは正しいような気がしないでもないんですが。
これは正しいのかと疑問に思うものを少し挙げてみると。
「残り物には福がある」。実はくじ引きとかだと何番目に引こうが当たる確率は同じです。
「負けるが勝ち」。もうなんか言い訳として使われてる気も。
「逃げるが勝ち」。上に同じく。
その他諸々、思いつくだけでも結構あるもんです。
ただ、やはりそういったものって単に「会話」を単調にしないための、
いわばちょっとした「会話の調味料」のようなものとして存在するのかなぁ、と。
ただ、それを「正しい」と信じることがそういった疑問をうむだけか、と。
古い言葉、そりゃ確かに昔の人の知恵から生まれたものであるけれども、
やはりそれも人の「意見」に過ぎず、「正しい」とは限らない、と。
では本文。
結局暇を持て余していた休日も今日で一旦終わりです。
明日も一応休日といえば休日ですが「三者面談」があるんで(汗)
さて、今日の日記、ですね。
…十分ほど考えたんですが何も出てこない(汗)
昼過ぎまで寝て、暇だからパソコンして、それでも暇だからピアノして、またパソコンして。
…いつもながら何かしら「型」にはまった休日ですね(汗)
そういえば、スイカ食べました。西瓜。
冷蔵庫の野菜室に空きがないということで一番場所をとっていたスイカを食べることに。
結構大きなスイカの二分の一。六人で分ければ一人十二分の一ずつ。
…でもこの家でスイカ好きなのは自分くらいだったり(汗)
流石に二分の一も食べれないんで八分の一だけいただきました。
結構冷えてたんですが、お腹大丈夫かなぁ、と(汗)
結局八分の一にしたのを縦切りにしたのを皆ちょくちょくと食べてくれて残り四分の一に。
最終的にはこのうちどれだけを自分が食べる羽目になるのかと(汗)
↑別に無理して食べんでいい。
今日あったことといえばそれくらいですか。
無理矢理にネタにするのはやめようと思いつつやっぱりそうしないとかけないワケで。
日記にできるような生活をしたいと思った一日。
では。
THE SESSIONER.
2004年7月18日それは本当に「単体」の良さかと思った今日この頃。
例えば、「曲」において。
ある映画の感動のクライマックスの場面にその曲が使われていた。
そしてその曲を聴くとそれを思い出す。だからその曲は「名曲」だと思う。
これは本当に「曲」という「単品」としての良さかといわれれば違う。
「この人が作った曲だから」というのも、「曲」を「単品」として味わっていることにはならない。
そういった、「色眼鏡」のようなものをかけた状態でものをみて、良いとか悪いとか色々と感じる。
そして他人にその意見を伝えたとする。果たして他人も同意見かといえば、それは違う。
かけている「色眼鏡」の種類が違うのだから。
例えば、ある二つの作品AとBがあり、ある人にはAが有名な人の作品だと伝え、
ある人にはBがそうだと伝える。果たして「どちらが良いか」と訊いたとき、二人の意見は合致するか。
そりゃ、二人ともが「作品」に対して「見る目」のある人ならどうかはわかりません。
しかしそうでなければ、大概二人ともそれぞれが「著名人の作品」だと伝えられたほうを良いというでしょう。
そういった、「色眼鏡」による「評価」。
「色眼鏡」は様々な「要素」によって作られる。
それは、実は我々の「人生経験」からも作られている。
そうなるとやはり「単体」としてみることは不可能なんじゃないかとも思うワケで。
では本文。
今日はあるコンサートへ行ってきました。
コンサートといってもそう大きなものではないものなんですが。
楽器店及びピアノ教室主催だけあって、ピアノを習ってるらしき子供とその親がたくさんきてまして。
寧ろそういう人ばかりを聴衆として集めるコンサートですかね。
…ところで、自分と同じ年代の人がいないのは気のせいですかね?(汗)
周りを見るとその、子連れの親とあとは年配者しかおらず。
やはり自分のような人は一人もいなくて何だかなぁ、と。
感想のほうなんですが。
ピアニストさんがトークと演奏を織り交ぜてやっていく形式で、演奏は勿論トークもなかなか面白くて。
この作曲者はそういう人だったんだ、というような。
初めての演奏が、「ベートーベン」の解説における「月光 第一楽章」の冒頭部だったんですが。
個人的にはそれが一番印象に残ってるような気が。
曲目が「月光」とは聞かされず、「ベートーベンが恋人ジュリエッタに贈った曲」と言われ、何かと思えば「月光」。
不意にあれを聴かされちゃたまりませんよね(何)
あと、アンコールがブルグミュラーの「アラベスク」と、「人形の夢と目覚め」だったってのも驚き。
アンコールってのは曲目に載ってませんし。
恐らく子供たちが知っているような小曲を、ということかと。
全体的に、面白かったというか感動したというか。
感想としてありきたりですが、「生で聴くのは違う」と。
なんというか、その場のあの「気持ちの高揚」のようなものも作用するんですけども、
やはりCDで聴くのとは全く違う、と。
また、自分が弾くのとは全く違う、と。これは当たり前ですか。
ところで明日も明後日も休みなんですよね。嬉しき哉(蹴)
ただ、何をして過ごすかというのを考えていないというのが少し。
暇で暇でしょうがないというのはなんとなく避けたいと思うので、
何かしらやりたいことを考えておかないとなぁ、と。
充実していたといえないこともなかった一日。
では。
例えば、「曲」において。
ある映画の感動のクライマックスの場面にその曲が使われていた。
そしてその曲を聴くとそれを思い出す。だからその曲は「名曲」だと思う。
これは本当に「曲」という「単品」としての良さかといわれれば違う。
「この人が作った曲だから」というのも、「曲」を「単品」として味わっていることにはならない。
そういった、「色眼鏡」のようなものをかけた状態でものをみて、良いとか悪いとか色々と感じる。
そして他人にその意見を伝えたとする。果たして他人も同意見かといえば、それは違う。
かけている「色眼鏡」の種類が違うのだから。
例えば、ある二つの作品AとBがあり、ある人にはAが有名な人の作品だと伝え、
ある人にはBがそうだと伝える。果たして「どちらが良いか」と訊いたとき、二人の意見は合致するか。
そりゃ、二人ともが「作品」に対して「見る目」のある人ならどうかはわかりません。
しかしそうでなければ、大概二人ともそれぞれが「著名人の作品」だと伝えられたほうを良いというでしょう。
そういった、「色眼鏡」による「評価」。
「色眼鏡」は様々な「要素」によって作られる。
それは、実は我々の「人生経験」からも作られている。
そうなるとやはり「単体」としてみることは不可能なんじゃないかとも思うワケで。
では本文。
今日はあるコンサートへ行ってきました。
コンサートといってもそう大きなものではないものなんですが。
楽器店及びピアノ教室主催だけあって、ピアノを習ってるらしき子供とその親がたくさんきてまして。
寧ろそういう人ばかりを聴衆として集めるコンサートですかね。
…ところで、自分と同じ年代の人がいないのは気のせいですかね?(汗)
周りを見るとその、子連れの親とあとは年配者しかおらず。
やはり自分のような人は一人もいなくて何だかなぁ、と。
感想のほうなんですが。
ピアニストさんがトークと演奏を織り交ぜてやっていく形式で、演奏は勿論トークもなかなか面白くて。
この作曲者はそういう人だったんだ、というような。
初めての演奏が、「ベートーベン」の解説における「月光 第一楽章」の冒頭部だったんですが。
個人的にはそれが一番印象に残ってるような気が。
曲目が「月光」とは聞かされず、「ベートーベンが恋人ジュリエッタに贈った曲」と言われ、何かと思えば「月光」。
不意にあれを聴かされちゃたまりませんよね(何)
あと、アンコールがブルグミュラーの「アラベスク」と、「人形の夢と目覚め」だったってのも驚き。
アンコールってのは曲目に載ってませんし。
恐らく子供たちが知っているような小曲を、ということかと。
全体的に、面白かったというか感動したというか。
感想としてありきたりですが、「生で聴くのは違う」と。
なんというか、その場のあの「気持ちの高揚」のようなものも作用するんですけども、
やはりCDで聴くのとは全く違う、と。
また、自分が弾くのとは全く違う、と。これは当たり前ですか。
ところで明日も明後日も休みなんですよね。嬉しき哉(蹴)
ただ、何をして過ごすかというのを考えていないというのが少し。
暇で暇でしょうがないというのはなんとなく避けたいと思うので、
何かしらやりたいことを考えておかないとなぁ、と。
充実していたといえないこともなかった一日。
では。
THE CARRIER.
2004年7月16日「噂」というのはどうして伝わるのかと思った今日この頃。
現代なら「電子メール」等、情報伝達手段の発展により広まるものはすぐ広まりますが。
昔、所謂「口さけ女」等の「噂」は、果たしてどうして伝わったのか、と。
そりゃあ口コミで広まったんじゃないかといわれれば終わりですが。
そういう「どうして」ではなく。
「何故、口さけ女など、そういった話は全国へ広まったのか」ということで。
「噂」の共通点。それは「大体の人々が注目すること」だということ。
そりゃ確かに、別に興味もない話を聞いたって人には伝えませんから。
「ついつい人に知らせたくなること」が「噂」となるのです。
「こういった事件があったから注意しろ」とか、そういったことが。
また「噂」は、ある程度「もっともらしい」ものでして。
「事件」ならば、「虚偽の事実」であれ付け足して、現実味を増加させるとか。
人々がそれを多少なりとも信じ、それを他人に伝えていく。
そういった「連鎖」のできるような話が「噂」になるんではないか、と。
では本文。
今日、なんかありましたっけね(何)
何かを思い出そうにも何も思い出せない日ってのがたまにあるもんで。
一日の行動としては朝起きて、しぶしぶ学校行って、帰ってきて、だらだらしていた、と。
…こりゃホントにかくことが無いかなぁ(汗)
そうなると無理矢理にでも今日の出来事をネタとしてかくのがいつもの手です。
最近は早く帰ってこられるので家にいる時間が長くなっているワケで。
そうすると、どうも暇で手持ち無沙汰になってきて。
そうなると大抵ピアノに向かってたりするワケで。
暇だからピアノの練習、というワケでもありませんが。
最近は大体平均して一日一時間くらいやってまして。
…だから何だってことなんですけども(汗)
今練習できることを一通りやっても大体四十分ちょっとで終わるんです。
つまり、飽き性な自分はやったところで精々一時間くらいしか練習できないワケで。
同じ曲を一日に二回弾くだとか、なんだかそういうことはあまり(蹴)
一回通して弾くともうその曲は終わり、みたいな。
そんなんだからピアノもそんなに上達しないということですかね。
あとはてきとーに部分部分弾いてみたり、耳コピなんていうことをしてみたり。
…耳コピ、和音なんて聞き取れませんて(汗)
単音でもなかなか聞き取れないというのに。
「調」だとか「コード」だとかいうのがあまりわからないもんで。
わかったところで聞き取れるかどうかはわかりませんが。
しかし楽譜の中に「コード」がかいてあるもの。
あれって結局どういう意味なんでしょう。
ギターか何かで伴奏をするときのものですか?(何)
MOTHER2の曲の楽譜と「finger strokes」でしか見た覚えはありませんが。
…さて、これくらいで「文字数」は大分いけましたかね(斬)
こういう日って「日記」として機能してないな、とつくづく思うワケで。
あと一日と思って気合をいれようとしてみた一日。
では。
現代なら「電子メール」等、情報伝達手段の発展により広まるものはすぐ広まりますが。
昔、所謂「口さけ女」等の「噂」は、果たしてどうして伝わったのか、と。
そりゃあ口コミで広まったんじゃないかといわれれば終わりですが。
そういう「どうして」ではなく。
「何故、口さけ女など、そういった話は全国へ広まったのか」ということで。
「噂」の共通点。それは「大体の人々が注目すること」だということ。
そりゃ確かに、別に興味もない話を聞いたって人には伝えませんから。
「ついつい人に知らせたくなること」が「噂」となるのです。
「こういった事件があったから注意しろ」とか、そういったことが。
また「噂」は、ある程度「もっともらしい」ものでして。
「事件」ならば、「虚偽の事実」であれ付け足して、現実味を増加させるとか。
人々がそれを多少なりとも信じ、それを他人に伝えていく。
そういった「連鎖」のできるような話が「噂」になるんではないか、と。
では本文。
今日、なんかありましたっけね(何)
何かを思い出そうにも何も思い出せない日ってのがたまにあるもんで。
一日の行動としては朝起きて、しぶしぶ学校行って、帰ってきて、だらだらしていた、と。
…こりゃホントにかくことが無いかなぁ(汗)
そうなると無理矢理にでも今日の出来事をネタとしてかくのがいつもの手です。
最近は早く帰ってこられるので家にいる時間が長くなっているワケで。
そうすると、どうも暇で手持ち無沙汰になってきて。
そうなると大抵ピアノに向かってたりするワケで。
暇だからピアノの練習、というワケでもありませんが。
最近は大体平均して一日一時間くらいやってまして。
…だから何だってことなんですけども(汗)
今練習できることを一通りやっても大体四十分ちょっとで終わるんです。
つまり、飽き性な自分はやったところで精々一時間くらいしか練習できないワケで。
同じ曲を一日に二回弾くだとか、なんだかそういうことはあまり(蹴)
一回通して弾くともうその曲は終わり、みたいな。
そんなんだからピアノもそんなに上達しないということですかね。
あとはてきとーに部分部分弾いてみたり、耳コピなんていうことをしてみたり。
…耳コピ、和音なんて聞き取れませんて(汗)
単音でもなかなか聞き取れないというのに。
「調」だとか「コード」だとかいうのがあまりわからないもんで。
わかったところで聞き取れるかどうかはわかりませんが。
しかし楽譜の中に「コード」がかいてあるもの。
あれって結局どういう意味なんでしょう。
ギターか何かで伴奏をするときのものですか?(何)
MOTHER2の曲の楽譜と「finger strokes」でしか見た覚えはありませんが。
…さて、これくらいで「文字数」は大分いけましたかね(斬)
こういう日って「日記」として機能してないな、とつくづく思うワケで。
あと一日と思って気合をいれようとしてみた一日。
では。
THE RESTRAINER.
2004年7月15日単なる「抑制」にとどまってないかと思った今日この頃。
例えば、「ダイエット食品」というか。
特に「食べてしまったそのあとに」というタイプのもの。
果たしてあれは「ダイエット」、つまり「体重の軽量化」にはなるのかなぁ、と。
「ダイエットする」といえば体重を減らすってことであって、今まで増加してきているのを抑えるのとはちょっと違うんじゃないかと。
そんな感じで、している気ではあるが実はそうではないってこと。
「節約」といいつつ、いつもより浪費していないだけで使っている、とか。
所謂「悪いときよりはマシだけど良いとはいえない」状態。
「悪いときよりはマシ」だけで「満足」してちゃあいけないんです。
確かに前向きな考え方としてはいいんですけども、それでもやはり「良くはない」と考えてやるべきじゃあないかと。
そういう「間違った満足」というか、そんなのに誤魔化されてちゃいけない、と。
「悪いよりはマシ」ってことは、まだ「良くはない」って意味です。
そこで「満足」せず、更なる精進を目指すべきなんじゃないか、と。
…話の趣旨変わっちゃってますね(汗)
まあ、いつもこんなんですし、これでもいいですか。
↑だからそれじゃいけないとかいたばかりだろうが。
では本文。
補習。なんだか「補習」って言葉が、休日にわざわざ学校にかりだされているというニュアンスを持つからいけないんでしょうか。
「短縮授業」なら、普通なら「授業」だけど「短縮」された、と嬉しい感じもするのですが。
そういった「心理的な考慮」もして欲しいもんです(何)
午後からもあるとはいえ、結局はいつもより早く帰れるんですがなんだか辛い。
「休み」があったせいですかね。人は「変化」する際にその「適応」に苦しむといわれますし。
↑いわれてません。
テスト休みなんかはさまずにそのまま補習に持ちこんだほうが或いは楽なのかもしれません。
そうして終業式後は補習もなく、まとまった休日が増える…と。
なんだかやる気が無くてついついこんなことを考えがちになります。
↑やる気はいつもないだろ。
ところで、弟によると制服が少し変わるかもしれない、と。
校長室に試作品らしきものがあるのが見えるんだとか。
…せめて自分が卒業するまでは変わらないで欲しいんですけど(汗)
制服が変われば、それを買うために余計な出資がいるじゃないですか(斬)
そんなことを聞きつつ家でゴロゴロとしてたんですが。
…いつのまにか寝てました(汗)
寝てたってことにすら気付きませんでした。起きるまで。ってそれは当たり前ですか。
まだ起きたから良かったんですけど。あの時間に寝てたら大抵そのまま寝ちゃうんで。
しかし寝まい寝まいと思っても、寝転んでたらついつい眠っちゃうんだなぁ、と。
寝てはいけないとすると、寝転ぶことすら「危険」ですかね。
そしてそうこうしてるうちに今に至るワケです。
夏期課題完了への計画を立ててみた一日。
では。
例えば、「ダイエット食品」というか。
特に「食べてしまったそのあとに」というタイプのもの。
果たしてあれは「ダイエット」、つまり「体重の軽量化」にはなるのかなぁ、と。
「ダイエットする」といえば体重を減らすってことであって、今まで増加してきているのを抑えるのとはちょっと違うんじゃないかと。
そんな感じで、している気ではあるが実はそうではないってこと。
「節約」といいつつ、いつもより浪費していないだけで使っている、とか。
所謂「悪いときよりはマシだけど良いとはいえない」状態。
「悪いときよりはマシ」だけで「満足」してちゃあいけないんです。
確かに前向きな考え方としてはいいんですけども、それでもやはり「良くはない」と考えてやるべきじゃあないかと。
そういう「間違った満足」というか、そんなのに誤魔化されてちゃいけない、と。
「悪いよりはマシ」ってことは、まだ「良くはない」って意味です。
そこで「満足」せず、更なる精進を目指すべきなんじゃないか、と。
…話の趣旨変わっちゃってますね(汗)
まあ、いつもこんなんですし、これでもいいですか。
↑だからそれじゃいけないとかいたばかりだろうが。
では本文。
補習。なんだか「補習」って言葉が、休日にわざわざ学校にかりだされているというニュアンスを持つからいけないんでしょうか。
「短縮授業」なら、普通なら「授業」だけど「短縮」された、と嬉しい感じもするのですが。
そういった「心理的な考慮」もして欲しいもんです(何)
午後からもあるとはいえ、結局はいつもより早く帰れるんですがなんだか辛い。
「休み」があったせいですかね。人は「変化」する際にその「適応」に苦しむといわれますし。
↑いわれてません。
テスト休みなんかはさまずにそのまま補習に持ちこんだほうが或いは楽なのかもしれません。
そうして終業式後は補習もなく、まとまった休日が増える…と。
なんだかやる気が無くてついついこんなことを考えがちになります。
↑やる気はいつもないだろ。
ところで、弟によると制服が少し変わるかもしれない、と。
校長室に試作品らしきものがあるのが見えるんだとか。
…せめて自分が卒業するまでは変わらないで欲しいんですけど(汗)
制服が変われば、それを買うために余計な出資がいるじゃないですか(斬)
そんなことを聞きつつ家でゴロゴロとしてたんですが。
…いつのまにか寝てました(汗)
寝てたってことにすら気付きませんでした。起きるまで。ってそれは当たり前ですか。
まだ起きたから良かったんですけど。あの時間に寝てたら大抵そのまま寝ちゃうんで。
しかし寝まい寝まいと思っても、寝転んでたらついつい眠っちゃうんだなぁ、と。
寝てはいけないとすると、寝転ぶことすら「危険」ですかね。
そしてそうこうしてるうちに今に至るワケです。
夏期課題完了への計画を立ててみた一日。
では。
THE DIFFICULTIER.
2004年7月14日「苦労」が「価値」になるとも思った今日この頃。
例えば、同じものであれ苦労して働いてもらったお金で買うのと、
元々から大金があるからって、それで買うのと。
どちらのほうが「有り難味」を感じますか、と。
勿論前者でしょう。自分が思うに。
そして勿論前者のほうがそのものに「価値」を感じ、「大切」にするだろう、と。
後者は、もうなんかそれが「当たり前」でそこまで「価値」を感じていないというか。
このように、「手段」によっても物の「価値」は変わるもの。
「値段」は不変。しかし「価値」は様々な「要因」によって変わる、と。
「手に入れるのに苦労したか否か」も、その「要因」のうちの一つではないか、と。
では本文。
今日はテストの返却日。
一番面白い結果からいいいますと、数学は化学の97倍の得点がありました。
数学、結局間違ってたのはあの一問だけでして(汗)
2の4乗を8として計算してしまったアレ。未だに心残りですが、後悔することしかできず。
しかしこんなにギリギリで満点を逃すのは久々だなぁ、と。
近頃は記述問題で数問間違うことが多かったもので…(何)
ところで同じ一問は一問でも化学。何ですかこれは。
確かに無いよりはマシですけども。欠点確定ですかねぇ。
それと、情報が、一問間違ってました。
メールアドレスの「ドメイン」とは何処を指すのかってところ、堂々と間違ってました。
こんな風に「対処できない間違い」は諦めがつくんですけど、数学は…(泣)
しかしこんなとこでウダウダかいてても始まりませんよね。また今度頑張りましょう。
ところでテスト返し中、先生にいわれて欠点の課題を取りに行きました。
世界史の課題はプリント二枚の穴埋め。試験はそこから出す、と。
この前作った「中国の歴氏年表」の一部とほぼ同じようなもので。
しかしどうやら合格点が、前回四十点から今回五十点になるようで(汗)
今回受からないと来学年まで仮進級のみになるんですけど。
しかしよく考えたら今年も化学で欠点取るんじゃないかとも。
何とかしないと、と思いつつも何ともできていない自分です(斬)
さて、思いがけず今日が部活だと知らされて、部室に行ったんですが。
結局やったことといえばトランプとかビーダマのパズルの出来具合を見たりとか、
ガムテープを蹴ったりして遊んでたりとかしか。
↑それは果たして「部活動」といえるのか?
それからは家に帰り、いつものようにだらだらとしていました。
しかし、若し今日が休みだとすると、自分は家でだらだらしてたワケですが、
果たしてそれと学校に行ってるのとどちらが「良い」のかなぁ、とも(何)
あと三日、と思って嫌気を取り払おうとしてみた一日。
では。
例えば、同じものであれ苦労して働いてもらったお金で買うのと、
元々から大金があるからって、それで買うのと。
どちらのほうが「有り難味」を感じますか、と。
勿論前者でしょう。自分が思うに。
そして勿論前者のほうがそのものに「価値」を感じ、「大切」にするだろう、と。
後者は、もうなんかそれが「当たり前」でそこまで「価値」を感じていないというか。
このように、「手段」によっても物の「価値」は変わるもの。
「値段」は不変。しかし「価値」は様々な「要因」によって変わる、と。
「手に入れるのに苦労したか否か」も、その「要因」のうちの一つではないか、と。
では本文。
今日はテストの返却日。
一番面白い結果からいいいますと、数学は化学の97倍の得点がありました。
数学、結局間違ってたのはあの一問だけでして(汗)
2の4乗を8として計算してしまったアレ。未だに心残りですが、後悔することしかできず。
しかしこんなにギリギリで満点を逃すのは久々だなぁ、と。
近頃は記述問題で数問間違うことが多かったもので…(何)
ところで同じ一問は一問でも化学。何ですかこれは。
確かに無いよりはマシですけども。欠点確定ですかねぇ。
それと、情報が、一問間違ってました。
メールアドレスの「ドメイン」とは何処を指すのかってところ、堂々と間違ってました。
こんな風に「対処できない間違い」は諦めがつくんですけど、数学は…(泣)
しかしこんなとこでウダウダかいてても始まりませんよね。また今度頑張りましょう。
ところでテスト返し中、先生にいわれて欠点の課題を取りに行きました。
世界史の課題はプリント二枚の穴埋め。試験はそこから出す、と。
この前作った「中国の歴氏年表」の一部とほぼ同じようなもので。
しかしどうやら合格点が、前回四十点から今回五十点になるようで(汗)
今回受からないと来学年まで仮進級のみになるんですけど。
しかしよく考えたら今年も化学で欠点取るんじゃないかとも。
何とかしないと、と思いつつも何ともできていない自分です(斬)
さて、思いがけず今日が部活だと知らされて、部室に行ったんですが。
結局やったことといえばトランプとかビーダマのパズルの出来具合を見たりとか、
ガムテープを蹴ったりして遊んでたりとかしか。
↑それは果たして「部活動」といえるのか?
それからは家に帰り、いつものようにだらだらとしていました。
しかし、若し今日が休みだとすると、自分は家でだらだらしてたワケですが、
果たしてそれと学校に行ってるのとどちらが「良い」のかなぁ、とも(何)
あと三日、と思って嫌気を取り払おうとしてみた一日。
では。
THE INNOCENTER.
2004年7月13日「正直」は罪となるかと思った今日この頃。
普通に考えたら「正直」なことは良いことで、罪に問われることはないのですが。
ただ、そうですね、人の気にしてることを「正直」にいって相手が傷ついた、とか。
これはただたんに、「口に出した」ことがまずかったワケですが。
「自分に正直」なんでしょうがその「正直」は少し違う。
また、「虚偽」に満ちたこの「社会」では或いは罪になるのかも知れません。
「マイナスイオン」、以前流行ってましたけど、あれに皆が望んだような「効果」はありません。
ただ、「効果があった」って人は「信じていた」がゆえのそれでしょう。
「癒し」だとかそういうのは、結局人の「心の持ちよう」ですから。
こういった、「マイナスイオン自体に癒し効果はない」ということを「正直」に人に知らせたらどうなるか。
勿論その関連の製品の売上は激減します。企業からしたら大変ですね。
そういった場合、ともすれば「罪」になるのではないか、と。
しかし基本的に「正直」なのは良いことです。
ただ、先程にもかいたように「自分に正直」ってのは違いますけど。
しかしやはり、「嘘」が必要な場面もあるのかなぁ、と。
「正直」な人間は「嘘」も吐ける。しかし「嘘」ばかり吐く人間は「正直」にはなれない(何)
では本文。
今日は用事があったので昼頃から外出して。
夕方頃、家に帰ってくると「七夜の願い星 ジラーチ」がやってまして。
そういえば明日から最新作の上映が始まるなぁと思いつつ見てたんです。
そして一つ気付いたこと。すごい個人的なことなんですが。
自分がこの映画の主題歌「小さきもの」を気に入っていたワケ。
以前一度エンディングで聴いて気に入ったのかと思ってエンディング見たんですが、別に何とも感じず。
なんでかなぁ、と思ってたら、この映画中で「子守唄」として使われてたんですね。
特にCRY-MAXでのそれが強く心に残ってたんじゃないかと。
↑「CRY-MAX」は単なる造語。普通の「クライマックス」と違い、「一番の感動場面」とかそういう感じというか。
さて、どうでもいい話はここらへんで。
家族で近所の祭りへ行ってきました。
最近は祭へ行っても特に何もしない気がします。
「ダーツ」か「パチンコ」があればたまにやるくらいで。
どうも金銭的に考えるとやる気がなくなるというか。
↑結局それか。
しかし明日から学校だというのに夜遅くから祭りに行ってていいのか自分。
明日はテスト返しと物理の補習があるだけだからいいですか(蹴)
ところで、家に帰って「マンゴスチン」食べたんですけど。
見た目が少しグロテスクでして(汗)
ウニをパカッと割ったときに似てるんでしょうかね。
食管もそんな感じで最初は味を感じるどころではなく。
そのうち平気になってきた頃には残り僅か。果実は蜜柑みたいなんです。
味はやっぱり南国の果物って感じで。マンゴーに近いクセを持っているというか。
まさかマンゴーに似てるから「マンゴスチン」とか、そんなワケありませんよね。
昔よく食べていた「マンゴスチン味のガム」のほうが美味しいような(何)
明日からの四日間を考えると嫌気がさしてきた一日。
では。
普通に考えたら「正直」なことは良いことで、罪に問われることはないのですが。
ただ、そうですね、人の気にしてることを「正直」にいって相手が傷ついた、とか。
これはただたんに、「口に出した」ことがまずかったワケですが。
「自分に正直」なんでしょうがその「正直」は少し違う。
また、「虚偽」に満ちたこの「社会」では或いは罪になるのかも知れません。
「マイナスイオン」、以前流行ってましたけど、あれに皆が望んだような「効果」はありません。
ただ、「効果があった」って人は「信じていた」がゆえのそれでしょう。
「癒し」だとかそういうのは、結局人の「心の持ちよう」ですから。
こういった、「マイナスイオン自体に癒し効果はない」ということを「正直」に人に知らせたらどうなるか。
勿論その関連の製品の売上は激減します。企業からしたら大変ですね。
そういった場合、ともすれば「罪」になるのではないか、と。
しかし基本的に「正直」なのは良いことです。
ただ、先程にもかいたように「自分に正直」ってのは違いますけど。
しかしやはり、「嘘」が必要な場面もあるのかなぁ、と。
「正直」な人間は「嘘」も吐ける。しかし「嘘」ばかり吐く人間は「正直」にはなれない(何)
では本文。
今日は用事があったので昼頃から外出して。
夕方頃、家に帰ってくると「七夜の願い星 ジラーチ」がやってまして。
そういえば明日から最新作の上映が始まるなぁと思いつつ見てたんです。
そして一つ気付いたこと。すごい個人的なことなんですが。
自分がこの映画の主題歌「小さきもの」を気に入っていたワケ。
以前一度エンディングで聴いて気に入ったのかと思ってエンディング見たんですが、別に何とも感じず。
なんでかなぁ、と思ってたら、この映画中で「子守唄」として使われてたんですね。
特にCRY-MAXでのそれが強く心に残ってたんじゃないかと。
↑「CRY-MAX」は単なる造語。普通の「クライマックス」と違い、「一番の感動場面」とかそういう感じというか。
さて、どうでもいい話はここらへんで。
家族で近所の祭りへ行ってきました。
最近は祭へ行っても特に何もしない気がします。
「ダーツ」か「パチンコ」があればたまにやるくらいで。
どうも金銭的に考えるとやる気がなくなるというか。
↑結局それか。
しかし明日から学校だというのに夜遅くから祭りに行ってていいのか自分。
明日はテスト返しと物理の補習があるだけだからいいですか(蹴)
ところで、家に帰って「マンゴスチン」食べたんですけど。
見た目が少しグロテスクでして(汗)
ウニをパカッと割ったときに似てるんでしょうかね。
食管もそんな感じで最初は味を感じるどころではなく。
そのうち平気になってきた頃には残り僅か。果実は蜜柑みたいなんです。
味はやっぱり南国の果物って感じで。マンゴーに近いクセを持っているというか。
まさかマンゴーに似てるから「マンゴスチン」とか、そんなワケありませんよね。
昔よく食べていた「マンゴスチン味のガム」のほうが美味しいような(何)
明日からの四日間を考えると嫌気がさしてきた一日。
では。
THE HARDER.
2004年7月12日より「難しい」こととは何かと思った今日この頃。
「人を悲しませること」より「人を喜ばせること」のほうが難しい。
「嘘を吐くこと」より「真実をいうこと」のほうが難しい。
「信用を崩すこと」より「信用を得ること」のほうが難しい。
このように色々な例があるワケですけれども。
しかしまあ、今の「社会の表面」は、大体「簡単」なことで構成されてるんです。
例えば誰もかもが気になるような話題を取り上げて釣ってみたり、
昔のヒット曲をアレンジして売り出してみたり、
悪いことをしてお金をたくさん得ようとしてみたり。
これらもみんな、比較的「簡単」なことなんです。
所謂「典型的」なパターンというか。
「こうするにはこうすれば楽だ」というような。
勿論、「効率が良い」という「楽」というのもあるんですが、
今挙げたのは「効率が良い」というより「横着」ですよね。
「横着」をしていては何も「良い」ことはないんです。
ある意味「姑息」というか、「一時凌ぎ」なんです。
そんなことは、続けていてもいつか「崩れる」。
まぁ、「崩れる」前にうまく引き上げるのが「業界」ってやつですけどもね。
取り敢えず、そういった意味で「簡単」なことばかりやってる間は「発展」しません。「本質的」に。
そりゃ「金銭的」には儲かってるかも知れませんけどね。
では本文。
今日は久々のというか恒例のというか、カラオケに行って参りました。
自分は「ピアノ教室」なんで途中で抜けたんですけど、楽しかったです。
しかし相変わらず歌うものが固定されている自分は果たしてどうなのか、と。
↑知るか。
ところで、カラオケから帰る途中、あることに気付いたんです。
…荷物を置き忘れてきた(汗)
待ち合わせ場所に行く前に本を買ったんですが、その本を入れた袋を忘れてきて。
しかし戻るにしても中途半端な位置にいたので、誰かが気付いて持って帰ってきてくれることを祈りつつ帰りました。
そして「ピアノ教室」。なんだか「発表会」に出ることになったようで。
曲のほうは、自分は前々から「やるなら難易度の低い静かな曲」と言ってて、
ショパンの「ノクターン」なんかいいなぁと思ってたんですけども、
先生が丁度良い曲をみつけてきたみたいで。
「星に願いを」。恐らく殆どの人が名前は知っていて、殆どの人が曲を聞いたら「ああ、これか」と思えるあの曲です。
それに少しアレンジを加えた曲なんですけども、難易度としても丁度よく、それに決定しました。多分。
しかし自分は相変わらず酷い「アガリ症」なもので、果たして本番でうまくいくのかどうかと(汗)
↑今から不安がってもしょうがないだろ。
それから家に帰ってみると、どうやら色々あったようで。
先ず、あの忘れ物の本、近くに住んでる友人が持って帰ってきて届けてくれた、と。感謝。
↑ここで感謝しても意味がないだろうに。
そして、「担任の先生から電話があった」とのこと。
…え?何かあったんですか?(汗)
思い当たるフシがたくさんある自分、色々な理由が頭に浮かんできまして。
父に訊いたところ、「もっと勉強をするように」と言っていたそうで。
…教科名とか挙げないんでしょうか?(汗)
「勉強しろ」っていわれても、どれを勉強すればいいんだか(蹴)
「化学」とか「地理」とかでしょうかねぇ。成績からいって。
…いや、特定されていわれたところでしないとは思うんですが(斬)
母曰く、所謂「お中元のお礼」だろう、と。
それなら少し納得。確かに考えてみるとわざわざ「勉強しろ」とだけかけてくるのもおかしいですもんね。
しかしその「事実」を知らされないと「それもアリなんじゃないか」と思えてくるという不思議(何)
ところで、今日は「マンゴスチン」、近頃生での輸入が可能になった「フルーツの女王」ともいわれる果物なんですが、それを買ってきました。
恐らく明日食べると思うんで感想は明日にでも。
忘れっぽさをどうにかしたいと思った一日。
では。
「人を悲しませること」より「人を喜ばせること」のほうが難しい。
「嘘を吐くこと」より「真実をいうこと」のほうが難しい。
「信用を崩すこと」より「信用を得ること」のほうが難しい。
このように色々な例があるワケですけれども。
しかしまあ、今の「社会の表面」は、大体「簡単」なことで構成されてるんです。
例えば誰もかもが気になるような話題を取り上げて釣ってみたり、
昔のヒット曲をアレンジして売り出してみたり、
悪いことをしてお金をたくさん得ようとしてみたり。
これらもみんな、比較的「簡単」なことなんです。
所謂「典型的」なパターンというか。
「こうするにはこうすれば楽だ」というような。
勿論、「効率が良い」という「楽」というのもあるんですが、
今挙げたのは「効率が良い」というより「横着」ですよね。
「横着」をしていては何も「良い」ことはないんです。
ある意味「姑息」というか、「一時凌ぎ」なんです。
そんなことは、続けていてもいつか「崩れる」。
まぁ、「崩れる」前にうまく引き上げるのが「業界」ってやつですけどもね。
取り敢えず、そういった意味で「簡単」なことばかりやってる間は「発展」しません。「本質的」に。
そりゃ「金銭的」には儲かってるかも知れませんけどね。
では本文。
今日は久々のというか恒例のというか、カラオケに行って参りました。
自分は「ピアノ教室」なんで途中で抜けたんですけど、楽しかったです。
しかし相変わらず歌うものが固定されている自分は果たしてどうなのか、と。
↑知るか。
ところで、カラオケから帰る途中、あることに気付いたんです。
…荷物を置き忘れてきた(汗)
待ち合わせ場所に行く前に本を買ったんですが、その本を入れた袋を忘れてきて。
しかし戻るにしても中途半端な位置にいたので、誰かが気付いて持って帰ってきてくれることを祈りつつ帰りました。
そして「ピアノ教室」。なんだか「発表会」に出ることになったようで。
曲のほうは、自分は前々から「やるなら難易度の低い静かな曲」と言ってて、
ショパンの「ノクターン」なんかいいなぁと思ってたんですけども、
先生が丁度良い曲をみつけてきたみたいで。
「星に願いを」。恐らく殆どの人が名前は知っていて、殆どの人が曲を聞いたら「ああ、これか」と思えるあの曲です。
それに少しアレンジを加えた曲なんですけども、難易度としても丁度よく、それに決定しました。多分。
しかし自分は相変わらず酷い「アガリ症」なもので、果たして本番でうまくいくのかどうかと(汗)
↑今から不安がってもしょうがないだろ。
それから家に帰ってみると、どうやら色々あったようで。
先ず、あの忘れ物の本、近くに住んでる友人が持って帰ってきて届けてくれた、と。感謝。
↑ここで感謝しても意味がないだろうに。
そして、「担任の先生から電話があった」とのこと。
…え?何かあったんですか?(汗)
思い当たるフシがたくさんある自分、色々な理由が頭に浮かんできまして。
父に訊いたところ、「もっと勉強をするように」と言っていたそうで。
…教科名とか挙げないんでしょうか?(汗)
「勉強しろ」っていわれても、どれを勉強すればいいんだか(蹴)
「化学」とか「地理」とかでしょうかねぇ。成績からいって。
…いや、特定されていわれたところでしないとは思うんですが(斬)
母曰く、所謂「お中元のお礼」だろう、と。
それなら少し納得。確かに考えてみるとわざわざ「勉強しろ」とだけかけてくるのもおかしいですもんね。
しかしその「事実」を知らされないと「それもアリなんじゃないか」と思えてくるという不思議(何)
ところで、今日は「マンゴスチン」、近頃生での輸入が可能になった「フルーツの女王」ともいわれる果物なんですが、それを買ってきました。
恐らく明日食べると思うんで感想は明日にでも。
忘れっぽさをどうにかしたいと思った一日。
では。
THE UNUSUALER.
2004年7月9日「過ぎたるは及ばざるが如し」かと思った今日この頃。
まあ、テストでいえば、複数選択の問題。
必要なものが足りなくても減点されますし、不必要なものがあっても減点される。
つまり、「不必要なものがある」というのは「必要なものが足りない」のと同じというわけで。
この諺はそういう、「二次関数」的な事象をさすのかと。
ある一定の値迄は増加し、それを過ぎると減少していく、と。
例えば「食べ過ぎ」と「栄養失調」は違うワケで。
確かに「健康でない」という点では同じですけども。
「視点」を変えれば何だってそういえるのかも知れません。
では本文。
テスト四日目。残すところあと一日、ですね。
一時限目:英II:(謎)
よくわかりません。問題自体。
難しいのか簡単なのかさえ判断がつかなくて。
そういえば先生が「最低でもそこまで悪い点は取らせん」とか言ってたので、
難しいのと簡単なのを織り交ぜてたんでしょうか。
問題の難しさにムラがあった試験でした。
二時限目:地理:(運)
地理を選んでよかったと思えたことは、今回からマークシート型になったということ。
全問四択だとすれば、「期待値」として25点は取れますし。
↑飽くまでも「期待」値だ。
ただ、そううまくもいかないもんで、結局は運任せとなりました。
自分の勘が冴えていたことに期待しつつ、やはりそんなに得点は望めないだろう、と。
さて、早くも保健の試験が返ってきまして。
これもマークシート型で、「運」で選んだところが多々あるんです。
…これじゃあ地理も多分駄目です(汗)
「運任せ」のとこは殆ど間違ってまして。ボロボロでした。
まだ明日があるというのにこんな結果をみると少し不安になりそうですが。
別にそんなこともなく自習室へいってテスト明けにやらねばならない課題を仕上げました。
↑明日のテスト勉強くらいしろ。
そして、帰るため外に出ると。
晴れてるんですけど、雨が降ってました。
よく見ると薄い雲が上空にあるようなんですけど。
「狐の嫁入り」か、と。普段より若干雨が強めですが。
そしてふと右を見ると、非常にくっきりとした虹がありました。
ここまで鮮明な虹は未だかつて見たことがなかったというくらい。
そして驚いたことに、その少し上を見るともう一つ、うっすらと虹が。
「二重虹」というやつですか。いうなれば「rainbow rainbow」。
↑一部の人にしか真意のとれないネタを使うな。
これは生まれて初めて見るワケで。思わず「二重虹だ」と一人歓喜してしまったりも。
しかも下の虹は「根元」までくっきりと見える。もう大変美しく思えたワケで。
雷が鳴り、そろそろいこうかと思い歩きながら見ていると、虹は少しずつ薄くなっていって。
あれって、「視点」が変わったからああなるのか、それとも「雲」が動いているから時間が経つにつれそうなるのか、どっちなんでしょう。
「虹」ってのは「光の反射」ですから、双方が原因だと思うのですが。
さて、素晴らしいものを見て、少しの「希望」すらおぼえて帰ってきました。
でもやることはいつもと同じでした。
「感動」なんて、やはりそれを感じているとき、または思い出したときだけのものかなぁ、と。
一時であれ心を動かされた一日。
では。
まあ、テストでいえば、複数選択の問題。
必要なものが足りなくても減点されますし、不必要なものがあっても減点される。
つまり、「不必要なものがある」というのは「必要なものが足りない」のと同じというわけで。
この諺はそういう、「二次関数」的な事象をさすのかと。
ある一定の値迄は増加し、それを過ぎると減少していく、と。
例えば「食べ過ぎ」と「栄養失調」は違うワケで。
確かに「健康でない」という点では同じですけども。
「視点」を変えれば何だってそういえるのかも知れません。
では本文。
テスト四日目。残すところあと一日、ですね。
一時限目:英II:(謎)
よくわかりません。問題自体。
難しいのか簡単なのかさえ判断がつかなくて。
そういえば先生が「最低でもそこまで悪い点は取らせん」とか言ってたので、
難しいのと簡単なのを織り交ぜてたんでしょうか。
問題の難しさにムラがあった試験でした。
二時限目:地理:(運)
地理を選んでよかったと思えたことは、今回からマークシート型になったということ。
全問四択だとすれば、「期待値」として25点は取れますし。
↑飽くまでも「期待」値だ。
ただ、そううまくもいかないもんで、結局は運任せとなりました。
自分の勘が冴えていたことに期待しつつ、やはりそんなに得点は望めないだろう、と。
さて、早くも保健の試験が返ってきまして。
これもマークシート型で、「運」で選んだところが多々あるんです。
…これじゃあ地理も多分駄目です(汗)
「運任せ」のとこは殆ど間違ってまして。ボロボロでした。
まだ明日があるというのにこんな結果をみると少し不安になりそうですが。
別にそんなこともなく自習室へいってテスト明けにやらねばならない課題を仕上げました。
↑明日のテスト勉強くらいしろ。
そして、帰るため外に出ると。
晴れてるんですけど、雨が降ってました。
よく見ると薄い雲が上空にあるようなんですけど。
「狐の嫁入り」か、と。普段より若干雨が強めですが。
そしてふと右を見ると、非常にくっきりとした虹がありました。
ここまで鮮明な虹は未だかつて見たことがなかったというくらい。
そして驚いたことに、その少し上を見るともう一つ、うっすらと虹が。
「二重虹」というやつですか。いうなれば「rainbow rainbow」。
↑一部の人にしか真意のとれないネタを使うな。
これは生まれて初めて見るワケで。思わず「二重虹だ」と一人歓喜してしまったりも。
しかも下の虹は「根元」までくっきりと見える。もう大変美しく思えたワケで。
雷が鳴り、そろそろいこうかと思い歩きながら見ていると、虹は少しずつ薄くなっていって。
あれって、「視点」が変わったからああなるのか、それとも「雲」が動いているから時間が経つにつれそうなるのか、どっちなんでしょう。
「虹」ってのは「光の反射」ですから、双方が原因だと思うのですが。
さて、素晴らしいものを見て、少しの「希望」すらおぼえて帰ってきました。
でもやることはいつもと同じでした。
「感動」なんて、やはりそれを感じているとき、または思い出したときだけのものかなぁ、と。
一時であれ心を動かされた一日。
では。
THE BASICER.
2004年7月8日「結果」は変わらないかと思った今日この頃。
例えば、テストが終わり、「運を天に任せる」といった場合。
果たして、それは「運」で変わるものか、と。
これから「始まる」ものであればそれもありかもしれませんが、
既に「終わった」ものについては何をしようと「変わらない」のです。
そりゃ、例なら「採点者側のミス」もあるかもしれませんがそうなったとして何がある、と。
そうした、「終わったこと」については、「運を天に任せる」とか、そういったことはしても無駄である、と。
それをするなら「過去の自分の行動を信じる」ことをしたほうがいい、と。
「結果」を作り上げたのは「過去の自分」であるからして。
まあしかし、「心を落ち着かせる」という意味を考えたら別にどっちでもいいか、とも。
では本文。
試験二日目でありますが。
…寝過ぎでしょうか、朝起きたら腰が痛くて(汗)
次第に痛みはひいていったんで別にどうってこともないんですが。
一時限目:古典:(並)
大きな失点源である文法問題もなく、人並みにはできたと思うのですが。
やはり思うだけでそんなにできてないんだろうなぁと思う次第で。
二時限目:数学:(沈)
珍しく時間が余る。余ったときって逆にドキドキしたりします。
一応、計算間違いとかはないはずなんですがどうか、と思いつつ試験終了。
しかし家に帰り、友人とメッセンジャーで話していたときに間違い発覚。
…すんごいケアレスミスというか、普通ありえないミスというか(汗)
まさか、2の4乗を8として計算してるなんて。
その問題は一応見直しもしたんですが、違うところに目がいっていて気付かなかったんでしょう。
「ケアレスミス」ってのは、そういった、気付かないところにこそ存在するんですが。
その問題の「落とし穴」ばかりに気を取られ、近くにあった「ただの小石」に躓かされた、というような。
しかしこの一問だけのミスであればホントに気が滅入る(汗)
「防げた間違い」だけで「満点」を壊されるってのは、「防げない間違い」でそうされるよりよっぽど辛いもので(何)
数学のミスを知らずに、少しの希望を胸に秘めつつ帰って、
母と定期券を買いに行って、そのままダイエーに行って。
…「デビルマン」で六連荘ってなんですかこれは(汗)
母から確変状態にあるデビルマンを受け継いで打ってたらその後四連荘。
当たったメダルは六百枚を超えて。どうしろと。
暫く当たりつ外れつでのんびりメダルゲームをしても、最終的に四百枚以上は残ってましたし。
メダルゲームのほうはやはりついてませんでしたけど。
しかし、デビルマンで幸運を得て、メダルゲームでは不運だった。
…そうなるとテストも不運だったのかなあ(汗)
そういった悪い予感がしまして。
帰ってメッセンジャーで話すと案の定、テストでの間違いを発見して。
「人事が万事、塞翁が馬」といいますけど、何だか幸と不幸は交互にきてるとしか考えられない。
…幸と不幸が交互に来るのは当たり前ですけど。
例えば電気のスイッチは必ず「入」と「切」が交互となる。
「入」になれば「切」にしかならないし、その逆もしかり、と。
しかし、そのようになってしまえば、迷信(?)に惑わされたくもなるワケで。
因みに、メダルゲームの結果の「不運」が続いてるとなれば、次は「幸運」がくる筈なんですが。
その後そんなことはなかったのでやはりあれは「そんな気がしただけ」だったんでしょう。
不確実な不安が確実なものになった一日。
では。
例えば、テストが終わり、「運を天に任せる」といった場合。
果たして、それは「運」で変わるものか、と。
これから「始まる」ものであればそれもありかもしれませんが、
既に「終わった」ものについては何をしようと「変わらない」のです。
そりゃ、例なら「採点者側のミス」もあるかもしれませんがそうなったとして何がある、と。
そうした、「終わったこと」については、「運を天に任せる」とか、そういったことはしても無駄である、と。
それをするなら「過去の自分の行動を信じる」ことをしたほうがいい、と。
「結果」を作り上げたのは「過去の自分」であるからして。
まあしかし、「心を落ち着かせる」という意味を考えたら別にどっちでもいいか、とも。
では本文。
試験二日目でありますが。
…寝過ぎでしょうか、朝起きたら腰が痛くて(汗)
次第に痛みはひいていったんで別にどうってこともないんですが。
一時限目:古典:(並)
大きな失点源である文法問題もなく、人並みにはできたと思うのですが。
やはり思うだけでそんなにできてないんだろうなぁと思う次第で。
二時限目:数学:(沈)
珍しく時間が余る。余ったときって逆にドキドキしたりします。
一応、計算間違いとかはないはずなんですがどうか、と思いつつ試験終了。
しかし家に帰り、友人とメッセンジャーで話していたときに間違い発覚。
…すんごいケアレスミスというか、普通ありえないミスというか(汗)
まさか、2の4乗を8として計算してるなんて。
その問題は一応見直しもしたんですが、違うところに目がいっていて気付かなかったんでしょう。
「ケアレスミス」ってのは、そういった、気付かないところにこそ存在するんですが。
その問題の「落とし穴」ばかりに気を取られ、近くにあった「ただの小石」に躓かされた、というような。
しかしこの一問だけのミスであればホントに気が滅入る(汗)
「防げた間違い」だけで「満点」を壊されるってのは、「防げない間違い」でそうされるよりよっぽど辛いもので(何)
数学のミスを知らずに、少しの希望を胸に秘めつつ帰って、
母と定期券を買いに行って、そのままダイエーに行って。
…「デビルマン」で六連荘ってなんですかこれは(汗)
母から確変状態にあるデビルマンを受け継いで打ってたらその後四連荘。
当たったメダルは六百枚を超えて。どうしろと。
暫く当たりつ外れつでのんびりメダルゲームをしても、最終的に四百枚以上は残ってましたし。
メダルゲームのほうはやはりついてませんでしたけど。
しかし、デビルマンで幸運を得て、メダルゲームでは不運だった。
…そうなるとテストも不運だったのかなあ(汗)
そういった悪い予感がしまして。
帰ってメッセンジャーで話すと案の定、テストでの間違いを発見して。
「人事が万事、塞翁が馬」といいますけど、何だか幸と不幸は交互にきてるとしか考えられない。
…幸と不幸が交互に来るのは当たり前ですけど。
例えば電気のスイッチは必ず「入」と「切」が交互となる。
「入」になれば「切」にしかならないし、その逆もしかり、と。
しかし、そのようになってしまえば、迷信(?)に惑わされたくもなるワケで。
因みに、メダルゲームの結果の「不運」が続いてるとなれば、次は「幸運」がくる筈なんですが。
その後そんなことはなかったのでやはりあれは「そんな気がしただけ」だったんでしょう。
不確実な不安が確実なものになった一日。
では。
THE DIVIDER.
2004年7月5日「分割」して考えることが大事かと思った今日この頃。
例えば、今、とても大きな「目標」があったとして。
その「目標」を達成するには一体どうすればいいのか。
それが大きすぎてわからない。できるわけがないと思ってしまう、と。
「ビンの中の船の模型」ってありますよね。
一見すると、「こんなのどうやって入ったんだ、不可能だろう」と感じるあれです。
しかしそこには「タネ」がある。
確かに、あんな大きな模型をそのままビンに入れることはできない。
しかし、ビンに入るくらいの小さな部品を、ビンの中で組み立てることはできる。
そこなんです。「不可能を可能にする方法」はそこにあるんです。
「逆転の発想」ともいいますけど、そこが大事なんで。
「自分にできる小さなことを組み立てて大きなものにする」という。
「大きな目標」だって、よくみれば、「小さな目標」の塊なんです。
「大きな目標」を一気に達成することはできないが、「小さな目標」を達成していくことはできる。
そしてそうしているといつかは「大きな目標」も達成できる、と。
大きなものをそのままの「一つの大きなもの」としてみず、「小さなものの集合体」とみようとする。
そうしてその、「小さなもの」がみえたら、それを少しずつ組み立てることにより「大きなもの」になっていくのではないか、と。
「ビンの中の船の模型の話」にはそういった訓話がある、ワケがありませんけれど。
そんなことを思いついてみたワケです。
では本文。
テスト前日。もうそんな日ですか。嬉しいですね。
↑お前のものさしはどこか歪んでる。
午前中授業だったんですけど、四限のうち三限が自習でして。
…やることがないんですけども(斬)
しかし恐らくこんなことになるだろうと思って、明日の試験に備えようと教材を持ってきて。
試験勉強といっても明日は「宗教」、「情報」、「保健」ですけども。
…教科書とか読むだけで終わっちゃう教科です(汗)
案の定、一時間分の暇ができてしまい。
仕方がないので数学の宿題等してました(蹴)
↑範囲が違うし、試験関係ないだろ。
今日は「ピアノ教室」があるので自習室へはいかずに帰ってきました。
ピアノ練習してパソコンに向かってまた練習して…と。
一度一度、間をあけたほうが個人的になんとなくいいんです。
今のところ、数曲しか練習できるものはなく、そのため長時間続けてもマンネリ化するというか。
だから一度パソコンにでも向かい、また弾きたくなってきたら弾く、と。
…しかし「右手をfで、左手をpで」とか、自分にはすごい難しいんですけど(汗)
右手左手で指使いが違うというのにも戸惑ってるのに、その上右手と左手で強弱の差をつけろ、と。
頑張ってみたところそれっぽいことはできるようになったんですがどうか(何)
先生にはそれでいいといわれましたけれども。
「ピアノ教室」があったという以外は基本的にいつもと変わらなかったような。
試験前日という意識がなかった一日。
では。
例えば、今、とても大きな「目標」があったとして。
その「目標」を達成するには一体どうすればいいのか。
それが大きすぎてわからない。できるわけがないと思ってしまう、と。
「ビンの中の船の模型」ってありますよね。
一見すると、「こんなのどうやって入ったんだ、不可能だろう」と感じるあれです。
しかしそこには「タネ」がある。
確かに、あんな大きな模型をそのままビンに入れることはできない。
しかし、ビンに入るくらいの小さな部品を、ビンの中で組み立てることはできる。
そこなんです。「不可能を可能にする方法」はそこにあるんです。
「逆転の発想」ともいいますけど、そこが大事なんで。
「自分にできる小さなことを組み立てて大きなものにする」という。
「大きな目標」だって、よくみれば、「小さな目標」の塊なんです。
「大きな目標」を一気に達成することはできないが、「小さな目標」を達成していくことはできる。
そしてそうしているといつかは「大きな目標」も達成できる、と。
大きなものをそのままの「一つの大きなもの」としてみず、「小さなものの集合体」とみようとする。
そうしてその、「小さなもの」がみえたら、それを少しずつ組み立てることにより「大きなもの」になっていくのではないか、と。
「ビンの中の船の模型の話」にはそういった訓話がある、ワケがありませんけれど。
そんなことを思いついてみたワケです。
では本文。
テスト前日。もうそんな日ですか。嬉しいですね。
↑お前のものさしはどこか歪んでる。
午前中授業だったんですけど、四限のうち三限が自習でして。
…やることがないんですけども(斬)
しかし恐らくこんなことになるだろうと思って、明日の試験に備えようと教材を持ってきて。
試験勉強といっても明日は「宗教」、「情報」、「保健」ですけども。
…教科書とか読むだけで終わっちゃう教科です(汗)
案の定、一時間分の暇ができてしまい。
仕方がないので数学の宿題等してました(蹴)
↑範囲が違うし、試験関係ないだろ。
今日は「ピアノ教室」があるので自習室へはいかずに帰ってきました。
ピアノ練習してパソコンに向かってまた練習して…と。
一度一度、間をあけたほうが個人的になんとなくいいんです。
今のところ、数曲しか練習できるものはなく、そのため長時間続けてもマンネリ化するというか。
だから一度パソコンにでも向かい、また弾きたくなってきたら弾く、と。
…しかし「右手をfで、左手をpで」とか、自分にはすごい難しいんですけど(汗)
右手左手で指使いが違うというのにも戸惑ってるのに、その上右手と左手で強弱の差をつけろ、と。
頑張ってみたところそれっぽいことはできるようになったんですがどうか(何)
先生にはそれでいいといわれましたけれども。
「ピアノ教室」があったという以外は基本的にいつもと変わらなかったような。
試験前日という意識がなかった一日。
では。
THE INATTENTIVER.
2004年7月4日「気付いていない」とはどういウことかと思った今日この頃。
例えば、電車に乗り、小説などを読んでいたらいつのまにか目的の駅についていた。
そのような経験は大抵の人が持っていると思うのですが。
この際、「間の駅の通過」に「気付いていない」んです。
目的駅でなくとも、気付いたら一つ二つ、駅を通過していたという。
「寝ていた」とか、そういうことが原因であるのとは違うんです。
確かに「耳」は「アナウンス」を聞いたハズだし、「身体」は電車の動きを感じていたハズ。
それなのに、「気付いていな」かった。それってどういうことかと。
「集中」するとき、そういうことってよく起こります。
「一つのことに気を注ぐ」、つまり、他のことは「気にかけない」んです。
成る程「気にかけない」のなら「気付く」こともないな、と。
しかし、「五感」はいつでもはたらいているはずなんです。
鼓膜は空気の振動をうけるんです。いくら集中しようと。
それなのに「音」に気付かなかったりする。一体どういうことか、と。
単に「忘却」したということも考えられます。
確かにそのとき「感じ」はした。しかしすぐさま忘れてしまった、と。
しかし、恐らくそうではないのではないか、と。
確かに鼓膜は振動したが、それを「脳」が認知しなかった、させなかったのではないか、と。
つまり、そういう電気信号を一切受け止めなかった、と。
成る程それならば確かに気付かないんですが、果たしてそんな事が可能なのかと。
人体の仕組みってのは今だ謎が多いので、そういうことも可能なんではないか、と。
「気にしない」ということはつまり、そういった電気信号を「受け入れない」ってことなのかと。
パソコンでいえば所謂「一部だけフリーズ状態」というか。それはちょっと違いますか。
しかし逆に、寝ていても電気信号が「受け入れ」られてたりもするんですよね(何)
では本文。
今日はもう、家でゆったりとすることにしまして。
取り敢えず昼頃まで寝て、パソコンに向かったりピアノに向かったり。
そして夜になって、母達が帰ってきたのですが。
勿論土産があるワケで。自分はそれを楽しみにしてました。
↑お前は子供か。
…「東京ばな奈」って何なんでしょうか(汗)
いや、他の「チョコレートクレープタルトケーキ」とかは別にいいんです。
確かに「それって東京って名前がついてるだけだろ」って気はしますけども。
しかし、「東京ばな奈」というのは一体なんなのかと。
調べてみたところ、なんだか有名な東京土産らしいですが、自分が訊きたいのはそんなんじゃなくて。
「東京」と「バナナ」に一体何の関係があるのか、と。
でも、よく考えたら旅の土産だし、別にそこまでおかしくもないか、と。
お菓子だし、美味しけりゃいいや、と。
↑お前の土産に対する価値は美味しさだけか。
ところで、百円のゲームも売っていたから買ったんだとか。
「百円のゲーム」というと、なんだかあの、ちっちゃいテトリスとかを思い出すんですけれども。
PSのソフトでした。そんなものが百円で売っているのか、と。
でもみるからにマイナーゲームとか、流行が去ったものだし、百円でもおかしくないか、と。
その中に「DDR」もあり、なんだか懐かしくもなったり(何)
当時は収録曲が二十曲未満だったんだよなぁ、と。
よく考えたらよくあれが売れたなぁとも思うんですが、それも今があってこそ思うんでしょうかね。
あの頃は「それだけしかなかった」ワケですし。
さて、話を伸ばすのもこのへんにしておいて。
今日はよく寝たワケですけど、だからといって遅くまで起きてては意味がないのではないかと思うんですが。
休日ってのは、次の日に備えて早くに寝るべき日なんじゃないかと。
休日をはさんだのに、次の日睡眠不足、ってのはどうも変ではないか、と。
そう思いつつもやはり夜遅くまで起きてしまう自分ですけれども。
結局休んだとはいえないのではないかと思った一日。
では。
例えば、電車に乗り、小説などを読んでいたらいつのまにか目的の駅についていた。
そのような経験は大抵の人が持っていると思うのですが。
この際、「間の駅の通過」に「気付いていない」んです。
目的駅でなくとも、気付いたら一つ二つ、駅を通過していたという。
「寝ていた」とか、そういうことが原因であるのとは違うんです。
確かに「耳」は「アナウンス」を聞いたハズだし、「身体」は電車の動きを感じていたハズ。
それなのに、「気付いていな」かった。それってどういうことかと。
「集中」するとき、そういうことってよく起こります。
「一つのことに気を注ぐ」、つまり、他のことは「気にかけない」んです。
成る程「気にかけない」のなら「気付く」こともないな、と。
しかし、「五感」はいつでもはたらいているはずなんです。
鼓膜は空気の振動をうけるんです。いくら集中しようと。
それなのに「音」に気付かなかったりする。一体どういうことか、と。
単に「忘却」したということも考えられます。
確かにそのとき「感じ」はした。しかしすぐさま忘れてしまった、と。
しかし、恐らくそうではないのではないか、と。
確かに鼓膜は振動したが、それを「脳」が認知しなかった、させなかったのではないか、と。
つまり、そういう電気信号を一切受け止めなかった、と。
成る程それならば確かに気付かないんですが、果たしてそんな事が可能なのかと。
人体の仕組みってのは今だ謎が多いので、そういうことも可能なんではないか、と。
「気にしない」ということはつまり、そういった電気信号を「受け入れない」ってことなのかと。
パソコンでいえば所謂「一部だけフリーズ状態」というか。それはちょっと違いますか。
しかし逆に、寝ていても電気信号が「受け入れ」られてたりもするんですよね(何)
では本文。
今日はもう、家でゆったりとすることにしまして。
取り敢えず昼頃まで寝て、パソコンに向かったりピアノに向かったり。
そして夜になって、母達が帰ってきたのですが。
勿論土産があるワケで。自分はそれを楽しみにしてました。
↑お前は子供か。
…「東京ばな奈」って何なんでしょうか(汗)
いや、他の「チョコレートクレープタルトケーキ」とかは別にいいんです。
確かに「それって東京って名前がついてるだけだろ」って気はしますけども。
しかし、「東京ばな奈」というのは一体なんなのかと。
調べてみたところ、なんだか有名な東京土産らしいですが、自分が訊きたいのはそんなんじゃなくて。
「東京」と「バナナ」に一体何の関係があるのか、と。
でも、よく考えたら旅の土産だし、別にそこまでおかしくもないか、と。
お菓子だし、美味しけりゃいいや、と。
↑お前の土産に対する価値は美味しさだけか。
ところで、百円のゲームも売っていたから買ったんだとか。
「百円のゲーム」というと、なんだかあの、ちっちゃいテトリスとかを思い出すんですけれども。
PSのソフトでした。そんなものが百円で売っているのか、と。
でもみるからにマイナーゲームとか、流行が去ったものだし、百円でもおかしくないか、と。
その中に「DDR」もあり、なんだか懐かしくもなったり(何)
当時は収録曲が二十曲未満だったんだよなぁ、と。
よく考えたらよくあれが売れたなぁとも思うんですが、それも今があってこそ思うんでしょうかね。
あの頃は「それだけしかなかった」ワケですし。
さて、話を伸ばすのもこのへんにしておいて。
今日はよく寝たワケですけど、だからといって遅くまで起きてては意味がないのではないかと思うんですが。
休日ってのは、次の日に備えて早くに寝るべき日なんじゃないかと。
休日をはさんだのに、次の日睡眠不足、ってのはどうも変ではないか、と。
そう思いつつもやはり夜遅くまで起きてしまう自分ですけれども。
結局休んだとはいえないのではないかと思った一日。
では。
THE FALSER.
2004年7月3日「全てを疑う」という姿勢も大事かと思った今日この頃。
最近は、「社会」でさえも平気で間違いを流しますから。
「社会」というか、「情報を垂れ流している人々」、いわゆる「テレビ局」や「新聞社」ですね。
そりゃ、「バラエティ番組」などで言葉が乱れているのは気にしない。
いやでも、あまりにも乱れすぎててはいけませんが。あれだって、「影響」しますし。
ただ、それ以上に、「ニュース番組」等、所謂「情報」を与えるものですね。
「世界の動き」というか、「身近な事件」というか。そういったものを「厳か」に伝えるべきもの。
そのようなものの中でさえ、平気で「間違う」。これはもう危ない。
「ニュース」として、「公」に流れるからには、何にも偏らず、常に「正しい」ことを報じなければならないと思うんです。
多少の「言葉の綾」は許せるとしても、根っから間違ってる「情報」を流されてはたまらない。
そこには「責任」があるんです。あとで訂正したら済むなんて思っちゃあならない。
さて、「冗談」であったって、それによって「影響」を受ける人がいるように、
いくら「お楽しみ番組」だからって、やはり「影響」を考え、そこそこのものにしてほしいんですが。
それでもやはり大切なのはそんなことより「視聴率」なんでしょうかねぇ。
「送り手」が悪いか、「受け手」が悪いか。
はっきりいえば、「受け手」が「子供」である場合、「送り手」が悪いんです。
「子供」に対して、「情報の良し悪しを判断せよ」なんていったって無理ですから。
だから、せめて「子供」が起きてるような時間帯に、そんな番組をやってほしくはないんですけど。
まぁ、物事を「疑う」ことができるようになったら、是非ものの真偽を自らでも考えて欲しいなぁ、と。
今の「報道」に対し、「鵜呑み」なんてのは絶対駄目ですから。
では本文。
父と自分と弟しかいない朝。
なんだか物静かで奇妙だというかなんというか。
父がいないとか、兄弟がいないとかいうことはたまにありますが、
母と弟二号と妹がいないなんてことはなかなかないワケで。
大して寂しいとは思わないんですが、「再認識」するとき、少し寂しかったり。
例えば、何か「伝えたいこと」ができて、伝えようと思ったけど、「そういえばいないんだったっけ」と気付いたとき。
これは「寂しい」というより、ただそのことを「伝えられない」ということへのもどかしさでしょうか。
さて、つまりは家には三人しかいないのですが、それはおいといて。
今日は土曜日。またあっという間に週末ですね。
昨日にもらった「クラブ加入願」を提出してきました。
しかしつまりはこの一年余り、自分は正式な「部員」ではなかったと。
でも、「部員か否か」なんて、本質的には「加入届を出したか否か」には依存しないと思うんですけどどうか。
なんというか、そこそこ活動に出てたら、別に「加入届」なんかなくても「部員」だ、と。
正式には「数学物理研究会」は「同好会」なんで「会員」ですけど(何)
自分はなんとなくそんな見解を持っているワケで。
…「加入願」を出すのが面倒なんで言い訳をしてみたまでで(蹴)
さて、今日もまた「自習室」へいってきました。
相変わらずテスト勉強の教材はなく、夏休みの宿題を進めているのですが。
「テスト前の自習室」の利用法を間違ってますか。そうですか。
それから家に帰り、いつもと違って静かに過ごして。
それでもだらだらしていることに変わりはありませんが。
誰かが終日いないってだけで、意外と家の雰囲気は変わるもので。
家が広く感じられた一日。
では。
最近は、「社会」でさえも平気で間違いを流しますから。
「社会」というか、「情報を垂れ流している人々」、いわゆる「テレビ局」や「新聞社」ですね。
そりゃ、「バラエティ番組」などで言葉が乱れているのは気にしない。
いやでも、あまりにも乱れすぎててはいけませんが。あれだって、「影響」しますし。
ただ、それ以上に、「ニュース番組」等、所謂「情報」を与えるものですね。
「世界の動き」というか、「身近な事件」というか。そういったものを「厳か」に伝えるべきもの。
そのようなものの中でさえ、平気で「間違う」。これはもう危ない。
「ニュース」として、「公」に流れるからには、何にも偏らず、常に「正しい」ことを報じなければならないと思うんです。
多少の「言葉の綾」は許せるとしても、根っから間違ってる「情報」を流されてはたまらない。
そこには「責任」があるんです。あとで訂正したら済むなんて思っちゃあならない。
さて、「冗談」であったって、それによって「影響」を受ける人がいるように、
いくら「お楽しみ番組」だからって、やはり「影響」を考え、そこそこのものにしてほしいんですが。
それでもやはり大切なのはそんなことより「視聴率」なんでしょうかねぇ。
「送り手」が悪いか、「受け手」が悪いか。
はっきりいえば、「受け手」が「子供」である場合、「送り手」が悪いんです。
「子供」に対して、「情報の良し悪しを判断せよ」なんていったって無理ですから。
だから、せめて「子供」が起きてるような時間帯に、そんな番組をやってほしくはないんですけど。
まぁ、物事を「疑う」ことができるようになったら、是非ものの真偽を自らでも考えて欲しいなぁ、と。
今の「報道」に対し、「鵜呑み」なんてのは絶対駄目ですから。
では本文。
父と自分と弟しかいない朝。
なんだか物静かで奇妙だというかなんというか。
父がいないとか、兄弟がいないとかいうことはたまにありますが、
母と弟二号と妹がいないなんてことはなかなかないワケで。
大して寂しいとは思わないんですが、「再認識」するとき、少し寂しかったり。
例えば、何か「伝えたいこと」ができて、伝えようと思ったけど、「そういえばいないんだったっけ」と気付いたとき。
これは「寂しい」というより、ただそのことを「伝えられない」ということへのもどかしさでしょうか。
さて、つまりは家には三人しかいないのですが、それはおいといて。
今日は土曜日。またあっという間に週末ですね。
昨日にもらった「クラブ加入願」を提出してきました。
しかしつまりはこの一年余り、自分は正式な「部員」ではなかったと。
でも、「部員か否か」なんて、本質的には「加入届を出したか否か」には依存しないと思うんですけどどうか。
なんというか、そこそこ活動に出てたら、別に「加入届」なんかなくても「部員」だ、と。
正式には「数学物理研究会」は「同好会」なんで「会員」ですけど(何)
自分はなんとなくそんな見解を持っているワケで。
…「加入願」を出すのが面倒なんで言い訳をしてみたまでで(蹴)
さて、今日もまた「自習室」へいってきました。
相変わらずテスト勉強の教材はなく、夏休みの宿題を進めているのですが。
「テスト前の自習室」の利用法を間違ってますか。そうですか。
それから家に帰り、いつもと違って静かに過ごして。
それでもだらだらしていることに変わりはありませんが。
誰かが終日いないってだけで、意外と家の雰囲気は変わるもので。
家が広く感じられた一日。
では。