THE ALONER.

2004年9月15日
最も哀しいことは何かと思った今日この頃。
それは「無視」をされてしまうというか、「忘れ去られてしまう」こと。
「他人がいるからこそ自分が形成されて入る」というような言葉にあるように、
人は常に他人によってその存在を実感しているのであり。
「他人に忘れ去られる」こと、それはつまり「孤立」であり「存在の空虚化」。
自分は一体何処に、何のために「存在」しているのかがわからなくなる。
まあ、本人が「忘れ去られている」ということに気付いていなければよいのかもしれませんが。
「何かを失う」ことで哀しむというのは、まだ「大切な何か」があった、ということなのです。
本当に「独り」になってしまうということ。
それが最も哀しいことなのかもしれません。
では本文。
本日は「誕生日」なのですが。
十七歳ともなると、別にそんなことどうでもよくなってきたりもするワケで。
誕生日ケーキも誕生日プレゼントもありませんし。
↑お前が「誕生日」に求めるものはそれだけか。
しかし今年は去年までと違う点が一つ有りまして。
それは「敬老の日」ではないこと。何だか落ち付かない。
今までは自分の誕生日ってのは休日だったんです。
それが何か、「ハッピーマンデー法」だとかいうふざけた法によって別の日になっちゃいまして。
「祝日」が年毎に移動するとは何事か、と。
そりゃ自分の誕生日の特権を奪われたこともありますが、それを抜いてもこの法には疑問が残る。
「三連休」を作るためというのもあるらしいんですが、自分の行ってる学校、土曜日もきちんとありますから。二連休にしかならないんです。
だから祝日が土曜日のとき、週休五日制の学校に通う人々はガッカリしてんだろうな、と思って少し面白がったりもしたり(蹴)
↑心がすさんでる。
さて、話がどんどんずれていくのでここらで強引に元に戻します。
「誕生日」だからというのではないんですが、友人が「博士の愛した数学」を持ってきてくれました。
単なる「偶然」です。別に「引力」とかそんなんじゃないです。多分。
そして帰りの電車内で十頁程読んだのですが。
色々な数学の知識を使ったものが出てくるのは面白い。
「一億までの素数の数」だとか、「絶対数」だとか。
しかしいかんせん腑に落ちないのが、「数値をあとから設定している」ということ。
主人公(?)の家政婦の年齢や誕生日などがどのような意味を持つ数字かということが博士から伝えられるんですが、
やはりそういった数学における「意味を持つ数字」を先にいくらか調べて、それをその「プロフィール」に埋め込んでいる、と。
「後付け」というかなんというか、面白いんだけどそこだけが引っかかる。
あまりにも「できすぎている」ことへの違和感、ってやつです。
さて、また話を元に戻して。
今日は居残りもなかったんで、自習室に行かず家へ帰りました。
居残りがなかったことが唯一の誕生日プレゼントでしょうか。
誕生日でも家族から祝いの言葉の一つもかけてもらえない。
もう祝うほどの年齢ではないとはわかってますけど。
「ああ、今日は誕生日だね」、っていう、それだけで終わるような雰囲気。
最早「誕生日」は「特別な日」ではなくなった、と。
それでも「キッカケ」として利用することはできます。
明日から何かと頑張ろうかという気になれたりします。
取り敢えず、明日から宿題を仕上げにかかります。
少し寂しさを感じた一日。
では。

THE REASONER.

2004年9月14日
「理由」があるから「行動」するものかと思った今日この頃。
「理由」ではなく「目的」だとか「意味」だとか。
例えば目的地に行くために歩く。歩いていては間に合わないから走る。
このとき、「歩くこと」と「走ること」にはともに「理由」がある。
眠たいから眠る。暇だからうろうろとする。
これらにもまだ「理由」はある。
さて、では根本的なところに戻るとどうなるのか。
「理由があるから行動する」ということが正しいとすると、
「理由」があるから、我々は「考える」んですよね。
そこで、その「理由」とは何かと訊かれると、自分はまず答えられない。
まあ、「考える」ということの意味によっては、「問題を解くため」とかそんなこともいえるんですが。
そこで例えば、「そうすれば『問題を解く』のはどうしてか」となると、「宿題を進めるため」とか答えられる。
そうして、「理由」となることへの「理由」をどんどんと突き詰めていくと、
やっぱり最後には答えられなくなるんです。
なんというか、「微分」をしつづける、というような感じで。
どんどん「根本的な謎」へとその「問い」は近づいていく。
そしてそこで「問い」に答えることはできなくなる。
「面白いから」ということに「理由」を求めてもやはり「面白いから」で。
まるで「f’(x)=0」をまだ微分しつづけるが如く、それ以上先へは進まない答えに収束する場合がある。
「行動」に対する「理由」はある。しかし「理由」に対する「理由」はあってもわからないことがある。
では本文。
昼休み、友人が図書委員で仕事をするらしいので久々に図書室へ。
様々な本があるワケで、やはりその中には多少興味のある本がいくらかありまして。
知らないから興味がなかっただけで、知ると興味がわく、というか。
先ずはそういったものがあるということを知らなければ始まらないというか。
本屋では見かけないような「本」が並んでいて、やはりこういうところは来て損はないなぁ、と。
「こういう本もあるのか」、という発見をするだけでも楽しいもんです。
さて、昨日換金しそこねた金券なのですが。
昨日が換金最終日でしたし、もう無理だと思って持ってこなかったんです。
…まさか今日までに延長されるとは(汗)
何が起こるかわかったもんじゃないですね。
でも明日までの延長は流石に無いでしょう、と。
しかし「可能性」がないとはいえないので一応持って行くことにします。
そして放課後、居残りです。
数学での居残りなのに、自分は英語をやってました。
明後日提出、と約束してしまったんで。したというよりさせられたんで。
しかしこりゃ、絶対とはいえませんが無理な量ですって。
自習室へ行く予定が居残りで疲れて帰っちゃいましたし、無理ですって。
でも間に合わずともできるだけ仕上げときたいので明日は自習室へ行くことにします。
果たしてどこまでできるのか。
↑「果たして完成するのか」とは敢えてかかない。
因みに、長文が二十文ある中で、今日までで計五文消化しました。
全文訳は七文目まででやめて、残りは問題を解くだけにする予定ですが、果たしてどうか。
勿論、答え写せばできるんですけども(蹴)
そういったワケで、明日から自習室通いを始めます。多分。
しかし本当に九月中に終わるんでしょうか。
予定を立てることだけはきちんとしてみた一日。
では。

THE SHINER.

2004年9月13日
「希望」がなけりゃ前に進めないかと思った今日この頃。
自分にとって「苦しいこと」をやるってのは、
大抵の場合、何かしら「見返り」のためにやっているんです。
それが「お金」だったり「満足感」だったりと、種類は様々ですが。
「見返り」がないような苦労をする人はいない、のでしょう。
一見ただ「苦しい」だけで「見返り」がないようにみえることも、
している本人にとってはそこに何かしらの「見返り」があるんです。
他人の価値観なんてわからないものです。
丁度、「金銭」を「見返り」として求める人が「ボランティア活動」をする人の心が理解できないように。
まあ、その先に「希望」があるからこそ「苦労」をしようという気にもなるのです。
例えば「宿題が終われば遊ぼう」、これも「希望」への「苦労」です。
ただ単に「宿題をやらなければならない」ということだけでは誰がそれをしようか。
いや、宿題が好きというような人は置いといて。
一般的にいうと、嫌いなことを何の見返りもなくする人がいるか、と。
そんなことをし続けていたらいつか発狂すると思うんですが。
「修行」だって、心の中での「覚悟」があってやってますし。
兎に角、形が有ろうと無かろうと、「見返り」のために人々は敢えて「苦労」をする。
「心の安泰」だとか、「信心」だとか、その「見返り」は人それぞれ。
つまり、「期待」をせずに「苦労」をする人はいない。
無理矢理「苦労」をさせられた人は、その「苦労」に負けないよう自分の中で「見返り」を設定する。
「苦労」だけをする人なんていないのではないか、と。
寧ろそういった「希望」を見出せるからこそ「苦労」もできるのではないか、と。
「苦労」しなければならないときは、自分の中で何か「納得できる見返り」を設定してみてはどうか、と。
では本文。
今週は丸々六日間ありますね。学校。
しかし来週は色々と欠けたりするんでそれを希望に今週を乗り切るか、と。
そうしているうちに登校生活にも慣れるでしょうし。
部活も暫くないし、自習室を利用して今月中に宿題も仕上げなければならない。
しかし今日は宿題よりもっと大切なものを忘れていたことに気付く。
…模試の代金振込みを忘れていました(汗)
締め切りが昨日だったということに気付いて更に焦る。
結局、今日振込めばよいといわれたんでそうしたのですが。
あれ振込まなきゃ模試行かずに済んだんでしょうかね(斬)
そして文化祭で余った金券。換金の最終日が今日でした。
450円がただの紙切れになってしまいました(汗)
物忘れが激しいというのはこういうところで損をするもんだなぁ、と。
募金したと思えば良いんです。それで「納得」はできます(何)
それからは帰宅、ピアノ教室、家でだらだら、といういつものパターン。
明日から自習室通いになるワケで、多少腹を括らねばならないみたいで。
何を「希望」にして頑張ろうかと思った一日。
では。

THE DIFFERENCER.

2004年9月12日
「変化」して初めて気付くことがあると思った今日この頃。
まあ「失って初めてわかる大切さ」等、結構今までかいたことですけども。
「変化」というものは様々なことを気付かせてくれるんです。
いうなれば「変化の前」と「変化の後」の比較によって何かに気付くんです。
「変わらない」と思っていたものが「変化」したことにより、何かに気付かされるともいうか。
「変化」とはその前後に「違い」を作るということ。
そしてその「違い」が、何かを気付かせてくれるということ。
そして「違い」がわかればそこにある「因果」がわかるかもしれないということ。
「変化」を観察することで、新しい何かが「みえる」ことがあります。
しかしこの現実では複数の「変化」が次々と起こってますから確実な「因果関係」というものはなかなか見つかりませんが。
一つの「変化」だけしか起こらないような「環境」を作り出し、複数の「変化」の中でどの「変化」がその「変化」と「因果関係」をもつのかと調べる。
そういった操作の繰り返しが「新しい発見」に繋がるんでしょうかね。
では本文。
起きてから暫くして、身体にだるさを感じたり頭痛がしたり。
先週は精神面は楽でも、体力的にしんどかったんでしょうかねぇ。
単に寝不足とかそこらへんかも知れませんけども。
パソコンとかしてても異様に目が疲れたりしますし。
原因のわからない、寧ろ原因となりそうなものがありすぎて定まらないってなんか嫌ですね(何)
ところで、外出したとき、紙コップ式の自動販売機で炭酸飲料買ったんです。
あの、紙コップが出てきて液体が注がれるタイプのアレです。
飲んでみると炭酸の感じがしない。もう一口飲んで炭酸がはいっていないとわかる。
炭酸の入ってない「リアルゴールド」ってのもなかなかオツでしたけど。
そして、もしや炭酸水は別個で注がれてるんじゃないかと思って別の炭酸飲料を買いました。
でもそれにはきちんと炭酸入ってました。
「リアルゴールド」だけ炭酸きれてるんでしょうかね。
あの機械の構造が益々わからなくなりました。
ところで、明日から学校ですね。
そう思うことがないくらい逃避してます自分。
これからも休日が続くんだ、みたいな。
今までなら「休日も今日で終わりか…」という心の苦痛があったんですけど。
これは結局のところ「慣れ」なのか「逃避」なのか。
文化祭も終わりましたし、明日からは夏休みの宿題の片付けをしていくワケで。
予定では今月中なんですが、できるかどうか。
暫く部活もないんで、自習室を利用できる限り利用すれば計算上はできるんですが。
でも、自分の「計算」というか「予測」はアテにならないんで微妙です。
「覚悟」を決めて暫く頑張りますかね。
微妙な体調だった一日。
では。

THE STARTER.

2004年9月10日
「始まる」と逆に面白くなくなることもあるかと思った今日この頃。
例えば知らないときは知りたくてたまらなかったが、知っちゃうと別に何とも、というような。
ある意味「期待外れ」というか「過度に期待を持ちすぎてる」というか。
そういう場合、始まるまでの間「始まり」を想像してワクワクしているのが実は最も楽しいのではないか、と。
いざそのときとなるとあまり楽しくない。
「無い」状態であったからこそ「有る」状態を待ち望んでいたものの、
「有る」状態になるともうどうでもよくなる、と。
なんというか、そういった奇妙な心理もあるなぁ、と(何)
では本文。
文化祭一日目。
間に合っているような間に合っていないような状態で文化祭開始。
11時までが今日の自分の担当時間でした。
担当時間終了後、すぐに運動場に行き、「○×ゲーム」なるものに参加してきました。
結構友達が集まってまして、皆で正解を導くか、と。
勿論自分はなんの力にもなれないでしょうが。
結局四問目で間違えちゃったんですけども、納得した上で間違えたんでよしかと。
三問目まではそのうちの一人が持っていた電子辞書で難なく正解したんです。
しかし四問目、「一ドル紙幣の横の長さ」についての問題で。
偶然にも一ドル紙幣を持っている人がいて、長さも測って×を選んだんですが○でした。
測り方が悪かったんでしょうかね。
しかしあれだけ仲間がいれば結構何でも出てくるもんだなぁ、と。
一ドル紙幣を持ってる人がまさかいようとは思いもしなかったワケですし。
その後はこれといって行きたい場所がないので自クラスり様子を見に行ってみたり、
スタンプラリーを完成させてお菓子をもらったりと。
また、友達がやっている化(科)学部に遊びに行ったりも。
酢の中に卵を入れてたり、硫酸寒天があったり、バナナを炭化させてたりと面白かったです。
あそこは完全に内輪で色々とやってみるだけの場所だと思います(蹴)
しかしバナナやレモンを炭化させるだなんて勿体無い(何)
ところで、暫く居ると慣れてくるんですけども、ニオイがきつい。
一旦トイレに行って戻ってくるとすごい煙たかったり酸っぱかったりとなんともいえないニオイがするんです。
ところで今日の文化祭が午後三時で終わりだなんて知らなかった。
いつもは確か四時までやってた記憶があったんですが。
しかし部室に帰るとまだ公演をやってて、入るに入れない。
やはり当初の終了時刻は四時だったんでしょう。もとから三時終了なんだったら公演もそれに合わせてるハズで。
そして公演終了後、展示物を元に戻したりして解散。
しかし今年も、もう一日目だけで十分って気がして(蹴)
全て見まわったらもううこれといってまた行きたい場所も無く。
中学生のときはいつまでもうろちょろしていたもんなんですがね。
「祭り」というものにもあまり行きたいとは思わなくなりましたが、果たしてこれは「成長」かたんなる「引き篭り」かと(何)
明日は一日中部のほうで手伝っとこうか、と。
もとからほぼ一日部にいなくちゃなんないんですけどね。
たまに抜け出して化(科)学部を見に行きますかね(蹴)
あと一日だけと思うとなんとなく寂しくなった一日。
では。

THE DARKER.

2004年9月7日
「不完全」なものを使うほかないかと思った今日この頃。
考えれば便利だと思うものは殆ど「不完全」だったりします。
ネットにつないだパソコンなんかは簡単に侵入されますし、
はたまた飛行機だって絶対に墜落しないとはいえない。
それでも自分達はそれらの使用に金銭を用いる。
それはそれしか便利な方法がないからだといわれればそこでおしまいですが。
しかしよく考えたら、「何故それらが不完全か」ってことがわかってきます。
旅客機の事故は環境によるものを除けば人為的なものだし、
パソコンで色々とあるのも結局は使用者に原因があったりしますし。
つまるところ「人間自体」が「不完全」なんです。
少なくとも、「人間全体」でみると不完全です。「個人」だけとってみるとそうではない人もいるかもしれませんが。
でもしかし「完全」でないにしろ気をつけていればそこそこ安全ですから、我々はそうして便利なものを使うのですが。
では本文。
台風なんですが、朝にはまだ注意報しか発表されておらず、しぶしぶ学校へ。
それでも昼までに終わりそうだったんで教材は午前中の分しかもっていかず(蹴)
果たしてその通りだったんですが。
朝礼後、一限目がホームルームとなり、そこで帰宅命令が出たワケで。
ただ単に朝礼がしたかっただけなんですかね。
しかし、朝礼前、歌がかかり出した途端に軽い地震がきたのには驚いた(汗)
朝礼では何か、学校のOBでありオリンピックの体操で団体で金メダル、個人競技でも銅メダルを獲得した二人が来校しまして。
朝礼台辺りにはカメラマン等が結構いました。
しかし見る度に思うんですが、あのふかふかしてそうなマイクっぽいのはなんであんなふうになってるんでしょう。
↑知るか。
また、あとでテレビ見て知ったんですが、サイン貰えたんですか。
中学生がサインを貰ってるような映像が流れてたんですが。
しかし今日はそれだけのために帰宅命令を延期したとしか思えず。
いつもの朝礼なら多分やらずに教室待機だったでしょうし。
でも、結局強制帰宅になりましたし別にどうでもいいかと。
聞く話によると全くの「休校」でもないから振替え日もないんだとか。
しかし帰り際、地下鉄に「運休する場合がある」って張り紙がされてて焦ったりも。
家に帰って知ったことは、いまだに警報は出ていないということ。
帰宅命令が出たということはてっきり出てたんだと思ったんですが、
やはり警報がでる前に万事をとって帰らせたのか。
そして昼頃になってやっと警報が出たんですが、
自分は別に気にせずにだらだらと過ごしていたワケで。
いや、今回は外に「出ない」のでなく「出られない」ので、家にいるほかなくて。
↑家でも宿題とかやることあるだろう。
しかし風強かったですね。何かが転がってってるような音も度々聞こえました。
でもさすがに明日まで警報が続くことはないので明日の準備はしとこうかと。
しかし気付けば文化祭の準備ができる日があと二日しかなくて。
果たして間に合うのかと内心不安になってたりも。
地震に対してはいまだ油断できない一日。
では。

THE QUAKER.

2004年9月5日
実際に「体験」しないと考えられないことがあると思った今日この頃。
所謂「机上の空論」というか。考えてもいざそのときになると出来なかった、と。
「想像」の中では考えきれない「現実」がある、と。
特に身体的なこと。全力疾走でどこまで走れるか、とか。
見ていたらそこまで辛くなさそうなものも、やってみたら辛い、とか。
「案ずるよりうむが易し」、それがそういう意味だったかどうかはわかりませんが、
「想像」で色々と考えるより、「行動」してみてわかったことから考えるほうが役に立つことは多いかと。
ただ、やはりそれは「肉体的」というか、「目に見えない」というか「変動的」というか、
「計算」だとかでは到底処理できないものとかに限りますけど。
そうでないものは結構想像から予想するほうが労力が少なかったり。
例えば「車であそこへ行くには何時間かかる」、とか。
そんなのわざわざ体験して調べなくとも、ということ。
体験なしでは到底良い案が生まれないようなことは、先ずは体験することから始まるかと。
では本文。
今日はいつも通りだらだらするんだろうなと思ってたら、思いがけないことが起こって。
…地震が発生しました(汗)
朝起きて、ちょっと外出して、帰ってきてだらだらとしていたら。
自分でもわかるほどぐらぐらと揺れまして。
ネットゲーほっぽりだして避難してました。
最近ここまで大きくて長い地震はきたことがなかったんで(汗)
いや、ほんと長くて、これ以上強まるのだろうかと思うと恐くてですね。
ただ単に恐怖心から「長く感じた」だけなのかも知れませんが。
テレビをつけて地震情報なんかみつつ、まただらだらと。
そして夜も遅くなり、こうして日記をかこうかと思っていたら。
…また揺れました(汗)
丁度その時髭剃りをしようかとジェルをつけてたんですが、恐くなって避難しました。
なんだか、本能的に恐くなるんです。こういうのって。
心の中で「恐い」と思うものではなくて、なんだかいきなりゾクッとした恐怖が襲ってくる。
長さは前回ほど長くはなかったように感じんですが、それは慣れでしょうか。
ところで、これらの地震、「起きたこと」以外の恐怖があるんですよ。
「南海大地震を誘発しないか」という恐怖。
幸い、今回の二つはそれとは直接的に関係のない原因で起きたみたいですが。
しかし一日にこれほどの地震が二回もあることがあるとは、何かの予兆と思えて恐いんですが。
でも、これもある意味ネタとなったんで結果オーライというか。
過ぎたことはいい思い出、ですよ(何)
警戒が必要だと思った一日。
では。

THE CIRCULATER.

2004年9月3日
「悪銭身につかず」ってどういうことかと思った今日この頃。
「不正に手に入れたお金は定着しにくい」ということ。
それではどうして定着しにくいのか、と。
そりゃ不正がばれて没収されるというのも一説なのですが、自分はまた別の観点よりその理由を考えてみたり。
例えば、百円拾ったとして。まあこれも所謂「悪銭」ですし。
のどが乾いてきて、そこで丁度百円の飲料の自動販売機をみつける。
自分なら普通は、百円使うことをためらい我慢するのですが。
しかし「拾った百円」であることがその「ためらい」をなくす。
「どうせ拾ったものだし、使っちゃえ」、と、そうして百円を使う。
金額が大きくても、そうした心理が働いて、容易に使ってしまう。
「どうせ容易く手に入れたものだから」といって、容易く手放す。
そういった考えがあるから、「悪銭」はすぐ使われてしまう。つまり身につかない。
なんだか、同じ「金額」であれど、「どうやって手に入れたか」等の条件によって大切にしたりしなかったりするんですよね。
そこらへん、やはり「金額」とかではない何かしらの「価値観」があるんでしょうか。
では本文。
今日は始業式。これから二学期が始まります。
新学期初日から居残らされたりしました。
今日出さなくてはならなかった宿題ができてなかったんで。
居残りのあと、部活へ行きました。
それから帰ってきて、パソコン等をして過ごしました。
…なんだか味気ない一日で(汗)
しかし、寝不足のせいか居残りで問題など解いてて、
解けなくて考えてもわからないときとかって段々イライラしてきますね(汗)
寝不足はそういった精神面でも不健康みたいで。
部活では半年近く前から置いてある黒砂糖のお菓子らしきものをもらったり。
乾物だから恐らく大丈夫だとは思うものの、まだ食べてなかったり。
よくみたら賞味期限も丁度半年過ぎてました。なんなんでしょうかこれは。
さて、帰宅してだらだらとしていたワケですけども。
しかも大半がパソコンに向かっていて、その中の大半がネットゲーム。
…これをどうにかしないとなぁ(汗)
帰ってきてしまえばこうなっちゃうワケで。
別に部活を抜けてまで帰ってきてやりたいとは感じない。
しかし帰ってきたらやってしまう。そのような感じで。
今まで以上に家での勉強をしないと考えていいワケで。
今学期も大分自習室のお世話になるかと。
家に帰ってくるまでに勉強をしておく、そういう形式でいくべきか、と。
しかし冬休みまであとどれくらいありますかね(蹴)
これから数ヶ月学校に通うと考えると軽くヘコむのが長期休暇明けの基本です。
そのうちまたその生活に慣れられると思うんですがどうか。
寝不足にならないようにしようとは思う一日。
では。

THE NEWER.

2004年9月2日
「夢」の楽しさとは一体何かと思った今日この頃。
夢をみている、寧ろ体験している最中は気付かなくとも、
起きたら「楽しい夢だったな」と思える夢。
空を飛んでいたとかそういう夢は勿論、中にはこの「現実」と変わらないような世界で過ごしていたというものも。
しかし「現実と変わらないような世界」にいるという夢は何故楽しいのか。
別に現実にいるのと変わらない、普通の町並みの中にいるだけで、何が楽しかったのか。
恐らくそれは「新しさ」のためであろう、と。
「現実」でも、旅をして見たこともない場所へ行くのは楽しいものです。
それと同じく、夢の中に現れる「見たこともない場所」にいるのが楽しいのです。
「新しいもの」を感じ取る楽しさ、それがいわば夢の楽しさの根源か、と。
「希望がかなう」というのも一種の「新しさ」でしょうかね。
「悪夢」も確かに「新しい」ことなんでしょうけど、あれは嫌なものです。
また、たまにみる現実にいるような夢、あれもあまり面白くないかと。
では本文。
朝起きたら既に八時半でした。
約束の時間は九時、ギリギリだと思って慌てていると、母に「雨降ってんで」と言われて。
外を見ると確かに雨が降っている。勿論、遊ぶのは中止で。
よく考えると、昨日母に九時から遊ぶと伝えているのだから、
晴れているならばもっと早くに起こしにくるハズだな、と。
パソコンで中止という連絡をとり、そのままネットゲームをやってました。
そして昼頃から少し外出し、帰ってきてまたネットゲームを。
…家にいて、起きてる時間の殆どをネットゲームに費やしてるんですが(汗)
その時間を宿題に費やしたら宿題殆ど終わるんじゃないかというほど。
実際、一日約十時間やってましたし(汗)
さて、時間を浪費しているという話はおいといて。
母が買ってきたダイエット雑誌なんかをパラパラとみてたんです。
しかし自分、勉強合宿で体重が1kg増えたのに、もう普段の体重に戻っているとはどういうことかと。
この辺りの体重になるように身体の中の何かがバランスをとっているのか。
それは置いときまして、ページをめくってると何やら発見しまして。
「ゲームで運動」、というような内容のページがありまして。
いわずもがなDDRがその中に含まれていたのですが、バージョンが古い。
家庭用最新作は「PartyCollection」なのに、何故今更「MAX2」かと(何)
しかし今まで作中の「ダイエットモード」に存在意義はあるのかと思ってましたが、
微妙に意義があるんですね。そのために買う人はまずいないかと思いますが。
しかし「ドンキーコンガ」って運動になるんでしょうかね?
↑知るか。
さて、明日は始業式。つまり明日から学校が始まるワケで。
しかし、明日明後日と行けば日曜日なので、先ずはそれを希望として頑張ろうかと。
既にネットゲームに依存している一日。
では。

THE WHILER.

2004年8月31日
今月の反省をしてみようと思う今日この頃。
なんだかごっそり抜けている場所が数箇所。
しかもその中にはたくさんかくことがあったハズの「海へ行った日」も含まれている。
恐らく、その前二日がかかれていないため、「疲れたしもういいや」ということでかかずにおいといた結果かと。
その後も長期休暇は暫く続き、埋める暇もあったハズなのに。
まあ、覆水盆にかえらずというか、過ぎたことを嘆いてもしょうがない。大切なのはこれからだ、と。
幸い、ここ数日は続けてかけてますし、この流れをもって来月こそかき続けようかと。
嫌な過去があるときは、それを一旦切り離して今だけをみる。それも大切かも知れません。
悪い流れを作らない。作ってしまったら一度たちって新しい流れを作る。
そして良い流れにはのれるだけのる、ということ。
では本文。
結局、台風は朝方には遠方へと過ぎ去り、警報も解除されてました。
残念がるべきか喜ぶべきか微妙でした。
しかし登校した結果、喜ぶべきなんだろうなぁ、と。
いまだにハッキリとどちらとはいえませんが。
「情報」の授業、ネット通販の模擬体験という何とも凝ったものだったんですが。
ところどころ小ネタが仕組まれていて面白いものでした。
注文数が故意に十一倍にされる商店とか(笑)
授業終了時、「このパソコンは三秒後に消滅します」というようなダイアログが出て電源を落とされたりも。
あと、「小論文」を仕上げたり。思ったより早くできました。
物理の授業中にやっていたというのは秘密です(蹴)
また、部活では文化祭で出そうと思うボードゲームで皆と対戦してみたり。
ルールが微妙に文章だけではわかり辛いので訊かれたら説明できるようにしとこう、と。
また、対戦を持ちかけられてもできるだけ負けないように強くなっておこう、と(笑)
しかし文化祭も、楽しみでありつつ不安もありつつ。
今年は自分らの学年しか部員がいないワケですし。
恐らく周囲が自分に感じる不安のほうが大きいでしょうけど(汗)
↑去年液体窒素で暴走した奴。
今年は大丈夫です。でもそのときにならないとどうなるかわからないもんで(汗)
ところで宿題、結局今日は小論文を終わらせただけでして。
残りが英語・数学・物理・化学。化学はあと少しなんですけども。
残りの三つも順次片付けて、九月中には出したいな、と。
既に提出期限を考慮していないってのはいつものことです(斬)
夏休みも終わりかとよりいっそう感じた一日。
では。

THE HIDER.

2004年8月30日
本当に重宝されるのはいつからなのかと思った今日この頃。
一般的には死んでから価値を見出される人ってのが多いのですけれども。
文学家にしろ、音楽家にしろ、芸術家にしろ。
今はすごい有名でも当時は無名または非難の荒らしだったというような人も多いワケで。
特に「新しいモノ」を作り出した人にそういう人が多くて。
今までの価値観では計り知れない、「異質な秀作」。
当時は異質な「秀作」ともみなされず、ただ「異質」な作品としてみられる。
そしてそのうち「新しい価値観」によってその隠された「価値」に気付かれる。
逆に現代からみた古代の秀作が「異質」に思えるってこともあります。
それもやはり「価値観」の変遷のためなのかと。
生きているときより死んでからのほうが何かと「重宝」がられるってのは、
その「新しいモノ」が認められるのに長い年月がかかってしまった場合と、
「当たり前」だと思っていたことがなくなったことで改めてその大切さを知るという場合の二通りの意味があるんじゃないかと思うんですがどうかと。
では本文。
今日は学校へ行って帰ってきて昼寝してたら夜になってたりしたんですけど。
台風が接近中というか、通過中のようで。
そのせいでピアノ教室が中止で昼寝もできたんですけども。
明日の朝まで警報は出続けるかなぁ、と。
出てたらそりゃ勿論休校になって嬉しいんですけれども。
今回はただ嬉しいとだけいってられないコトが二点。
「情報の授業がなくなる」ことと、「小論文が提出できない」こと。
自分としては特に後者が重要でして。前者は後日にまわされるかも知れませんし。
提出期限は今日なんですが、勿論出せるワケもなく、
また今日帰ってから仕上がるワケもなく、明日居残って提出するかと思ってまして。
それだけなら別に明日休みになっても良いじゃないかと思うのですが。
明日提出することができなければ明後日の朝に出しにこいという指示がありまして。
つまり明日が休校となれば、明日小論文が仕上がっても明後日に持っていかなければならないので。
わざわざ休みの日に持っていくのもなんだしなぁ、と。
それに明後日は現在復旧作業中のネットゲームの再開予定日ですし、できるだけ家にいたいなぁと(蹴)
↑廃人ともいえる有り様。
しかしネットゲーム、ハマると恐いんですよね。ホント。
「終わり」という「終わり」がありませんし。
いや、確かにオフラインゲームも終わりがないというば終わりがないんですが。
そういった「終わりがなさ」とはまた違った「終わりのなさ」があるのがオンラインゲームでして。
ミニゲーム的なものも含めたらもうどれだけの時間を費やしたんだろうか、と。
今回のゲームが既に三十時間を超えていたというのに驚きです。
まだ初めて十日も経っていないハズなのに。
いつの間にそんなにやったのかという、振りかえってから感じる恐ろしさというか。
ただ、日記にそのネタを持ちこむことはあまりしないように心がけるつもりで。
いや、もう既に持ちこんでるんですけど、こういうのではなくもっと「内的」なネタというか何というか(汗)
複雑な願望を持った一日。
では。

THE NOTICER.

2004年8月29日
「始まり」は何かと「穴」が多いかと思った今日この頃。
「穴」と言っちゃ意味を取り損ねるかも知れませんが。
「結果」はどうであれ「不備」が多い、ということで。
例えば「不備」によってその人にとっては特のあるコトもあるワケですし。
ある新しい物事が立ち上げられるとき、そういった「穴」は結構あるもので。
ゲームでいうバグのようなものですか。
そういった「穴」はいずれ見つかり修復されるんですけれども、
「見つかるまでは修復されない」というのもまた一種の「穴」でありまして。
「穴」を見つけた者がそれを見つからないようにうまく利用してればバレないんですよね。
そうして「見つかって埋められるまで」にできるだけ「穴」を利用する、と。
現代においては「穴がある事はわかっていても場所がわからない」というか、「わかってても埋められない」ってコトが多々あるのですけれど。
まあしかし、気をつけるべきは「穴」でなく「穴の活用者」なんです。
何かしら被害を受けても「穴」にいるため裁かれない状態にある。
最近は色々な発展があるとともに色々な「穴」が新たにできてきてますし、
当然「穴の活用者」もそれによって増えてきているワケで。
法律では裁けない「穴」に潜む者達に捕まったらどうにもならない。
「穴がある」ということだけは伝えられますけど。
だからこそ悔しいが自分達はその者達に注意を払って生きねばならない。
やられたら、やられてしまった自分が悪い、のか。
では本文。
今月最後の日曜日。少しだけ宿題を進ませてみたり。
これで残りは半分、くらいなんでしょうか。
全部やるまでは全体量さえわからないのは少し辛い。
自分の場合は「時間」でみるので余計にわかり辛いですし。
大きく分けたとき、殆ど残っている課題が三つ、
あと少しで終わる課題が二つ、既に終わったのが四つ、ですから。
ただ、その残ってるのが時間がすごいかかりそうなものってのが問題で。
数が減ればその分目標も見えてきますでしょうけど。
しかしゲームだと終わりが見えないのが逆に楽しかったりもするのに、
宿題だと終わりが見えてもきついってのはなんでしょうかねぇ。
単に楽しいから続けていたい、辛いからしたくない、ってことでしょうけど。
RPGゲーム、自分はあまりやりませんけどクリアまで100時間超えるってのもあるみたいですし。
100時間あれば宿題終わりますよ。十分。
ただ、ゲームやるのと宿題やるのとでは脳の回転率も違うんだろうな、と。
ゲームだと何時間もできますけど、宿題って少しずつ疲れてくるもので。
パソコンもそんなに脳を働かせてませんか。そうですか。
さて、明日明後日でどこまでできるものかと。
自分としては最低限残り二つにできたらなぁ、と思うのですが。
ちょっと頑張ってみた一日。
では。

THE STANDARDER.

2004年8月25日
「節分の豆」のようなのもはどうかと思った今日この頃。
大して美味しくもないのに、何故か食べつづけてしまう、というような。
例えば暇なとき、大して面白くもない映画がやっていたが全部見てしまっただとか。
別に「楽しみ」も何もないのに、ついついその物事にふけってしまう。
こういう経験は恐らく殆どの人がしたことがあると思います。
さて、そうすると何故そんなことをするのかと思いまして。
「楽しみにもならないが苦しみにもならないから」という説が一つ。
つまり、特に楽しくはないが、取り敢えず苦しみは感じない、と。
映画をみているより単に暇であるほうが苦しいかと。
よほど映画の内容が面白くなく、苦痛なものでない限りは。
同じようなことですが「空白を埋めるため」というのも。
何もしないでいるより何かをしていたほうがいい。
そして、面白くもつまらなくもない作業をしているうちにその作業に没頭してしまう。
面白くもなくつまらなくもないってことが感性というかそういった感情を無にし、結果気づいたらずーっとそれをやっていた、とか。
最初はただ暇だったから、どうでもいい作業を始めた。
しかしそのうち無心になり、その作業に打ちこんでしまうという危険性がある。
無心になったらやりたいことも何もかも忘れてしまいますし。
では本文。
本日より後期補習開始。
今日は模試を受けただけですけどね。
いや、「だけ」とは決していえませんが。
結局のところ午前中授業よりも終わるの遅かったですし。
さて、同じく今日から自分は自習室へ行って宿題を少しずつ消化していこうと思ってました。
しかし、それを阻むかのような一つの出来事。
部活です。文化祭が近いし準備のほうを急がなければなりません。
文化祭は待ってはくれないので、部活があるならそれ優先で(蹴)
自分は行ってもあまり何もしませんがね(斬)
今日もビー玉をくっつけたりしてたくらいでして。
しかし部活があるということが事前にわかっていればこの前買った本を持ってきたのですが。
明日もあるみたいなので明日もって行こうか、と。
しかし毎日あるとすればいつ自習室に行けばいいのかと。
↑家でやれというに。
ところで、宿題の進行が阻まれたかと思えば次はまるで宿題をしろといわんばかりの出来事。
最近ずっとやっていたネットゲームのサーバーにウィルスが入ったようで。
復旧のため数日間それができない状態になるみたいで。
つまりそのうちに宿題をやれということになるワケです。
かたや宿題をやる手段を奪い、かたや宿題を進行を妨げていたものがなくなり。
どうすればいいんでしょうかと。
いや、部活から帰ってきてから宿題をしろとかそんなありきたりな(汗)
両方に揺るがされた一日。
では。

THE CONFIDER.

2004年8月24日
「納得」することでその後が楽になるかと思った今日この頃。
例えばスイカを叩いてみて美味しいのを選ぶ。
素人には音を聞いたってわかるはずがないらしいです。
それなのに何故叩いて選んでみるのか。
叩いて買わなかったとして、美味しくなかったら「別のを選べばがよかったか」と思うワケですが、
叩いて「コレが一番美味しい」と「納得」して買い、美味しくなかったら「一番美味しいハズのものでもこれか」と思える。
つまり、「後悔」というようなものがないのです。
「疑問」を持ったまま、「納得」しないままに何かを選ぶ。
するとそれが悪かったときに「別のほうが良かった」と思う。
しかし「納得」していたら、たとえそれが悪かったとしても悪いとは思わない。
記号問題で二つのうちどっちかだと迷った挙句間違ったのと、
コレだと思って選んだら間違ったのと、やはり後者のほうがショックは少ないというか。
寧ろ「諦めがつく」というか。
「納得」は、後々の結果に対して「諦める」ことを容易にする、と。
では本文。
今日は休日ですけれども。
これといって休んでいたわけでもなく、昼から祖父母の仕事の手伝いへ行きました。
仕事の途中、近くのスーパーにスイカを買いに行ったんです。
スイカを探してると何やら面白いもの発見。
「ココナッツ」。ヤシの実だったかもしれませんが。
皮の柔らかい部分に穴を空けてストローで飲むみたいで。
百円台なので買ってきたんです。
そして家に持って帰って、箸で穴をあけて、ストローで飲む。
…何ですかこれは(汗)
強い酸味を感じ、急いで洗面所に吐き出しに行きました。
吐き出した後、舌がぞわぞわとしたりしたんですけども。
…コレ、絶対に腐ってますよね(汗)
あの状態で腐ってないっていうほうが嫌です。
そういえば売り場にあった大半のココナッツにカビが点々と生えていました。
表面だけなら大丈夫だろうと思いつつ念のため侵食されてないものを選んだんですが、既に手遅れだったようで。
あのときにやめておくべきだったのか、と。
あと、穴をあけたときにプシュッってなったんですが、あれも腐ってたせいか。
しかしお金を無駄に。
飲むことはできなかったもののこうやってネタにできてるんで微妙です。
それはこじつけですか、そうですか。
しかし、そうなるとあそこにあったココナッツは全て腐っていたのか。
そんなものを普通に売っているあの店は一体…(汗)
因みにニオイは木工用ボンドっぽかったです(何)
それからはいつもの休日と変わらずだらだらと過ごしていました。
普段の休日よりは動いた一日。
では。

THE INCREASER.

2004年8月19日
結局「祈る」ことの意味は何かと思った今日この頃。
前提としては、「祈る対象」が祈られていることを知らない、
且つそういう状態で「祈る」ことはなんの力も持たないとして。
「祈る」ことは全く力を持たないという証明はされてませんし。
「喜びの増幅」だと考えたんですがどうでしょうかと。
例えば自分のお気に入りの選手がかつとより嬉しいように、ってのは少し違いますか。
「祈る」ことにより、その「祈った内容」が実現したときって、
その実現の喜びに加え、「祈りが通じた」ことへの喜びもあるんじゃないかと。
また、「祈りが通じなかった」、つまり実現しなかったときは、
実現しなかった悲しみを感じ、また「祈りが足りなかったんだ」と思うだけでいい。
そうすれば多分、何にでも祈ってたら全体的にみた「喜びの量」は祈ってないときより多くなるのではないか、と。
それが理由でなくとも、兎に角「祈りが通じた」ときは普段以上の喜びを得られるからじゃないか、と。
でも、「願望」即ち「祈り」ともなりますから、そうでもないかとも。
ただ、「祈り」のために何か「苦行」をしたとなれば、その分「喜び」というか「達成感」が加算されるんじゃないか、と。
「願望」以上となる「祈り」をすれば、その達成の喜びは増幅する。
しかし、願望のために祈るであって、やっぱり願望と祈りは等しいものであって、ってよくわかんないです(何)
では本文。
今日で自分としては「夏休み」は終わりなんです。
明日から勉強合宿、休みを一日挟んで後期補習、そして三連休くらいがあって始業式。
ところで、友人から聞いた話によると、勉強合宿と後期補習の間の休みが予定表では「代休」となっているんだとか。
理由は、勉強合宿の四日のうち一日が日曜日だからでしょう。
…つまり、学校側としてももう明日で「夏休み」は終わりとしてるワケで(汗)
なんだかんだいっ手半分もできてない宿題が気になるところです(斬)
いや、でももう「予定」は立てましたよ。
勿論、その「予定」では期限までに出せない宿題がいくつかありますが(斬)
殆どの宿題の提出が後期補習の初めの授業ってのがやっぱり「夏休み」はそこで終わりだってのを示してるワケで(何)
さて、茶を濁すのもここらへんまでにしといて、今日の出来事。
…いや、特に変わったことはしませんでしたけど(汗)
いつもと比べて睡眠時間が短かったことくらいでしょうか。
やっぱり「環境」にもよりますね。
昨日までは祖父宅でのびのびと寝てました。
寝るってことが快適だから寝る時間も増えるわけで。
…「悪夢」をみた日は殆ど寝れませんでしたし(汗)
家で寝てるとそうもいかないんですよね。
寝るとこの丁度横にテレビがあるせいで父が映画を見にきたり、
横で弟ががんがんとユーロビートを流したりと。
もう二度寝をする気にはならず、起きてしまう、と。
…そっちのほうが結果的には良いのでしょうけど(汗)
あとはオンラインゲームをやってたり、明日の用意をしてたりと。
勉強合宿の荷物って、教材が重たくていやなんですよね(蹴)
明日から四日間、「夏休み」が終わったって気もあって辛いなぁ、と。
でも勉強合宿って意外問楽しかったりするんですよね。
そういえば皮がむけきっていないと思った一日。
では。

THE INVISIBLER.

2004年8月16日
わからないから難しい事があると思った今日この頃。
例えば野球、上手い人なら、ボールがどこにくるかわかってたら簡単に打つことができます。
しかし、それがわからない。どこに、どれくらいの速さで、どのようにくるのかがわからない。
それだからこそ、打つことは難しいのであり。
「苦手なコース」ってのも、どれがくるかわからない中でそれがくると苦手なだけで、
そのコースがくるとわかってたら打てる、のでしょう。
テストだってそうなんですが、出る問題がわかれば簡単ですよね。
この二つの例には共通点があるんです。恐らく。
それは「準備ができる」ということ。
コースがわかればそれを打つ「準備」ができるし、
問題がわかればそれに対して「準備」ができる。
その、わからないときってのは「準備」が難しい。
野球ならばコースが見えてから「準備」に入らなきゃならない。
テストならば何を「準備」するべきかがわからない、と。
言い換えてみれば、「準備ができれば簡単なこと」というか。
ただ、前者は「準備」ができようと、体をその通り動かせるかという難しさもあるんですけど。
では本文。
今日も昨日と同じく祭りへ行ってきました。
早くに行って開場と同時に入ったんですけども。
射的、大人用の、というか普段祭りで使うようなコルク砲も今日はありまして。
威力のある分割高ですが、おもちゃのコルク砲では動かないようなものも動かせます。
昨日にこれがあってくれればなぁ、と。
さて、朝飲んだコーヒーのせいかお腹の具合が悪く、食欲が余りなくて。
ホント、自分はコーヒーが苦手というか、なんだかある条件でコーヒーを飲むか何かすると、
胃が萎縮するような、きゅうっとした感じがするんです。
そのため、一通り遊んでからゲーセンへ行くことに。
しかしそれがいけなかった。
…結局六時間近くもゲーセンに閉じ込められたワケで(汗)
理由としては、今日に限って運が良すぎた。
昨日と同じく「スーパーマリオ 不思議のジャンジャンランド」をやろうと思ってたんですが、
何故かマリオが跳んでくれないので別のメダル落としやってたんです。
それで約二千枚のジャックポット当てちゃってですね(汗)
当たって嬉しいやら消化に時間がかかると思うと哀しいやらで。
その後も減らそうとしても戻ってきてあまり減らず。
結局六時間程して、祭りの最終入場時間が近くなったんで消化は諦めて預けてきた、と。
預けたのが466枚。また遊びに来なくてはならないワケで。
先日ネットで「なかなか行かないようなとこにたまに行ったら当たる」というある種ジンクスのようなものをみたんですが、
まさにそれだなぁ、としみじみ思う間もなく、結局祭りであまり楽しめなかったという後悔にかられるワケで。
忍者ショーも見られなかったし(何)
あまり必要のない場所で、不要な日に大当たり。
これもまた、辛いものかなぁ、と。
膝の裏の皮がむけてきた一日。
では。

THE TWICER.

2004年8月12日
これはどうかと思った今日この頃。
「夏の気温は30度、冬の気温は15度だから、冬は夏の二倍暑い。」
はてさて。確かに数値でみればそうですよね。数値でみれば。
角度では60度は30度の二倍角、長さでは8mは2mの四倍、と。
それぞれ「倍」で表すことができるんですが、さて「温度」はどうか。
個人的見解として、「他の単位で計ってもその比が成り立つ」ことが「倍」といえる条件だと思うんです。
例えば、角度ではラジアンを用いたって同じく二倍だし、長さでは里を使っても四倍である。
じゃあ、「温度」において、「摂氏」以外の単位、例えば「華氏」にしたときどうなるか、と。
詳しくは知りませんが、二倍にならないことだけは確かです。
するとやはり、「摂氏」で計った数値が倍だからといって暑さも倍だというのはおかしい。
でもそうなると、「温度」において「倍」というものはないのか、と。
ある、とは思うんですけどね。ただ、人間にはそれが倍とは感じないというか。
長さとかは「倍」って事が「見た目」でわかりますが、そういったものとなるとなんとも。
どうもよくわかんないんですがこの辺りで失礼。
「題」に対する答えは出たんだから良しとしましょう(蹴)
では本文。
今日は自分を除く家族全員が遊園地へ行く予定。
自分はプールはおろか外出すらする気にならないので家に残ることにしました。
そのため昼ぐらいまで寝ようかと思い、いつも通り夜更かしをして眠りにつき、数時間。
…久々に「悪夢」を体験することとなりました(汗)
いや、自分がよくいう「悪夢」ってのは、「見る悪夢」じゃあないんです。
寝ていても常に苦しみ続けている状態。
ただ「夢」の内容が恐ろしいとか、そんなのではない。
そして、一度起きたからといっておさまるものではなく、寝るとまた起こる。
寝た途端にそれに襲われる。寝た途端ですから、二度目以降は何かしら寝ている場所の記憶があるんです。
例えば布団がワケのわからないものになっていたりして、現実と混合し、現実において布団をのけたり。
今回はワケのわからない記号の羅列、そして、個人的に最も気味悪いビジョン。
自分は例えば蜂の巣のようなボコボコと黒く見える穴の開いたものが嫌いで。
そんなのを見続けさせられ、今日はついには寝る気さえうせて皆と同時に起きてしまった。
寝る事が恐怖となるなんて、自分にとってはこの上ない苦といえるようなもんで。
自分がこのような「悪夢」を体験するとき。それは大抵体に異常があるときなんです。
今までで経験したのは大抵重い風邪のときだった気がします。
しかし今回は風邪ではない。それは何か。
「痒み」。日焼けあとがとても痒い。それが寝ていても伝わってきて、自身を苦しめる。
今回は取り敢えず寝ないという処置をとりました。痒みはおさまらないんで。
寝るよりも起きるほうが楽だと。今回はそう思ったのです。
しかし、なんといいますか、この「悪夢」、まさに「最大の敵は自分自身」というもので(違)
自分が自分自身に見せるビジョン、自分の嫌いなものを知っている自分自身の作り出すビジョンだからこそ気持ち悪いのであり。
若しかしたら、それは個人にとってどんなホラー映画にも負けないくらいの恐怖感を与えるのではないか、と。
…「恐怖感」というより「不快感」でしたけど。
さて、自分はいま祖父宅にいるのですが。
家に一人でいるのもアレですし、宿題は祖父宅に置いてますし、ここへ来てまた宿題をし始めようかと。
勿論、今日は主に眠気が邪魔をするのでしませんけれども(蹴)
ところで、祖父宅にきたのはいいんですが、夜までずっと独りだったんです。
どこへ行っても独りですか。そうですか。どうでもいいですね。
さて、「悪夢」のせいで今日は数時間しか寝れず、なかなか眠たくて。
でも逆にそれのおかげで早くに寝る事ができるのではと、密かに期待などしてみたりも。
先ずは顔の皮からむけてきた一日。
では。

THE IGNORER.

2004年8月6日
小さなことは問われないかと思った今日この頃。
例えば、客船に乗船中、ちょっとしたトラブルで目的港につくのが遅れた。
そうなると、遅れたことへのクレームが乗客から出ることでしょう。
しかし、大事故に遭い、沈没する船から命からがら助け出されたとなると。
そうなると、遅れたことへのクレームなんて誰一人として出さないでしょう。
寧ろ、助かったという安堵感でいっぱいになっていることのほうが多い。
客にとって、もう「遅れたこと」なんてどうでもいいのです。
「危険」に遭遇した時点で、客には「助かりたい」という願望が出てくる。
それは非常に強い願望で、予定通りにつくことなんてそれに比べたらちっぽけであり、
そのため助かった時点で小さな願望はどうでもよくなるのです。
まあ、事故への苦情は出ますがね。
小さなことは大きなことの前では無になる事があるのでしょうか。
小さな不幸は、大きな幸福で打ち消せる。
これはある程度正と負の関係です。だから当たり前かもしれない。
小さな不幸は、大きな不幸で打ち消される。
これは双方負なんで不思議ですけど、場合によればありうる、と。
では本文。
今日一日は何も進展なし。
夕方頃起きたんですが、なんか何もする気が起きずに。
特に宿題を片付ける気なんて起こらないんで、
普段の休日のごとくだらっとした一日を過ごしました。
以上が今日、宿題に手をつけなかったことへの言い訳にもならない言い訳で(蹴)
今日やらねばならないとわかっていながら、やる気が起きない。
やっぱり諦めたからこその甘えでしょうか。
自分は、少し余裕があるときはその余裕を使って遊ぼうとし、
結局遊びすぎて間に合わなくなり、絶対にできないというときには、
ハナから諦めて遊んでしまう。そんな人間で。
「ギリギリ間に合うか否か」なら頑張るんでしょうかね。どうだろ。
残り一日では絶対に無理とわかるだけの量が残りました。
ただ、これを全てとみれば多分明日も自分は何もしないんで、
その一部だけ、明日できるか否かという分だけを明日の「目標」としようかと。
つまり、全てを終わらせるということはもう諦める。
しかし、それでも確実に減らそうとしてみる、と。
ところで今日の「点取り占い」。
「耳をひっぱるな 4点 半丸」
…仮にも点取り「占い」だというのに何ですかこれは(汗)
若しこれが「占い」の結果だとしたら、耳をひっぱるなってことですか。
まだそういう意味にとることができる分マシですかね。
因みに、今日一日耳をひっぱるなんてこと一度もしてません(何)
さて、明日こそは頑張りたいと思います。
こんな日もあるさと思った一日。
では。

THE EXCEPTER.

2004年8月5日
「例外」とすることによって「心の安定」を保つかと思った今日この頃。
例えば、何か「続けていること」があったとして。
止むを得ずそれを中断しなければならないときがあったとき。
例えば「朝のラジオ体操」を習慣としていたが、ある日はできなかった。
なんというか、続けていたことが途切れると嫌な感じがします。
それは単に自分がそうなだけなんですが。
そしてその、「嫌な感じ」を失くすために、どこかしら今までと違ったこと、
例えば「今朝は雨が酷かった」などということを無理やりにでも見つける。
そして、今日は「例外」だったとして「途切れた」とはしない。
つまり、その「途切れたとき」というのを「例外」として排除し、
そうして結果的に「続いている」とする、というか「思う」ことで、
「心の安定」を保つ、つまり嫌な思いをしないようにしてるんじゃないかとも。
事実的には途切れたんですけどね。
「規則性」を乱す「例外」は排除し、「規則性」を保つ。
では本文。
宿題処理二日目。
…どうもできそうにないと思うんですが(汗)
やってれば確かに進むことは進むけど、終わりはしない、と。
しかし、終わらなくとも、やればやるほどあとが楽になるのだからやろう、と。
半ば諦めている自分と、諦めきれない自分がいるワケですが。
「最終的な結果」をみるまで諦めないようにしたいかと。
さて、今日は祖母の買い物についていったんですが。
約三時間。たかが三時間、されど三時間、宿題の進行を妨げたのはいうまでもなく。
でも気分転換にはいいかと思ってついていったワケです。
そこで見つけた個人的に面白いと思ったので買ったもの。
パッケージに「熊出没注意」とかかれたキャラメルと、「点取り占い飴」。
前者は北海道からきたらしいキャラメル。「焼きトウキビ味」。
後者は知ってる人もいるとは思う「点取り占い」を、飴の包装の裏に印刷してあるもの。
しかし「トウキビ」っててっきり「サトウキビ」の略かと思ってました。
食べてみたらトウモロコシっぽい味がするし、原材料にもそうかいてるし。
調べてみると北海道のほうで「トウモロコシ」をこういうそうで。
考えてみれば北海道でサトウキビが栽培されてるはずがないですし…
でもそこそこおいしかったんでよしとします(何)
あと「点取り占い」なんですが、なんかネタになりそうなんで明日から一つずつ開けていくことにします。
そうしてネタを作ることでネタがない日の保険とするのです(蹴)
さて、宿題が百分率でいくとあと75%以上残ってるんですが(汗)
終わらないと仮定してもう小さな宿題を潰していこうかとも。
そうやって「割り切った」ほうがなんとなく心が楽ですし。
でもそこで逆に気を緩めてもならないワケで。
完成せずとも、精一杯やりきるのが肝か、と。
完成は無理だと割り切ってみた一日。
では。

THE STEPPER.

2004年8月4日
「過程」によって「結果」は変えられると思った今日この頃。
いやまぁ、当たり前なんですけども。
つまり、同じ「質問」に対して、その質問をする前の「過程」で「結果」は変えられるってことです。
ややこしい「省略」ですね。でもニュースとかも大抵そうですし(何)
あれは「省略」して気にさせるんでしょうかね。
…話がズレてきたんで戻します(汗)
さて、例えば、「この品物を買いますか?」という問い。
所謂「二択型」ですね。
そこで「情報」を与えてみます。
「この品物でこの値段は高い」
「実はそんなに役に立たない」
「自分も買ったが後悔した」
こういうと、大概「買わない」という「結果」に傾くでしょう。
実際、売り手ってのは「買う」というほうへ傾かせるよう、
褒めて褒めて褒めちぎるのが基本だと思いますが。
そんなふうに、「過程」で「結果」は変えられる。
理想の「結果」になるにはどういった「過程」を辿るべきか、
それを細かく考えていくことも必要か、と。
千里の道も一歩から。しかしその一歩一歩の方向を間違えぬように、と(何)
では本文。
さて、二日目。しかし実質一日目。
…結果はどうであれ頑張りました(汗)
起きてから寝るまで、ご飯等を除いてほぼ宿題に徹してました。
今日の目標には届きませんでしたが、そこそこできたかと。
そして今日やり残した分を換算して明日から三日間の予定を立てて。
…より辛そうなんですけど(汗)
元々四日間でやりきろうってのが無謀だったんでしょうけど。
しかしやっておけば確実に後の負担は軽くなる。
できようとできまいと、精一杯やることが大切か。
…そう考えてたら結局できないのが自分ですけど(汗)
「やるからにはやりきる」、それくらいの「心構え」と「覚悟」が必要かな、と。
しかしもう、今日一日で結構へこたれてまして。
必死で自分で自分を励まそうと頑張ってたワケです。
しかしやはり自分で自分を励ますってのは難しく、何かしら「他力」が必要で。
例えばテレビで生きる気力の出るようなものをみるだとか。
「こじつけ」でもいい、とにかく自分にやる気をひき起こさせる。
そうすることがやっぱり必要なのか、と。
「良い嘘」があるのなら、「良いこじつけ」もあるかな、と。
そして自分は今日、あることによってやる気を取り戻したワケで。
些細なことでも、時と場合によっては大きな効果があるのだな、と実感。
「心の支え」となりうることが欲しいだけなんでしょうかね。
「素材」があれば、いくらでも自分で「加工」することができるのか。
たかが三日、されど三日、あと三日間、頑張りとおせるか。
いつもとは違った感じのした一日。
では。

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