THE LURKER.

2005年1月7日
「潜むもの」に注意すべきだと思った今日この頃。
「原因」となる行動を起こしてから「結果」となる事象が成り立つまでの間。
それをとりあえず「潜伏期間」とここでは名付けることにしたのですが。
この「潜伏期間」が長いものには、注意をしなければならないと。
例えば「オゾン層の破壊」等、環境破壊関係の殆どはその「潜伏期間」が長い。
もしその「結果」をみて、「原因」を撤廃したとしても、それから「潜伏期間」の長さだけは被害の進行が続く。
また、「潜伏期間」が長いものは、大概がその「結果」を予測できない。
もし「便利なもの」がそれの「原因」であったならば、人々は「便利」ということを優先させ、
それの内に潜む「危険性」をわざわざ確かめようともしない。
この「潜むもの」、今でも殆ど予測することができないんじゃないか、と。
そして今、個人的に気になる「潜むもの」が、このネット社会の影響。
「子供」は順調に育てば必ず「大人」になるものです。
つまり、「子供」に与えたものというのは、数十年後の「大人」に変化をもたらすワケです。
今は丁度、「電気のある生活」というものを体験した「子供」が「大人」となり、「社会」を動かしている時代にあたりまして。
その「電気のある生活」には「テレビ番組」や「テレビゲーム」なんていう娯楽も含まれるワケです。
子供にそういうものを与えて生活させた、その結果が今の大人の動きとして出ている。
そして、今は「パソコンを与えられた子供」の割合が増えていっているワケでして、
その子供達が今から十数年以上経ち、大人になったときはどうなるのか、と気になるワケです。
何というか、自分の文章力では表しにくいんですが、
子供達に与えられた影響が本当に顕著に表れるのはその子供達が大人になったときだというか。
では本文。
目を覚まして時計を見ると六時でした。
ありがちなオチですが、午後の六時でした。
ずっと寝続けていたわけではありませんが、目を覚ましてもどうも眠たくて。
これが睡眠薬の効果なのか、それとも自分がだらけているせいなのか。半々でしょう。
起きてから暫くは頭がぼやぼやとしてました。
そのうち意識がハッキリしてきても、どうも今日で冬休みが終わりだという感じがしない。
先月辺りからずっとそういった「実感がない」ということをいってる気がしますが、何なんでしょうねコレ。
…自分が現実を見ようとしていないためですか(汗)
さて、現実をぱっと見ると、殆ど手付かずの宿題と、明日から三学期という事実。
とりあえず始業式に出すべき宿題をまとめて、それだけやろうかと思ったんですが。
そのまま現実逃避してました。寧ろ、わかっていながらやっていない状態というか。
自分はどうも、一区切りついたら別のことに目を向けてしまうようで。
「宿題の準備」が「区切り」になっちゃうんです。
今までも何度準備だけしてそのままほったらかしたことか。
なってしまったものはしょうがない、ということでまた明日から頑張ろうとも思うのですが(斬)
勉強するキッカケより、遊ぶキッカケとなることのほうが多過ぎるんです。どうすべきか。
面談で「パソコン、預かろか?」とも言われましたし。
遊ぶキッカケを持たない、かつ勉強するキッカケだけはもつ空間に飛ばされろとでも。
しかし家の中ではそれは不可能なので、やはり性格のほうを変えないとならないようです。
何も進まなかった一日。
では。

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