THE SUBLIMATER.
2004年12月2日人は「予感」を働かせることで逆に動揺するかと思った今日この頃。
例えば、何だか危険な場所を歩いていると、びくびくする。
それは、「若しかしたら何か危険な目に遭うかも」と思うためです。
実際、何事にも遭わずにそこを通り抜けれたとしても。
そして逆に、予期せぬ「危険」に出くわしてしまった場合。
これは出遭ってから「恐怖」となるものであり、それが起こるまでは何も感じていないんです。
このように、結局のところ、「起こりうる恐怖」というものに対し、
それを意識することで起こる前から不安でいっぱいになったり、
または意識しなければ起こるまでは通常の状態でいられる、と。
ただ、若しそれが「起こるもの」だった場合、後者は前者よりその「差」が激しいため、結果として悪くなるかもしれません。
前者のようにビクビクし続けて精神疲労を起こすのも危険でしょうけども。
不要な心配は要らないし、また必要な心配を削ってもならない。
しかし自分達には、どれがどっちなのかがわからないワケです。
では本文。
今日は「久保田 修」氏による主にピアノによるコンサート「ぴあのふぇち 2004」へと赴く日です。
期末テスト前日で午前中授業だというのは、恐らく「必ず行け」という暗示でしょう。
↑「偶然」を都合よく解釈するな。
しかしこの、「ザ・フェニックスホール」という建物、自分は一度も見たことがありません。
「地図はあれども無事に着けるのか」という不安と、「いよいよだ」という興奮等、様々な感情を織り交ぜ、結局不安になりながら現地へと向かう。
…梅田というのはこんなにもややこしい土地だったのですか(汗)
知らないところへくると、どこもかしこもビルが並んでいるだけに見えて。
同じ大阪でも都会と隅っこの方ではこんなに違うのか、と。
しかし、やはり迷う人が多いのか地図がそこかしこにありまして。
地下と地上とを行ったり来たりしながら、何とか会場へと到着。
早速「チケットセンター」へチケットを買いに行く。
そうしてついたのは何だか単なる会社の一室のような場所。
しかし間違いなく「チケットセンター」とかいてあるし、入って当日券を買いたいという旨を伝える。
…どうやら入ってすぐのとこで開演三十分前から売り始めるようで(汗)
スゴスゴと入り口のある階まで降り、売り始めるのを待つ。
さて、どうも無駄なことばかりかき連ねている気がしてきたんで開演まで駒を進めます。
待つこと数十分。その間に「携帯電話の電源をお切り下さい」等の注意が何度となく流れる。
普通「コンサート」といえば切ってくるだろうと思いきや、結構それでプチプチ切る人が。
コンサートとかが初めてなのか、それともやはりギリギリまで入れとこうという精神なのか。
しかし前者かなぁ、と思いまして。その根拠が次の通り。
後で久保田氏の話にも出るんですが、ここに来てる人は大抵「某ゲーム」で氏を知った人なんです。
つまりは、言っちゃ悪いんですが「コンサート」というものに全く縁のなかった人もいるんじゃないか、と。
さて、余談はおいといて。全然話が進んでませんね。
会場が暗くなり、いよいよかと思うも数分間その状態で待つ。
こういうときって、時間がやたらと長く感じられるものです。
そして久保田氏らしき人物が入ってきて、礼だけして即座にピアノを弾き始める。
予想としては先ずトークかと思ってたんで、ちょっと違和感を感じました。
そして二曲を弾き終わり、初めて口を開く久保田氏。
次に演奏する二曲の説明を軽くし、また弾き始める。
そしてまたトーク及び曲解説。ここで一つ気になる発言。
「あと、ちょっと激しいゲームの曲を一つ」。
いよいよ某ゲームに収録されてるのが来るか、と身構えて。
一曲目が終わり、ライトアップが赤へ。そして始まる次の曲。
「five regrets」でした。意外といえば意外、しかしそれを聴くことでの感動がその意外性すら吹き飛ばして。
それまでも良い曲だったんですが、もうこれはいろいろな要素が混じって別格の良さがありまして。
「知っている」ということ、そしてそれが「好きな曲」であるということ、それが「生で聴ける」という興奮、
曲のイメージ色である赤でのライトアップ等により、この曲自体のもつ良さが数倍に跳ね上がったのではないかと。
「音楽」には「絵画」と違い、「即効性の感動」がないとはいうものの、
こういった意味では「即効性の感動」も有り得るなぁ、と。
最初の数秒でその「five regrets」という曲を思い出し、そこから色々な要素が混じって一瞬で「感動」へと昇華する。
「知っている」からこその感動ってのはこういうもんだ、と。
ところで、奏でられる曲もさることながら、やはり奏でる側の技もスゴイ。
自分の席からはばっちり手元が見えるワケで、それとあわせてより感動が増す、と。
そしてその後映像に合わせての即興曲を弾き、一旦休憩。
後半、久保田氏がいない。しかしゲストであるチェロ、バイオリン、二胡の奏者たちは演奏を始める。
一体何があるんだろうかと思って暫く演奏を聴いていると。
歌いながら久保田氏入場(笑)
まさか歌い手として参加するとは思いませんでした。意外過ぎです。
それからはそう変わったこともなく、ゲストとの競演が続く。
そして最終曲、「月の涙」。この曲に対しての演出がまたニクイ。
その前の曲の途中から、自分たちが見ている側の「壁」が上がっていってたんです。
どうやらその壁の外に窓があり、そこから夜景が見える、と。
タイトル通りの哀しげで比較的落ちついた曲で、最後にふさわしいかな、と。
弾き終わり、会場を去る久保田氏と、終わらぬ拍手。
その先はいわずともわかるように、久保田氏が戻ってきて「アンコール」曲の演奏を始める。
「本当は手が三本ないと弾けない曲なんですけど、無理やり二本で弾こうと思います。」
そのような久保田氏のコメントに、ふと「Vienna」か「carezza」ではないかと思って聞き耳をたてる。
しかし流れてきたのは「scherzo」、これもよく考えれば三声なんですね。
その勘違いを狙っていたのかどうかは知りようがありませんが。
この「scherzo」もお気に入りだったんで感動はひとしおで。
三声のところだけスピードが落ちるというのも印象的でした(笑)
ところで、実は「月の涙」と「scherzo」には一部で似たフレーズが使用されてるんですが、
まさか「月の涙」で伏線をはってたんでしょうか。
さて、アンコールの「scherzo」にまた酷く感動しながら帰宅しました。
「聴けた」というのは勿論嬉しかったんですけど、やはり同時に「終わった」ってことが少し寂しいなぁ、と。
イベントとかってのは大概そんなもんですけどもね。
いつか忘れることがあろうとも、今日感じたこの「感動」は本物だ、と。
…結局ここまで長くなりましたか(汗)
今更「雑記」にかけばよかったかと反省しております。
いつも以上に「かきたいことをかいただけ」の変なものになりました。スイマセン。
かきたくなることが多過ぎた一日。
では。
例えば、何だか危険な場所を歩いていると、びくびくする。
それは、「若しかしたら何か危険な目に遭うかも」と思うためです。
実際、何事にも遭わずにそこを通り抜けれたとしても。
そして逆に、予期せぬ「危険」に出くわしてしまった場合。
これは出遭ってから「恐怖」となるものであり、それが起こるまでは何も感じていないんです。
このように、結局のところ、「起こりうる恐怖」というものに対し、
それを意識することで起こる前から不安でいっぱいになったり、
または意識しなければ起こるまでは通常の状態でいられる、と。
ただ、若しそれが「起こるもの」だった場合、後者は前者よりその「差」が激しいため、結果として悪くなるかもしれません。
前者のようにビクビクし続けて精神疲労を起こすのも危険でしょうけども。
不要な心配は要らないし、また必要な心配を削ってもならない。
しかし自分達には、どれがどっちなのかがわからないワケです。
では本文。
今日は「久保田 修」氏による主にピアノによるコンサート「ぴあのふぇち 2004」へと赴く日です。
期末テスト前日で午前中授業だというのは、恐らく「必ず行け」という暗示でしょう。
↑「偶然」を都合よく解釈するな。
しかしこの、「ザ・フェニックスホール」という建物、自分は一度も見たことがありません。
「地図はあれども無事に着けるのか」という不安と、「いよいよだ」という興奮等、様々な感情を織り交ぜ、結局不安になりながら現地へと向かう。
…梅田というのはこんなにもややこしい土地だったのですか(汗)
知らないところへくると、どこもかしこもビルが並んでいるだけに見えて。
同じ大阪でも都会と隅っこの方ではこんなに違うのか、と。
しかし、やはり迷う人が多いのか地図がそこかしこにありまして。
地下と地上とを行ったり来たりしながら、何とか会場へと到着。
早速「チケットセンター」へチケットを買いに行く。
そうしてついたのは何だか単なる会社の一室のような場所。
しかし間違いなく「チケットセンター」とかいてあるし、入って当日券を買いたいという旨を伝える。
…どうやら入ってすぐのとこで開演三十分前から売り始めるようで(汗)
スゴスゴと入り口のある階まで降り、売り始めるのを待つ。
さて、どうも無駄なことばかりかき連ねている気がしてきたんで開演まで駒を進めます。
待つこと数十分。その間に「携帯電話の電源をお切り下さい」等の注意が何度となく流れる。
普通「コンサート」といえば切ってくるだろうと思いきや、結構それでプチプチ切る人が。
コンサートとかが初めてなのか、それともやはりギリギリまで入れとこうという精神なのか。
しかし前者かなぁ、と思いまして。その根拠が次の通り。
後で久保田氏の話にも出るんですが、ここに来てる人は大抵「某ゲーム」で氏を知った人なんです。
つまりは、言っちゃ悪いんですが「コンサート」というものに全く縁のなかった人もいるんじゃないか、と。
さて、余談はおいといて。全然話が進んでませんね。
会場が暗くなり、いよいよかと思うも数分間その状態で待つ。
こういうときって、時間がやたらと長く感じられるものです。
そして久保田氏らしき人物が入ってきて、礼だけして即座にピアノを弾き始める。
予想としては先ずトークかと思ってたんで、ちょっと違和感を感じました。
そして二曲を弾き終わり、初めて口を開く久保田氏。
次に演奏する二曲の説明を軽くし、また弾き始める。
そしてまたトーク及び曲解説。ここで一つ気になる発言。
「あと、ちょっと激しいゲームの曲を一つ」。
いよいよ某ゲームに収録されてるのが来るか、と身構えて。
一曲目が終わり、ライトアップが赤へ。そして始まる次の曲。
「five regrets」でした。意外といえば意外、しかしそれを聴くことでの感動がその意外性すら吹き飛ばして。
それまでも良い曲だったんですが、もうこれはいろいろな要素が混じって別格の良さがありまして。
「知っている」ということ、そしてそれが「好きな曲」であるということ、それが「生で聴ける」という興奮、
曲のイメージ色である赤でのライトアップ等により、この曲自体のもつ良さが数倍に跳ね上がったのではないかと。
「音楽」には「絵画」と違い、「即効性の感動」がないとはいうものの、
こういった意味では「即効性の感動」も有り得るなぁ、と。
最初の数秒でその「five regrets」という曲を思い出し、そこから色々な要素が混じって一瞬で「感動」へと昇華する。
「知っている」からこその感動ってのはこういうもんだ、と。
ところで、奏でられる曲もさることながら、やはり奏でる側の技もスゴイ。
自分の席からはばっちり手元が見えるワケで、それとあわせてより感動が増す、と。
そしてその後映像に合わせての即興曲を弾き、一旦休憩。
後半、久保田氏がいない。しかしゲストであるチェロ、バイオリン、二胡の奏者たちは演奏を始める。
一体何があるんだろうかと思って暫く演奏を聴いていると。
歌いながら久保田氏入場(笑)
まさか歌い手として参加するとは思いませんでした。意外過ぎです。
それからはそう変わったこともなく、ゲストとの競演が続く。
そして最終曲、「月の涙」。この曲に対しての演出がまたニクイ。
その前の曲の途中から、自分たちが見ている側の「壁」が上がっていってたんです。
どうやらその壁の外に窓があり、そこから夜景が見える、と。
タイトル通りの哀しげで比較的落ちついた曲で、最後にふさわしいかな、と。
弾き終わり、会場を去る久保田氏と、終わらぬ拍手。
その先はいわずともわかるように、久保田氏が戻ってきて「アンコール」曲の演奏を始める。
「本当は手が三本ないと弾けない曲なんですけど、無理やり二本で弾こうと思います。」
そのような久保田氏のコメントに、ふと「Vienna」か「carezza」ではないかと思って聞き耳をたてる。
しかし流れてきたのは「scherzo」、これもよく考えれば三声なんですね。
その勘違いを狙っていたのかどうかは知りようがありませんが。
この「scherzo」もお気に入りだったんで感動はひとしおで。
三声のところだけスピードが落ちるというのも印象的でした(笑)
ところで、実は「月の涙」と「scherzo」には一部で似たフレーズが使用されてるんですが、
まさか「月の涙」で伏線をはってたんでしょうか。
さて、アンコールの「scherzo」にまた酷く感動しながら帰宅しました。
「聴けた」というのは勿論嬉しかったんですけど、やはり同時に「終わった」ってことが少し寂しいなぁ、と。
イベントとかってのは大概そんなもんですけどもね。
いつか忘れることがあろうとも、今日感じたこの「感動」は本物だ、と。
…結局ここまで長くなりましたか(汗)
今更「雑記」にかけばよかったかと反省しております。
いつも以上に「かきたいことをかいただけ」の変なものになりました。スイマセン。
かきたくなることが多過ぎた一日。
では。
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