THE FORBIDDER.
2004年11月23日一見は「悪化」してるようにみえることがあると思った今日この頃。
例えば、告知こそされてはいないが普通に考えて「してはいけない事」がある。
それを知らずにその「してはいけない事」をいる子供達が多数いた。
なので、そのことが「してはいけない事」だとして子供達全員に告知した。
しかし、「してはいけない事」をする子供たちは減らない。寧ろ増している。
そういった場合。実際にもこういった例はあるはずなのですが。
なんだか長いんで「してはいけない事」を「A」と略しますけども。
この、「告知」の前後で「A」を知る子供が増えたことを考えれば、「A」をする子供が増えてもおかしくありません。
ならば何が「減った」のか。それは「A」を「禁止事項」だと知らずにやる子供達。
「A」が「禁止事項」だと知って、「A」をやめた子供たちがいる筈です。
つまりは、「A」が「禁止事項」であることを知らずにやる子供はいなくなったということ。
即ち、「A」をする子供はそれが「禁止事項」であるということを知っている。
危険があることも知っている。それを覚悟でやっている。
つまり、危険ならばやりたくないという子供はそれをしなくなったというか、
「傷つくべき者のみがそれを続けている」状態というか。
注意を払える人が注意をできるようになったというか、
うまくまとまらないんですがそんな感じです。
「注意を守れる人」がその「注意の追加」によって更に安全になったというか。
被害に遭うべきではない人への被害が出ないようになったというか。
自分でもワケがわかんなくなってきたんで無責任ながらここらで打ち切ることにします。
では本文。
朝、目を覚ますも起きようという気が起きない。
しかしだからといってもうちょっと寝ようという気も起きない。
起きようと思うも何故か溜まっている「やるべきこと」ばかり思いつき、
何かと面倒くさく感じてやはり起きない。
そんな感じで目が覚めてから起き上がるまでに二十分くらいかかった自分です。
面倒くさがりという性分のせいでしょうかね。
起きても何をするでもなく家の中でうろうろ。
何をしたいとも思わなかったというか。
何か思い出せないような悪い夢でも見たんでしょうかね。
目覚めが良いか否かってってのは結構その日の過ごし方に影響が出るもので。
今日の目覚めはどうだったのかわかりませんが、どちらかというと悪いほうでしょうか。
睡眠時間は多かったのですが、どうしてここまでやる気のない目覚めに。
単に寝過ぎたという事も考えられますけど。
たまにはこんな日もあるもんだと思って深く考えないことにします。
そして特に何をしたいとも思わず、することにも特に面白みを感じず、一日が過ぎていったワケで。
何というか、いつもと比べて無感動だというか。
いつもよりもある出来事に対して感じることが少ないというか。
行動理由が「そうしたいから」でなく「そうしとけばいいか」になってるというか。
例えばパソコンをしていても暇になり、何もやることがなくなったとき、
「ピアノができるようだからピアノをしよう」と思ってピアノをするとか。
特に「何がしたい」という事でもなく、そうしてある種「作業」のようにやることを変える。
そして当然、「やりたい」という理由ですることになったワケではないため、それも早くに飽きる。
そうなるとまた次に、「何かできることはないか」と考えそれをしにいく。
そんなことの繰り返しだったような気がしなくもない日で。
「そんな日もある」、取り敢えずはこの一言でおさめとこうかと。
思い返すと何をしていたのだろうと思った一日。
では。
例えば、告知こそされてはいないが普通に考えて「してはいけない事」がある。
それを知らずにその「してはいけない事」をいる子供達が多数いた。
なので、そのことが「してはいけない事」だとして子供達全員に告知した。
しかし、「してはいけない事」をする子供たちは減らない。寧ろ増している。
そういった場合。実際にもこういった例はあるはずなのですが。
なんだか長いんで「してはいけない事」を「A」と略しますけども。
この、「告知」の前後で「A」を知る子供が増えたことを考えれば、「A」をする子供が増えてもおかしくありません。
ならば何が「減った」のか。それは「A」を「禁止事項」だと知らずにやる子供達。
「A」が「禁止事項」だと知って、「A」をやめた子供たちがいる筈です。
つまりは、「A」が「禁止事項」であることを知らずにやる子供はいなくなったということ。
即ち、「A」をする子供はそれが「禁止事項」であるということを知っている。
危険があることも知っている。それを覚悟でやっている。
つまり、危険ならばやりたくないという子供はそれをしなくなったというか、
「傷つくべき者のみがそれを続けている」状態というか。
注意を払える人が注意をできるようになったというか、
うまくまとまらないんですがそんな感じです。
「注意を守れる人」がその「注意の追加」によって更に安全になったというか。
被害に遭うべきではない人への被害が出ないようになったというか。
自分でもワケがわかんなくなってきたんで無責任ながらここらで打ち切ることにします。
では本文。
朝、目を覚ますも起きようという気が起きない。
しかしだからといってもうちょっと寝ようという気も起きない。
起きようと思うも何故か溜まっている「やるべきこと」ばかり思いつき、
何かと面倒くさく感じてやはり起きない。
そんな感じで目が覚めてから起き上がるまでに二十分くらいかかった自分です。
面倒くさがりという性分のせいでしょうかね。
起きても何をするでもなく家の中でうろうろ。
何をしたいとも思わなかったというか。
何か思い出せないような悪い夢でも見たんでしょうかね。
目覚めが良いか否かってってのは結構その日の過ごし方に影響が出るもので。
今日の目覚めはどうだったのかわかりませんが、どちらかというと悪いほうでしょうか。
睡眠時間は多かったのですが、どうしてここまでやる気のない目覚めに。
単に寝過ぎたという事も考えられますけど。
たまにはこんな日もあるもんだと思って深く考えないことにします。
そして特に何をしたいとも思わず、することにも特に面白みを感じず、一日が過ぎていったワケで。
何というか、いつもと比べて無感動だというか。
いつもよりもある出来事に対して感じることが少ないというか。
行動理由が「そうしたいから」でなく「そうしとけばいいか」になってるというか。
例えばパソコンをしていても暇になり、何もやることがなくなったとき、
「ピアノができるようだからピアノをしよう」と思ってピアノをするとか。
特に「何がしたい」という事でもなく、そうしてある種「作業」のようにやることを変える。
そして当然、「やりたい」という理由ですることになったワケではないため、それも早くに飽きる。
そうなるとまた次に、「何かできることはないか」と考えそれをしにいく。
そんなことの繰り返しだったような気がしなくもない日で。
「そんな日もある」、取り敢えずはこの一言でおさめとこうかと。
思い返すと何をしていたのだろうと思った一日。
では。
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