THE RESTRAINTER.
2004年10月2日「千文字」ということに束縛されているかと思った今日この頃。
自分がどうでもいいような話を無駄にかくのも、それがあってこそ。
この日記、使ってる人なら知ってますが、「文字数カウンター」なるものがついてまして。
そこでたまたま、「千文字以上」である日記が続いた、と。
すると自分の性格上、それを続けようと思ってしまう。
そして「千文字以上」ということを気にし、それに満たないときはどうにかしてそうしようとする。
しかし果たして、そこまでして「千文字以上」かくことに何か意味があろうか、と。
結論からいうと、それは単なる「自己満足」だ、と。
誰も、そう自分でさえも、千文字稼ぐために付け足したような意味のない部分に面白みを感じはしない。
元から全体的に面白くないものですが、そこでも特につまらない。
しかしそれでも形式上は「千文字以上」となり、自分はそれに「納得」する。
無理してつまらないことをかくより、面白いことだけをかけばいい。
少なくとも、自分がかいてて面白いと思えないことは読んでも面白くないハズで。
そういった「千文字」への無駄な「こだわり」、「意地」、「執着」を捨てて、
これからはかけるだけのことをかこうかと。
こうして「宣言」することが、また自分に変化への「納得」をもたらす。
では本文。
日記にかくには不謹慎かと思ったんですが、
多分個人の日記であらば間違いなくかくであろうので、今日の出来事について一つ。
…学校に救急車が来ました(汗)
事件というか、事故があったんです。
事故自体はあまり派手ではないものでしたが、大変なことで。
それは自分がいつものように階段辺りにいたときの話。
今日は壁と壁の間に手と足を伸ばしてつけてふんばる、という新しい遊びというか何というかを友人に教わりまして。
丁度身体が地面と平行になるような感じで。これだけでなかなか楽しい。
学校では他に娯楽がないから故に楽しいんでしょうけど。
しかし工夫次第で色々と出来るもんだな、と。
話を元に戻して、暇なのでそうしてその姿勢のまま上下左右に動くようなことをしていると、
ある情報がはいってきまして。
「K(仮名)が死んだ」と。Kは元クラスメートの名前なのですが。
突拍子のない情報に、Kとは何か漫画とかそういったものの登場人物かとさえ思って。
しかしKとは紛れもなく現実にいるKでありました。
すると「死んだ」とはとういうことかと。何があったのかと。
大阪人特有なのかも知れませんが、「危険な状態にある」とかいう場合、「死んだ」ということがあるのです。
例えば「テスト死んだ」等、様々な「危険な状態」に対して使われます。
今回の場合、「様態が危ない」という意味でのことでした。
見てみるとそのクラスの前には既に人だかりができていて。
あることないこと様々な情報が飛び交っていたワケです。
雰囲気からして軽い騒ぎかと思ったんですが、そうでもなくて。
結局、そのときわかった情報は「後頭部をうち、痙攣をしている」とのこと。
あまり目立たない事故です。こういうのは。「打ち所が悪い」だけのことで。
だからこそ、集まっていた人々は「まさかそんなことで大事に至るはずが」と軽い気持ちで騒いでいたのかも知れませんが。
「どんな風に倒れてるか見にいこう」という人までいたりしました。
かくいう自分も、「気絶したくらいならそのうち意識を取り戻すだろう」と事態を軽くみた予想をしていましたし。
結構こういう地味な事故こそその地味さ故に恐かったりするもんです。
そのうち救急車がきて、隊員がきて、丁度チャイムも鳴りまして、
そこにきた先生の「はよ教室戻れ、笑い事ちゃうぞ」という言葉とともに教室に戻って。
まるで何事もなかったかのように授業が行われました。
そして暫くして、またサイレンの音がきこえて。
緊急連絡がなかったところから察すると大丈夫なんでしょうけど、
「わからない」ってことで少々不安でした。
しかし帰るときにはもう「イチローの新記録」に話題が変わっていたり、と。
大丈夫だと思うからこそそういった風になるんでしょう。
本当に死んでいたら、そのようなジョークすら言えないでしょう。
人間って何が原因でどうなるかわかったもんじゃないな、と。
ある条件が揃っただけで、こんなにも容易く大変なことになるのですから。
正直、自分だって今日まで「そんな珍しいこと起こるハズがない」と思っていましたし。
頭部への衝撃はなるべく避けたほうがいいんだな、と。
他人の例をもって思い知らされました。
結局、あの後はどうなったんでしょうかね。
さて、帰ってからはそのことを気にしつつもいつもと何ら変わらず過ごしました。
個人的に長い間記憶に残るだろうと思った一日。
では。
自分がどうでもいいような話を無駄にかくのも、それがあってこそ。
この日記、使ってる人なら知ってますが、「文字数カウンター」なるものがついてまして。
そこでたまたま、「千文字以上」である日記が続いた、と。
すると自分の性格上、それを続けようと思ってしまう。
そして「千文字以上」ということを気にし、それに満たないときはどうにかしてそうしようとする。
しかし果たして、そこまでして「千文字以上」かくことに何か意味があろうか、と。
結論からいうと、それは単なる「自己満足」だ、と。
誰も、そう自分でさえも、千文字稼ぐために付け足したような意味のない部分に面白みを感じはしない。
元から全体的に面白くないものですが、そこでも特につまらない。
しかしそれでも形式上は「千文字以上」となり、自分はそれに「納得」する。
無理してつまらないことをかくより、面白いことだけをかけばいい。
少なくとも、自分がかいてて面白いと思えないことは読んでも面白くないハズで。
そういった「千文字」への無駄な「こだわり」、「意地」、「執着」を捨てて、
これからはかけるだけのことをかこうかと。
こうして「宣言」することが、また自分に変化への「納得」をもたらす。
では本文。
日記にかくには不謹慎かと思ったんですが、
多分個人の日記であらば間違いなくかくであろうので、今日の出来事について一つ。
…学校に救急車が来ました(汗)
事件というか、事故があったんです。
事故自体はあまり派手ではないものでしたが、大変なことで。
それは自分がいつものように階段辺りにいたときの話。
今日は壁と壁の間に手と足を伸ばしてつけてふんばる、という新しい遊びというか何というかを友人に教わりまして。
丁度身体が地面と平行になるような感じで。これだけでなかなか楽しい。
学校では他に娯楽がないから故に楽しいんでしょうけど。
しかし工夫次第で色々と出来るもんだな、と。
話を元に戻して、暇なのでそうしてその姿勢のまま上下左右に動くようなことをしていると、
ある情報がはいってきまして。
「K(仮名)が死んだ」と。Kは元クラスメートの名前なのですが。
突拍子のない情報に、Kとは何か漫画とかそういったものの登場人物かとさえ思って。
しかしKとは紛れもなく現実にいるKでありました。
すると「死んだ」とはとういうことかと。何があったのかと。
大阪人特有なのかも知れませんが、「危険な状態にある」とかいう場合、「死んだ」ということがあるのです。
例えば「テスト死んだ」等、様々な「危険な状態」に対して使われます。
今回の場合、「様態が危ない」という意味でのことでした。
見てみるとそのクラスの前には既に人だかりができていて。
あることないこと様々な情報が飛び交っていたワケです。
雰囲気からして軽い騒ぎかと思ったんですが、そうでもなくて。
結局、そのときわかった情報は「後頭部をうち、痙攣をしている」とのこと。
あまり目立たない事故です。こういうのは。「打ち所が悪い」だけのことで。
だからこそ、集まっていた人々は「まさかそんなことで大事に至るはずが」と軽い気持ちで騒いでいたのかも知れませんが。
「どんな風に倒れてるか見にいこう」という人までいたりしました。
かくいう自分も、「気絶したくらいならそのうち意識を取り戻すだろう」と事態を軽くみた予想をしていましたし。
結構こういう地味な事故こそその地味さ故に恐かったりするもんです。
そのうち救急車がきて、隊員がきて、丁度チャイムも鳴りまして、
そこにきた先生の「はよ教室戻れ、笑い事ちゃうぞ」という言葉とともに教室に戻って。
まるで何事もなかったかのように授業が行われました。
そして暫くして、またサイレンの音がきこえて。
緊急連絡がなかったところから察すると大丈夫なんでしょうけど、
「わからない」ってことで少々不安でした。
しかし帰るときにはもう「イチローの新記録」に話題が変わっていたり、と。
大丈夫だと思うからこそそういった風になるんでしょう。
本当に死んでいたら、そのようなジョークすら言えないでしょう。
人間って何が原因でどうなるかわかったもんじゃないな、と。
ある条件が揃っただけで、こんなにも容易く大変なことになるのですから。
正直、自分だって今日まで「そんな珍しいこと起こるハズがない」と思っていましたし。
頭部への衝撃はなるべく避けたほうがいいんだな、と。
他人の例をもって思い知らされました。
結局、あの後はどうなったんでしょうかね。
さて、帰ってからはそのことを気にしつつもいつもと何ら変わらず過ごしました。
個人的に長い間記憶に残るだろうと思った一日。
では。
コメント