THE ALONER.

2004年9月15日
最も哀しいことは何かと思った今日この頃。
それは「無視」をされてしまうというか、「忘れ去られてしまう」こと。
「他人がいるからこそ自分が形成されて入る」というような言葉にあるように、
人は常に他人によってその存在を実感しているのであり。
「他人に忘れ去られる」こと、それはつまり「孤立」であり「存在の空虚化」。
自分は一体何処に、何のために「存在」しているのかがわからなくなる。
まあ、本人が「忘れ去られている」ということに気付いていなければよいのかもしれませんが。
「何かを失う」ことで哀しむというのは、まだ「大切な何か」があった、ということなのです。
本当に「独り」になってしまうということ。
それが最も哀しいことなのかもしれません。
では本文。
本日は「誕生日」なのですが。
十七歳ともなると、別にそんなことどうでもよくなってきたりもするワケで。
誕生日ケーキも誕生日プレゼントもありませんし。
↑お前が「誕生日」に求めるものはそれだけか。
しかし今年は去年までと違う点が一つ有りまして。
それは「敬老の日」ではないこと。何だか落ち付かない。
今までは自分の誕生日ってのは休日だったんです。
それが何か、「ハッピーマンデー法」だとかいうふざけた法によって別の日になっちゃいまして。
「祝日」が年毎に移動するとは何事か、と。
そりゃ自分の誕生日の特権を奪われたこともありますが、それを抜いてもこの法には疑問が残る。
「三連休」を作るためというのもあるらしいんですが、自分の行ってる学校、土曜日もきちんとありますから。二連休にしかならないんです。
だから祝日が土曜日のとき、週休五日制の学校に通う人々はガッカリしてんだろうな、と思って少し面白がったりもしたり(蹴)
↑心がすさんでる。
さて、話がどんどんずれていくのでここらで強引に元に戻します。
「誕生日」だからというのではないんですが、友人が「博士の愛した数学」を持ってきてくれました。
単なる「偶然」です。別に「引力」とかそんなんじゃないです。多分。
そして帰りの電車内で十頁程読んだのですが。
色々な数学の知識を使ったものが出てくるのは面白い。
「一億までの素数の数」だとか、「絶対数」だとか。
しかしいかんせん腑に落ちないのが、「数値をあとから設定している」ということ。
主人公(?)の家政婦の年齢や誕生日などがどのような意味を持つ数字かということが博士から伝えられるんですが、
やはりそういった数学における「意味を持つ数字」を先にいくらか調べて、それをその「プロフィール」に埋め込んでいる、と。
「後付け」というかなんというか、面白いんだけどそこだけが引っかかる。
あまりにも「できすぎている」ことへの違和感、ってやつです。
さて、また話を元に戻して。
今日は居残りもなかったんで、自習室に行かず家へ帰りました。
居残りがなかったことが唯一の誕生日プレゼントでしょうか。
誕生日でも家族から祝いの言葉の一つもかけてもらえない。
もう祝うほどの年齢ではないとはわかってますけど。
「ああ、今日は誕生日だね」、っていう、それだけで終わるような雰囲気。
最早「誕生日」は「特別な日」ではなくなった、と。
それでも「キッカケ」として利用することはできます。
明日から何かと頑張ろうかという気になれたりします。
取り敢えず、明日から宿題を仕上げにかかります。
少し寂しさを感じた一日。
では。

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