THE FUTURER.
2004年6月15日「未来」について「確定」していることは何一つないかと思った今日この頃。
「天気予報」が「予報」に過ぎないように、「未来」の事象はわからない。
「予め報じる」とはいえ、それは「予想」を報じているに過ぎない。
「降水確率100%」でも雨は降らないときはある。
「未来」にどうなっているかを「確定」することはできない。
例えば、「十年後こうなってる」と言って、実際そううなったとしましょう。
確かに「そうなった」のだから、「確定」していたことなんじゃないかと思いますが。
しかし、「十年前」においては、それは「確定」されてはいなかった。
「別の方向」へ向かう可能性も十分あった。
「確定」というものは即ち「100%」であり、他のどのようなことも「可能性」に入ってはならない、と。
確かに、「100%」といってもいいほどの「高確率」なことはあります。
しかし、それは決して「100%」ではない、と。
さて、ならば「近い未来」の場合どうか、と。
例えば「一秒後」だとか、それくらいの「未来」なら「確定」するのでしょうか。
確かに、「時間の差」が小さいほど、「ズレ」というものは小さいのですけども。
しかしやはり「確定」ではない。何かしら、ほかの可能性が割り込んでくる。
「未来」を「現在」にし、「確定」したこととして「過去」とする。
兎に角、「未来」がこうなる、と言いきることはできないのか、と。
「無視していいほど低確率な事象」があるせいで、それはいえない。
「無視していいほど小さ」くても、やはり「100%」にはならない、と。
しかし、ある程度の「範囲」を指すのならば、「確定」もあるのかなぁ、とも。
しかし、「確定」というものは、ある「点」を通過するといった事をこそ「確定」というのであり、
「範囲」では「確定」とはいえないのではないか、とも。
行き当たりばったりで考えるとさっぱり話がまとまりませんのでこの辺で(何)
では本文。
日曜日まであと四日。
↑ネタとしてしつこい。
特に変わったこともない火曜日ですが。
つまりあまりネタがなくて困るような日で。
ここで一つ無理やりにネタを出してみます。
部活中、「数字当てゲーム」やってたんです。
オーソドックスなのは、お互い1〜9の九つの数字から三つを並べて。
同じ数字は使わないように。そして、相手の数を当てるんです。
相手から数字を言われた際、「場所」と「数字」が共に合っているものと、
「数字」は合っているが「場所」が合わないものの数を応えるんです。
自分らの間ではそれらをそれぞれ「ホームラン」と「ヒット」と言いますが。
例えば、自分の数が「765」、相手が言ってきた数が「573」だとしたら、
「5」と「7」が場所は違えど入っているので「二ヒット」になる、と。
三つがオーソドックスである理由は一番「バランス」がとれてるからだとか。
それで、五つでやってたんです。
そしたらお互い、なかなか当たらなくて(汗)
いつの間にやら部活も終了。しかし勝負がつかない。
仕方がないので対戦のためのメモ用紙を持って歩きながら続行。
暫くやって、やっとのことで勝負がつきまして。
ちなみに自分が勝ちましたがそれは関係なくて。
…周りから見たらどんなものだったのかな、と(汗)
手にメモ用紙を持ち、何かしら書き、考えて、また何かしら書き、という動作を繰り返しつつ歩いていたワケで。
端から見れば「あの人逹は何をしてるんだ」と思われるような。
意外と、こういうことって、「やってる本人達」は周りを気にしてないんだなぁ、と。
成る程これなら駅で追いかけっこをしたりするという子供たちの行動も頷ける。
「周り」から見れば、即ち「客観的」に見れば気になることも、「本人」にしたら、即ち「主観的」に見ればどうでもない、と。
しかし、やはり「客観的」な判断はできるほうがいいかと。
そんなことを思いつつ帰宅。そしてだらだらしてたら今に至る。
無理矢理ネタを作るのはあまり良くないかと思った一日。
では。
「天気予報」が「予報」に過ぎないように、「未来」の事象はわからない。
「予め報じる」とはいえ、それは「予想」を報じているに過ぎない。
「降水確率100%」でも雨は降らないときはある。
「未来」にどうなっているかを「確定」することはできない。
例えば、「十年後こうなってる」と言って、実際そううなったとしましょう。
確かに「そうなった」のだから、「確定」していたことなんじゃないかと思いますが。
しかし、「十年前」においては、それは「確定」されてはいなかった。
「別の方向」へ向かう可能性も十分あった。
「確定」というものは即ち「100%」であり、他のどのようなことも「可能性」に入ってはならない、と。
確かに、「100%」といってもいいほどの「高確率」なことはあります。
しかし、それは決して「100%」ではない、と。
さて、ならば「近い未来」の場合どうか、と。
例えば「一秒後」だとか、それくらいの「未来」なら「確定」するのでしょうか。
確かに、「時間の差」が小さいほど、「ズレ」というものは小さいのですけども。
しかしやはり「確定」ではない。何かしら、ほかの可能性が割り込んでくる。
「未来」を「現在」にし、「確定」したこととして「過去」とする。
兎に角、「未来」がこうなる、と言いきることはできないのか、と。
「無視していいほど低確率な事象」があるせいで、それはいえない。
「無視していいほど小さ」くても、やはり「100%」にはならない、と。
しかし、ある程度の「範囲」を指すのならば、「確定」もあるのかなぁ、とも。
しかし、「確定」というものは、ある「点」を通過するといった事をこそ「確定」というのであり、
「範囲」では「確定」とはいえないのではないか、とも。
行き当たりばったりで考えるとさっぱり話がまとまりませんのでこの辺で(何)
では本文。
日曜日まであと四日。
↑ネタとしてしつこい。
特に変わったこともない火曜日ですが。
つまりあまりネタがなくて困るような日で。
ここで一つ無理やりにネタを出してみます。
部活中、「数字当てゲーム」やってたんです。
オーソドックスなのは、お互い1〜9の九つの数字から三つを並べて。
同じ数字は使わないように。そして、相手の数を当てるんです。
相手から数字を言われた際、「場所」と「数字」が共に合っているものと、
「数字」は合っているが「場所」が合わないものの数を応えるんです。
自分らの間ではそれらをそれぞれ「ホームラン」と「ヒット」と言いますが。
例えば、自分の数が「765」、相手が言ってきた数が「573」だとしたら、
「5」と「7」が場所は違えど入っているので「二ヒット」になる、と。
三つがオーソドックスである理由は一番「バランス」がとれてるからだとか。
それで、五つでやってたんです。
そしたらお互い、なかなか当たらなくて(汗)
いつの間にやら部活も終了。しかし勝負がつかない。
仕方がないので対戦のためのメモ用紙を持って歩きながら続行。
暫くやって、やっとのことで勝負がつきまして。
ちなみに自分が勝ちましたがそれは関係なくて。
…周りから見たらどんなものだったのかな、と(汗)
手にメモ用紙を持ち、何かしら書き、考えて、また何かしら書き、という動作を繰り返しつつ歩いていたワケで。
端から見れば「あの人逹は何をしてるんだ」と思われるような。
意外と、こういうことって、「やってる本人達」は周りを気にしてないんだなぁ、と。
成る程これなら駅で追いかけっこをしたりするという子供たちの行動も頷ける。
「周り」から見れば、即ち「客観的」に見れば気になることも、「本人」にしたら、即ち「主観的」に見ればどうでもない、と。
しかし、やはり「客観的」な判断はできるほうがいいかと。
そんなことを思いつつ帰宅。そしてだらだらしてたら今に至る。
無理矢理ネタを作るのはあまり良くないかと思った一日。
では。
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