THE LABELER.

2004年3月21日
「事実の付着」で「価値」が上下するコトもあると思った今日この頃。
まあ、色々とそういったコトでものの価値というのは変わるんですけども。
ただ、「事実の付着」というものは「目には見えない」。
「三百年前の氷」と言われても、それが本当に事実かどうかはわからないし、
「有名人が使用した物品」と言われてもホントかどうかわからない。
しかし何故か、その「事実の付着したもの」を欲しがる人がいる。
若しかしたら、嘘の事実でもとりあえず付着させとけば値が上がるのかも知れない。
「有難い念のこもったお守り」だとか、そういうのだともっと「見えない」。
今までにあげたものなら、ホントかどうかの「証拠」がないこともない。
しかしこういったものについては「証拠」さえなく、真偽がわからない。
それでもやはり、受け取る側は、「念がこもってる」と思いつつ受けとる。
結局はそこなんです。
受け取る側が、その事実がその物品に付着していると思えば、そこに事実は付着する。
まあ、くどいようですが「イメージ」とでもいうか。
しかし、そういったもので「負」の事実が付着してる場合って、
意外と言わなかったら平気なんでしょうかね、本当に。
「以前にそれをしていた人が自殺したネックレス」とか…(何)
では本文。
特になにもなかったのですが。
明日提出である宿題があるハズなのにダラダラと。
いや、やろうやろうとは思うんですがね、いつのまにか夜、というような。
「やろうと思ったその時点で、行動は既に終わっている。」
…これまたマイナーなネタですいません。でもホント、こんな感じです。
「できていない」ということが「実感」できていないというか、
することに対する「必要性」を感じ取れていないというか。
または家では勉強をしないという勝手な規則に則ろうとしているのか。
とにかくその分明日以降に苦労するのは必至ですね。
とりあえず、この夜にでもまた、やれるだけやろうかな、と。
そして、そのために教材を探してたんです。
宿題をやろうにもその教材が行方不明じゃどうにもなりませんで。
すると偶然にも、以前から探してたものの出てこなかった数学の問題集が出てきて。
小さい問題集でして、へしゃげた本の間にあったから見ただけで見つかるわけがなかったので。
やはり、探し物をするときはどこもかしこも根掘り葉掘り調べなきゃなんないなぁ、と。
そんな調子で残りの教材も見つけました。
しかし自分の机の周りを探すだけでこんなに苦労するってのはなんでしょうかね。
必要なものは中に埋もれてて不必要なものが表へ出ている状態。
大分前からどうにかしようと思うもののどうにもなっていないあたり、自分は怠け者だなぁ、と。
そのうち整理しますって。そのうち…
結局何においてもそういった態度をとるのが自分かと思った一日。
では。

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