THE WORTHER.

2004年3月20日
本当に「良い」ものだとかいうものは存在するかと思った今日この頃。
いや、結局のところ、そのものの「善し悪し」というか「価値」を決めるかってのは、「決める者」がいてこそなんですよね。
いくら皆が「良い」と言おうと、自分は「悪い」としか感じられない、とか。
結局のところ、そうなんです。「良し悪しを決めるものがいないと決まらない」。
そしてそれを決められる、寧ろ決めなければならないのは「動物」だと。
それが自分にとって良いか悪いか、それが決められなければならない。
この食物は毒だとか、そうでないとか、そういったコトは「情報」として伝わる。
しかしその「情報」だって、ある者にとっては間違いかも知れない。
そして、何よりも「決める者がいてこその価値」だというコト。
決める者がいなければ、そこに「価値」という概念はなくなる。
「自分」にとって「それ」がどれだけの「価値」や「意味」を持つか。
それはやはり「自分にとって」であり、自分が決めたからこその「価値」なので。
生物でない地球にとって、環境汚染だとかそんなのに「意味」はないのだろう。
例えそれで己が崩壊しようと意味はない、寧ろ己の崩壊も全く「意味のない」ことであろう。
ただ、「地球上の生物」にとってそれは「不便」極まりないから、「地球上の生物」、特に、「不便」を嫌う人間が、「破壊」する原因を減らそうとする。
「不便」というとなんだか語弊もあるんですが、適当な言葉が見つからなかったんで。
兎に角、「価値」さえも「物質にまとわっている概念」にすぎないってコトです。
いわば「イメージ」の一種。人によってそれは違ってくる。
そう考えるとなんだか虚しい気がしないでもなくて(何)
では本文。
…性懲りもなくサボり出したのですが。
最初の二日は許します。100km歩行だったから。
しかしその後の二日。何してたんでしょうね。
「二日空いたから」って、それが自分のどこかで自分を「許し」てたんでしょうか。
寧ろ、その前にもぽつぽつ穴があるから、大して「緊張」を持たなくなったというか。
これじゃあ一年前に逆戻りしてるじゃぁないか、と。
「埋める」というコトは、ただ形の上だけで日記をかききること意外にも意味があるようで。
兎に角、「穴」に関しては「できるときにできるだけ埋める」コトと、
「これ以上の穴を作らない」こと。何度目かはわかりませんがまたこれをかくことに。
人は一度の失敗は避けられないが、同じ失敗を繰り返すことは避けられる。
…でも自分、日常においても同じ失敗ばかり繰り返して(斬)
さて、今日のコトなのですが。
なんだかありきたりというのもありきたりですが、何もありませんでした。
ダラダラと一日を過ごしてました。
最近、そうやってダラダラしてるせいか、時間が過ぎていくのが異様にはやい。
もう一時間経っちゃったのか、寧ろ一日経ったのか、と。
ダラダラとしてると早く過ぎるものでしょうか。
時間を気にせずダラダラして、たまに時計を見ると時間が過ぎてる、と。
今日はダラダラしてる場合ではないハズでもあるんですが。
どうも二日もあると、先に遊んで後にやる、なんてことになるみたいで。
量としては一日じゃやりきれないほどのものなのに。
なんだか、多すぎると実感もわいてこないものですね。
明日から頑張る、とまた思って見た一日。
では。

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