THE RECKONER.
2004年3月5日「1+1は必ずしも2ではない」という言葉の真偽はどうなのかと思った今日この頃。
「1たす1は3にも4にもなる」
マンガを読んでる人とかなら恐らく一度くらいは目にするはずのこんな台詞。
大体は、「チームを組んで戦う」とかそういったときに使われるものです。
内容を読んでると、「なるほどそうかもしれない」と思うワケですが。
そこには「落とし穴」があるワケで。
結論を先に言うと、十進法では「1+1=2」でしかなく、命題は「偽」なのでありまして。
反例というか、そのわかり易い例をあげると、「原子」。
通常ありえないコトではありますが、「O2」と「O」があるとします。
それらを「合わせる」と「Oの個数」としては「2+1=3」となるのですが、
「性質」の点でみると、数式では表せないような「変化」があります。
そこに「落とし穴」があるんです。
「1+1」とは、どういう「視点」から見たものであるのか。
確かに、「人数」という点でみれば「1+1」です。これが「左辺」。
しかし「右辺」はというと。「視点」はその「力」だとか、「強さ」にいっている。
原子の例でも述べたように、そういった場合、「数式では表せない変化がある」んですよ。
即ち、「左辺」と「右辺」が「つりあわない」。つまり既に「数式」ではなくなっているので。
だからこそ、「数式」における「1+1=」のあとに続くものは、「2」、及び「結果が2を表す式」でしかない、と。
しかしまあ、そんなカタいコトをいっていたら面白くもなくて。
第一「口語」だから大幅な「省略」があると考えたら済むコトであります。
ただ、それを「そのままの意味」で「命題」とみたときは「偽」だ、と。
では本文。
テスト二日目。
自分としては今日が最大の勝負所ですが。
朝からブドウ糖食べてました。学校にも持っていったりしました。
これはいわゆる「お菓子」じゃないからいいんじゃないかと…(斬)
「お菓子」でなくとも下手すりゃ「ドーピング」ですかね(何)
一時限目:現国:(易)
いつもの記述問題ばかりのテスト比べると難易度は低かった、と。
しかしその分平均点も上がってるワケで。
これ、もしかしたら欠点防止策なのかなぁ、と。
二時限目:数学:(没)
先ず一言。「自分は電卓ではない」。計算が多くて多くて。
答えを書けたのが六割。他は手付かず。
いや、「解けなかった」ワケではなくて。「時間が足りなかった」と。
これといって難しいものはなく、問題の「解き方」はわかったんです。
それだけに余計に悔しかったりもするんですが。
何より今回、問題数が多く、しかも記述の内容及び計算の多いものばかりときて。
時間を考えずに吟味してたらいつの間にか残り時間が少なくなってて。
これはヤバイと思って、検算も何もなしで極力手間を省ける問題(答えのみ記述のもの等)を解いて力尽きる。
今回でそろそろあることがわかってきたんですが。
「最近の数学の試験は、問題が解けるかどうかに加え、どれだけスラスラ解けるかが問われる」と。
以前は、解き方さえ分かれば時間は十分にあり、満点も狙えた。
しかしこれからは、その「時間」に左右される、と。
もうこうなると、自分の計算の正確さをどれだけ信じれるかということにも成りかねないワケで。
自分みたいにちまちま検算やってちゃ時間が圧倒的に足らないということを痛感しました。
そんなこんなでしょんぼりしつつ家に帰って。
しょんぼりというよりなんか、「落ちつかない」っていう感じで。
遊びに行こうかと思ってたんですが、いつの間にやら寝ちゃって、起きたら夕方になってました。
なので久々にピアノを弾くコトにしました。
こういうとき、何か思いっきり弾ける曲とかあればいいんだけどなあと思いつつ、普通に練習。
しかしそれだけでも結構気分はよくなるもんで。しばらく楽しみました。
でもやっぱりなんだか落ちつかない。「過ぎたコトは過ぎたコト」として割りきるってのがどうも苦手なようで。
例えそれが悪いものでも、「結果」が返ってくればとりあえずは落ちつけるんでしょうが。
一晩寝れば忘れられるだろう、寧ろ忘れていて欲しい等と思ったりも。
何かとネガティブになっていた一日。
では。
「1たす1は3にも4にもなる」
マンガを読んでる人とかなら恐らく一度くらいは目にするはずのこんな台詞。
大体は、「チームを組んで戦う」とかそういったときに使われるものです。
内容を読んでると、「なるほどそうかもしれない」と思うワケですが。
そこには「落とし穴」があるワケで。
結論を先に言うと、十進法では「1+1=2」でしかなく、命題は「偽」なのでありまして。
反例というか、そのわかり易い例をあげると、「原子」。
通常ありえないコトではありますが、「O2」と「O」があるとします。
それらを「合わせる」と「Oの個数」としては「2+1=3」となるのですが、
「性質」の点でみると、数式では表せないような「変化」があります。
そこに「落とし穴」があるんです。
「1+1」とは、どういう「視点」から見たものであるのか。
確かに、「人数」という点でみれば「1+1」です。これが「左辺」。
しかし「右辺」はというと。「視点」はその「力」だとか、「強さ」にいっている。
原子の例でも述べたように、そういった場合、「数式では表せない変化がある」んですよ。
即ち、「左辺」と「右辺」が「つりあわない」。つまり既に「数式」ではなくなっているので。
だからこそ、「数式」における「1+1=」のあとに続くものは、「2」、及び「結果が2を表す式」でしかない、と。
しかしまあ、そんなカタいコトをいっていたら面白くもなくて。
第一「口語」だから大幅な「省略」があると考えたら済むコトであります。
ただ、それを「そのままの意味」で「命題」とみたときは「偽」だ、と。
では本文。
テスト二日目。
自分としては今日が最大の勝負所ですが。
朝からブドウ糖食べてました。学校にも持っていったりしました。
これはいわゆる「お菓子」じゃないからいいんじゃないかと…(斬)
「お菓子」でなくとも下手すりゃ「ドーピング」ですかね(何)
一時限目:現国:(易)
いつもの記述問題ばかりのテスト比べると難易度は低かった、と。
しかしその分平均点も上がってるワケで。
これ、もしかしたら欠点防止策なのかなぁ、と。
二時限目:数学:(没)
先ず一言。「自分は電卓ではない」。計算が多くて多くて。
答えを書けたのが六割。他は手付かず。
いや、「解けなかった」ワケではなくて。「時間が足りなかった」と。
これといって難しいものはなく、問題の「解き方」はわかったんです。
それだけに余計に悔しかったりもするんですが。
何より今回、問題数が多く、しかも記述の内容及び計算の多いものばかりときて。
時間を考えずに吟味してたらいつの間にか残り時間が少なくなってて。
これはヤバイと思って、検算も何もなしで極力手間を省ける問題(答えのみ記述のもの等)を解いて力尽きる。
今回でそろそろあることがわかってきたんですが。
「最近の数学の試験は、問題が解けるかどうかに加え、どれだけスラスラ解けるかが問われる」と。
以前は、解き方さえ分かれば時間は十分にあり、満点も狙えた。
しかしこれからは、その「時間」に左右される、と。
もうこうなると、自分の計算の正確さをどれだけ信じれるかということにも成りかねないワケで。
自分みたいにちまちま検算やってちゃ時間が圧倒的に足らないということを痛感しました。
そんなこんなでしょんぼりしつつ家に帰って。
しょんぼりというよりなんか、「落ちつかない」っていう感じで。
遊びに行こうかと思ってたんですが、いつの間にやら寝ちゃって、起きたら夕方になってました。
なので久々にピアノを弾くコトにしました。
こういうとき、何か思いっきり弾ける曲とかあればいいんだけどなあと思いつつ、普通に練習。
しかしそれだけでも結構気分はよくなるもんで。しばらく楽しみました。
でもやっぱりなんだか落ちつかない。「過ぎたコトは過ぎたコト」として割りきるってのがどうも苦手なようで。
例えそれが悪いものでも、「結果」が返ってくればとりあえずは落ちつけるんでしょうが。
一晩寝れば忘れられるだろう、寧ろ忘れていて欲しい等と思ったりも。
何かとネガティブになっていた一日。
では。
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